5.(中編)

「真犯人は自分から容疑をそらそうとするあまり、かえって自分が犯人である証拠を残してしまったかもしれません」


 図面では一部のスキも無い完璧な作品でも、実際に組み立ててみるとどこか歪んでいたり、隙間があったりするものだ。

 たとえ無かったとしても、外から穴を開けてやることはできる。

 ふと、創介は褐色の水面を見つめるアリアの瞳が一際、深く澄んだ色を称えているように見えた。


「それってフツー逆じゃない?」

「犯人が用心深い性格なら、普通は証拠を残さないんじゃないか?」


 訳が分からないといった感じで顔を見合わせる兄妹にアリアは一つ咳払いをした。


「さっき私がやってみせたトリックは一番シンプルで、最も迷彩効果が高いものです。とはいえ、ストローにカプセルを仕込んでいる所を誰かに目撃される危険性が無いわけじゃない」


 アリアの微妙な言い回しが、その可能性の低さを物語っていた。


「しかしこれから人を殺して、あわよくば警察の手から逃げおおせようと企んでいる人間にとっては看過できない不安材料です」


 ハタから見れば笑い話のような事でも、当の本人にとっては夜も眠れない心配事なんて日常的にもよくある。しかしそれを解消するために真犯人が取った行動は、ある意味タガが外れてしまった人間ならではの大胆なものだった。


「恐らく真犯人はストローを使ったトリックを思いついた時点で、毒入りカプセルを安全に店内に持ち込み、なおかつ誰にも見咎められることなく被害者たちのカップに入れる方法も思いついたハズです」

「そんなのどうやって……」


 彩夢の疑問に答える代わりに、アリアは全く違う話題を持ち出した。


「ところで、九野さん。医大生なら知っていると思いますけど、薬のカプセルって水やお湯に入れただけでは溶けませんよね?」

「え? そうなの、兄さん?」


 アリアの推理に理解が追いついていないのようで、創介はただ機械的に頷く。


「ああ、うん……温度よりも重要なのはpHで、水溶性の物の他に胃酸で溶ける物だったり、逆に胃で溶けずにアルカリ性の腸内で溶けるものもあるケド――まさか!?」


 創介もアリアが言わんとしていることに思い至ったらしく、大きく目を見開いた。答えが分かったというよりも、信じられないという顔をしている。

 しかしアリアは〝名探偵〟としての自分の推理に絶対の自信を持っていた。


「いいですか、真犯人はあらかじめおいて、被害者が席を立った隙に、さっきのトリックを指ではなく舌を使ってやったんですよ」


 まるで見てきたかのように自信たっぷりに語るアリアに、彩夢も目を見開いていた。

 即効性の毒が入ったカプセルを自ら口に含むなんて正気の沙汰じゃない。

 しかしアリアは創介の疑問や反論を先回りするように、淡々と真相を語る。


「人間の口内は通常中性で、唾液が多ければアルカリ性を示します。それに対してエスプレッソも牛乳も弱酸性から酸性の液体です。つまり酸性で溶けるカプセルに毒を仕込んでおけば、口に含んでいても毒が溶け出すことはありません。それどころか、絶対に気付かれない安全な容器であり、カフェラテの中に入った時に初めて人を死に至らしめる凶器となるわけです」


 そう言って、アリアはさきほどカプセルを入れたカップに口をつけた。


「あ、それは――!」


 彩夢がおもわず声を上げる中、アリアは涼しい顔で中身を飲み干し、「ごちそうさま」と、空になったカップをテーブルの上に置いた。


「どうして? 苦くないの!?」


 彩夢が不思議に思って覗き込むと、カップの底に白いカプセルがほとんど溶けずに残っていた。


「コッチに入れたのはセルロースを主体とした腸で溶けるカプセルです。つまりさっきとは逆で、酸性や中性の液体では溶けません。おかげで美味しく飲めました」


 まるでイタズラが成功したかのように、アリアは不敵な笑みを浮かべたが、創介はまだ納得できずにいた。


「いくら犯行が露見するリスクをなくすためとは言っても、一歩間違えれば自分が死ぬかもしれないのに……本当に犯人はそんな危険なことを?」


 ところがアリアは創介の疑問など、考慮するに値しないとばかりに肩をすくめてみせた。


「これから人を殺そうっていうんだから、自分も命を賭けるくらいの気概があってもいいじゃないですか? 撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるヤツだけです!」

