第12話

 厨房に足を踏み入れる。次の瞬間、何かが顔に勢いよく飛んできた。


「っ!?」


 直撃してきたそれを慌てて掴み顔から引き剥がす。手には無地の黒いエプロンがあった。


「本当は厨房ここの制服があるけど、時間ねぇからひとまずそれつけろ。あとこれ被れ」

「わっ」


 続いて投げられたそれを、今度はちゃんとキャッチする。

 これ、コック帽……かな。被るの初めて……。


 私がまじまじとコック帽を眺めている隙に、男の人――呼ぶことがあれば渚に倣って金重先輩って呼ぼう――はコックのような白い服へと着替えを済ませていた。きっとあれが厨房の制服なのだろう。

 慌てコック帽を頭に乗せ、エプロンの紐を後ろで結ぶ。その途中、不機嫌そうな低音で言われた。


「つかなんでテメェ厨房の制服こっち着てねぇんだよ。バリバリ接客用の服じゃねぇかそれ」

「あ……えっと、渚にこれ着るんだよって言われて……」

「上手か……。あいつ何間違ったこと教えてんだ」


 ため息をついて男の人がぼやく。

 ――このままじゃ沈黙になる。何としてでも回避したかったが、上手い相槌も自然な返しも思い浮かばなかった。


 結果、沈黙となってしまった。……気まずい。


「ぶっ!?」

「!?」


 突然男の人が吹き出した。ビクッとしてしまい、私は若干怯えながら男の人を見た。

 男の人は笑い声を押し殺して理由を教えてくれた。


「エプロン、裏表逆……」


 ――エプロン?


 自分の格好を見下ろしてみれば……先程つけ終わったエプロンの表と裏が逆で、横腹辺りからはほつれた糸がだらしなく垂れ下がっていた。

 ……あれ、うそ!?


「すっすみません!すぐ直します……!」

「そうして……」


 口を押さえ、僅かに震えた声で答える男の人。まだ笑っているらしい。

 あ、――この人、こんなに笑う人なんだ。


「はー……面白。なぁ、お前名前確か美優だったよな?苗字か?」

「苗字だったらすごいですけど、下の名前です」

「了解。じゃあ美優、今から俺に敬語使うな」


 私は耳を疑い、思わず聞き返した。


「はい?金重先ぱ」

「もう一個。俺のことは煌也こうやな」


 遮って命じられた。だが、私の中には躊躇いがあった。


 渚より距離詰めて大丈夫かな……?


「言っとくけど、変な遠慮すんなよ。上手も仲良くなっちゃえって勧めてきたんだからな」


 心を読まれたのかと錯覚するほどベストなタイミングで注意が飛んできて、かなり驚いた。陽と渚以外でこんなことが起きたのは初めてだったのだ。


 ていうか「なっちゃえ」だって……引用にしても、ちょっと可愛いね。


 私はほとんど無意識に微笑した。


「……わかりまし、……わかった」


 初っ端から間違えた。タメ口が浸透するまでしばらく時間かかりそうだ……。


 けど、この人――煌也とは気が合いそう。私は直感で理解できて、煌也に対する好感度が一気に上がった。



 この夜……私は煌也と急接近した。

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