デート編
1.
6月3日 午後3時46分
6月に入り、短い春を追い立てるかのように海からの風が新緑に萌える木々を揺らす。日に日に陽射しが強まり、アリアのお気に入りセーラー服も昼間は少し汗ばむようになっていた。
連日、ニュースやワイドショーでは『ラテアート殺人事件』の話題で持ちきりだったが、アリアにとっては既に終わった事件。あの人が良さそうだが、幸も薄そうな大学生がその後どうなったのか、知る由もない。
そんなことよりも今、〝名探偵〟の頭を悩ませているのは二の腕に付いた脂肪だ。
〈最近、やたら甘いものを食べたり、飲んだりしたからなぁ……〉
まだ衣替えには若干の猶予があるものの、早めにシェイプアップするにこしたことはない。
〈そして……夏になったら友達や彼氏を作って海に行きたい!〉
そんな訳でアリアは私立グリシーナ女学院のカフェテリアで普段は飲まないブラックコーヒーを頼み、花壇に面したテラス席に陣取ると夏に向けて綿密なイメージトレーニングを行っていた。
アリアが通っている〝グリ女〟には他にもフルオーケストラの演奏が可能な講堂や総合運動場、図書館、宅配ボックス付きの寮まで存在する。それでいて敷地全体が緑で囲まれているため、とても街の中にあるとは思えない。
まさに箱入り娘のための完璧な箱庭――。
ヒキコモリ達のアヴァロン――。
しかも維持費はほとんどOGなどの寄付で賄われているため、学費は平均的な私立高校と変わらないという冗談のような学校だった。
当然人気も高く、全国から優秀な生徒が集まっているはずなのだが、噂好き・話し好きなのは他の女子校と変わらないらしい。
隣の席では同じクラスの女子たちが賑やかに談笑していた。
「ねぇ、聞いた? 『ラテアート殺人事件』、犯人捕まったんだって!」
ブルートゥースのイヤフォンから流れる曲と曲の合間に、隣の席の談笑が漏れ聞こえる。
〈あれからもう3日か……〉
いつもなら真相にたどり着いても、それを警察に伝える方法に苦慮するところだが、今回の事件に限ってはその煩わしさもない。
〈警察関係者の身内ってのも、何気に便利かもね……〉
ベレー帽をアイマスク代わりに顔の上に乗せたまま、アリアはポケットの中のアイフォンを操作して、プレイヤーの音量を下げた。
「それって、あの山の手にある喫茶店でしょ? わたし、前にあの店に行ったことあるよ! やっぱ犯人ってマスター?」
「違う、違う! なんか、殺された人の友達らしいよ」
「怖ーっ! それって、二人で一緒に行って、相手に毒を飲ませたってことでしょ!?」
どうやら警察はしかるべき犯人を捕まえたらしい。
逮捕に踏み切るまで時間がかかったのは、アリアが託した突拍子もない推理を慎重に慎重を重ねて検証し、裏取りしたためだろう。
「女の友情なんて所詮そんなもんだって……わたしの推理によれば、動機は男絡みだね!」
「あ、絶対にそう! 殺された方が犯人から男を略奪愛したんだって!」
熱を上げる彼女たちとは対象的に、いよいよ事件に興味を無くしたアリアが再びアイフォンのボリュームを上げようとしたその時――。
――Lu!Lu!Lu!Lu!Lu!
突然、けたたましいコール音がアリアの耳の中に直接響き、危うくウッドチェアから転げ落ちそうになった。しかもその拍子に操作を誤ってしまったらしく、相手に繋がってしまう。
『あ! もしもし、探偵さん?』
「――ンげ!?」
聞き覚えのある声にアリアはおもわず毒づいた。
幸い、向こうには聞こえなかったらしく、スピーカーを通してなお能天気そうな声が聞こえてくる。
『探偵さん、大丈夫? もしかしてまだ授業中だった?』
「や、まぁ授業はとっくに終わってるんで……」
アリアはポケットからスマホを取り出すと椅子に座り直した。
事件の真相について何か分からない事があった時のため、創介とは一応連絡先を交換していた。でも、まさか本当にかかってくるとは思っていなかったので、アリアはアドレス帳に入力すらしていない。
〈真犯人が逮捕されたのに、今さら何の用があるってんだか……〉
『良かった。それでこれまた突然で悪いんだけど明日って空いてないかな?』
犯人を送検する上で、アリア本人が直接証言する必要でもあるのだろうか?
正直、メンドくさいとは思いつつもアリアは返事をする。
「はぁ、まぁ空いてるっちゃ、空いてますケド……」
「良かった! じゃあ、アーケード街にある『ブックエンド』っていう喫茶店に12時に――」
「明日の12時、アーケード街の『ブックエンド』ですね、分かりました。それじゃ」
待ち合わせの時間と場所を確認すると、アリアはさっさと電話を切った。
〈まさか事件が解決しても、まだあの大学生と会うハメになるなんて、今日は厄日だ……〉
験直しに、なにか注文しようとふと顔を上げたところ、隣で談笑していた女子たちと目が合った。
「な、何か用……?」
二人の顔にはなんとなく見覚えがあったが、話した回数は両手の指にも満たない。
にもかかわらず、二人ともニヤニヤと口元を歪ませて目が輝いている。さながら、獲物を見つけた野良猫のようで、アリアは背筋に冷たいものを感じた。
「ね、今の電話って、もしかして彼氏?」
「――はぃっ!?」
予想外の質問に、おもわず声が裏返ってしまう。
そんなアリアの反応を肯定と捉えたのか、女子達はますます目を輝かせ、身を乗り出してきた。
「わたし、この前、見ちゃったんだ~! 根岸さん、大学生くらいの男の人と地下鉄に乗ってるトコ」
〈うぁ、ヤっベ! この目撃者、今すぐ消さなきゃ!!〉
おもわず不穏当な考えが浮かぶが、アリアは顔と両手を脱水機のように振って全力で否定する。
「ち、違う、違うっ! アレはそんなじゃなくて……なんというか、疫病神?」
〈うむ、我ながら言い得て妙だ〉
しかし二人とも、アリアの言葉にはまったく耳を貸さずに、好き勝手に想像を膨らませていく。
「へぇ~! 根岸さん、頭良いし、クラスでも大人しいからてっきりそういうの奥手だと思ってたけど、意外だね!」
「デート、ガンバって!」
「だからデートじゃないってば……!!」
アリアは逃げるようにカフェテリアを後にする。
ベレー帽ごと頭を抱えながら、ふとクラスメイトの言葉が脳裏をよぎる。
〈デート……じゃないよね?〉
あの大学生、ヘンに気が回るから、事件解決のお礼ということも十分ありえるかもしれない。
〈そういえば、結局喫茶店デビューできなかったしなぁ……〉
こうも早くリベンジの機会が巡ってくるとは思わなかった。
しかも今度はオトコと待ち合わせ……。
「いやいやいやいやっ……! たとえそうだったとしても相手があのチャランポランじゃときめくかーっ!!」
寮に戻ってからもアリアは悶々としたまま明日を待たなければいけなかった。
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