「そんな、バカな……」


 おもわず呆れると、アリアは別な解釈を示した。


「では、こういうのはどうです? 真犯人は恐ろしく狡猾で非常に用意周到な人物であり、微に入り細を穿つ完璧な犯行計画を立てた反面、予定外のアクシデント――とりわけ、他人の予想外の行動を嫌った。だからこそ、危険ではあるけれどもまだ自分でリスクヘッジ可能な方法を選んだ。そう考えると、他人を信用せず独りよがりで頭でっかちな、いかにも殺人を犯しそうな犯人像が浮かび上がってきませんか?」


「確かにそれは悪いヤツだね。しかも兄さんに罪を着せようとするなんて、許せない! お父さんにとっちめてもらわないと!」


 義憤にかられ腕を組む彩夢とは違い、創介は簡単には頷けない。

 アリアが言ったように、このトリックを口の中だけで行うにはある程度訓練が必要だ。犯人は愛らしい動物が浮かんだラテアートを頼みながら、淡々と殺人の予行練習をしていたということになる。


「それはなんと言うか……異常だよ」

 創介にはどうしてもそんなお客さんの姿が想像できない。


「運動音痴でも、運動会の前ぐらいは走り込みだってしますよ」

 アリアにしてみれば、殺人という人生を賭けた大勝負をぶっつけ本番でやる方がどうかしている。


「確かにそうだけど……」


 頭で理解できていても、心では納得できないこともある。

 それに創介にはもう一つ簡単に受け入れられないことがあった。それは目の前の女の子が、そんな異常な人間の心理をまるで見てきたかのように淡々と語っていることだ。

 いったいどんな経験をしたら、そんな人間の狂気をいとも簡単に見抜けるようになるのだろうか?

 複雑な想いで見つめる創介の視線を意識の外に追いやるように、アリアはくせ毛の先をくるくると指でいじる。

 アリアにとって謎を解くことこそが重要で、犯人像や動機なんて知ったことではない。先程、二人に聞かせたプロファイリングにしても、アリア自身ほとんど信じていなかった。


「ところで、この方法だとどうして犯人が分かるの? 目撃者が居ないなら、バレなくない?」


 停滞した空気を動かすように彩夢が疑問を口にする。その答えについてはアリアはもちろん、創介も勘付いているみたいで、代わりに答える。


「犯人の唾液だよ。もし仮に探偵さんの言うとおり、犯人が手を使わずに舌だけでストローのトリックを行ったとすれば、被害者達のカップには犯人の唾液が残っているかもしれない」

「だから可能性じゃなくて、実際やったに違いないのに……」


 自分の推理にいちゃもんをつけられて不貞腐れているアリアをよそに創介は説明を続けた。


「被害者のカップは割れてしまったけど、友人の米田真美さんのカップはまだ口を付けていなかったハズだから、科学警察研究所とかで調べれば血液型くらい分かるはず」


 創介の説明に彩夢が納得しかけたところで、アリアが口を挟んだ。


「何をかったるい事を言ってるんですか、九野さん。そうじゃなくて、私が言いたいのはから『』という証言を再度、引き出す必要かあるってことです。実際に彼女の唾液が検出されるかどうかはこの際、問題じゃありません」


 一瞬、アリアの言った言葉の意味が理解できず、間の抜けた静寂がキッチンを支配する。

 そんな中、最初に口を動かしたのは彩夢だった。


「……ん? えっ、あれ? 今、もしかして犯人の名前言った?」


 彩夢の疑問にアリアは軽く頷く。


「ええ、だからこの事件の真犯人は――」

「ちょっ、待って! タイムっ、タイーム!!」


 もう一度アリアが犯人の名前を口にしようとしたところ、慌てて彩夢がそれを制した。


「もう、何なんですか? 推理ももう大詰めだというのに……」

「探偵さんこそ、どういうつもりなの!? オリーブオイルみたいにサラっと真犯人の名前を言うなんて! こういうクライマックスの大事な場面はフツー、崖の上とか事件現場に警察や関係者全員を呼び出してやるものでしょ!?」


「……は? ヤですよ、メンドくさい」


「えぇええっ!?」


〈てか、大勢の前で話すとか、フツーにムリだし……〉


 『おおーどーがー!』『せおりーがー!』などと、よく分からない事を呟いている彩夢を無視して、アリアは自分の推理を続ける。


「この事件の真犯人は米田真美さんで、まず間違いありません」



▶5.(後編)へ続く

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