5.(後編)

「その根拠は?」


 創介の問いに答えるように、アリアは白く細い指を一本立てた。


「理由はいくつかありますけど、一つ目は彼女が注文したものです」

「注文って言っても、あのお客さんは確か、例のラテアート以外はアイスコーヒーしか頼んでいなかったと思うけど……」


 創介はラテアートの注文を受けた時に見た伝票を思い出しながら首を捻る。


「それが妙なんです」


 アリアの指摘に、創介と彩夢はキョトンとした表情のまま顔を見合わせた。


「いいですか、会社のお昼休みに来たのに彼女が頼んだもののと言えば、ラテアートと持参したマグボトルにコーヒーを入れてもらっただけなんて、妙だと思いませんか?」


 アリアの問いかけに彩夢が両の手の平を打つ。


「そっか! 口の中にカプセルがあるから、何かを食べたり、飲んだりできなかったんだ!」

「ンまぁ……それもあるでしょうが、何かを食べたり、飲んだりすると口内環境が酸性に傾いてしまいますからね……」


 おそらくマグボトルの中に予め毒入りカプセルを入れておいて、店に入る前に口の中に入れたのだろう。もし何らかの理由で計画が実行不可能となれば、マグボトルを飲むフリをしてカプセルを戻し、あとは溶けた毒ごと下水に流してしまえば計画は露見しない。

 頭のネジがどうしようもなく歪んでしまっているクセにどこか冷めていて機械的な犯人の行動に創介も彩夢を寒気を覚えた。

 しかしアリアはさして気にした様子もなく、二本目の指を立てた。


「二つ目はトリックの方法です」


 このストローとカプセルと使った泡の密室トリックは被害者が〝立体ラテアート〟を注文してくれないとそもそも成立しない。

 被害者の性格や嗜好をよく知る友人なら、かなりの高確率で行動を予想できただろう。


「事実、被害者は重度のSNS中毒だったみたいだし、九野さんの作った〝作品〟の話題を振れば、興味を示すはず。あとは彼女のSNSを監視していれば、偶然を装ってあの店で会うことはそれほど難しくないと思います」


 アリアの推理を聞いて、創介は箕輪警部が話していた被害者とその友人の関係を思い出した。


『米田真美も被害者とは職場が違うにもかかわらず、よく昼飯を食べていたほど仲が良かった』


 あれが、被害者の行動をどの程度誘導できるかを試す殺人の予行演習だったとしたら……? もっと言えば、そうやって被害者と偶然を装って会ってもが他にもあったとしたら……?

 創介は不意に頭をよぎった嫌な考えを振り払った。


「つまり真犯人・米田真美はまず九野さんの〝立体ラテアート〟の情報をそれとなく被害者に教え、SNSを監視していた。そして彼女が店に行ったタイミングで会社を抜け出し、偶然を装って相席したわけです」


「でも、被害者の人が先に一人でラテアートを注文してたらどうしたの?」


「真犯人は予行演習を何度かしているはずなので、九野さんのシフトはある程度把握していたと思います。それに被害者のあの性格からして、友達が注文したらたとえ飲まなくても別なラテアートを頼んでいたと思いませんか?」

「亡くなった人の事を悪く言うつもりはないけど……確かに、そうかもしれない」


 食べ切れない量のパンを広げていた被害者のテーブルを思い出し、創介はゆっくりとうなずいた。


「そして九野さんがラテアートを作っている最中に被害者の電話を鳴らした。……おそらくIP電話か何か、簡単には足のつかないものを使ったんでしょう。被害者が席を離れ、九野さんも居なくなったのを見計らって先程のストローを使ったトリックを実行に移した……」


「兄さんが淹れたコーヒーに毒を盛って、しかも殺人の罪を着せるなんて許せない!」


 今にも犯人の所へ殴り込みにいきそうな義妹をなだめつつ、創介は疑問を口にする。


「でも、なんで自分の分のラテアートも頼んで、わざわざ毒を仕込んだりしたのかな?」

「それは自分も狙われていたと印象づけることで容疑から外れようとしたっていうのもありますけど、密室状態のカップを見せることで警察に毒は予めカップに入れられていたと思わせるためだと思います」


 そこで先程アリアが言ったことが重要な意味を持ってくる。

 真犯人――米田真美は〝泡の密室〟を完璧なものにするため、『』と証言する以外ない。にもかかわらず、カップの中から彼女の唾液が検出されたと警察から言われれば、たとえそれがブラフだったとしても動揺するだろう。


「完璧主義の犯人が考えたトリックが、逆に犯人を追い詰める武器になるなんて、皮肉なもんだね」

 かしこまった顔で頷いている義妹とは別な想いを創介は抱いていた。


〈違う、この娘が武器に作り変えてしまったんだ……〉

 

 密室の謎を解いたかと思えばそこから犯人を絞り込み、更に今、何重もの迷彩に守られた真犯人に届く武器を作ろうとしている。

 創介はいつしか、事件そのものよりもこの小さな探偵に興味を抱き始めていた。

 

 じっくりと時間をかけて焙煎したコーヒーのような、深く揺るぎない色を湛えた瞳に映る風景を見てみたい一心で視線を向けると、何故だかアリアは伏し目がちに三本目の指を立てた。


「三つ目は……ンまぁ、細かいことですけど、犯行時の米田真美の言動です。九野さん、あの時、悲鳴が聞こえてとっさに何が起きたと思いました?」


 アリアの言葉に我に返った創介は、頭の中で事件当時の状況を思い浮かべる。


「女の人の悲鳴が聞こえて……振り向いたらカップルのお客さんが被害者のテーブルの近くに立っていて、震えている女の子を男のお客さんが支えているのが見えた」

「その時、他の客はどんな様子でしたか?」

「あの時は正直、店の中にゴキブリでも出たんじゃないかと思って慌ててたからよく覚えてないけど……他の人も同じように自分の席から立ち上がったり、首を伸ばしたりしていたんじゃないかな?」


 その言葉を待っていたかのように、アリアが不敵な笑みを浮かべた。


「つまり、まだその時点では被害者の身に何が起こったのか、分からなかったんですよね」

「あれ? そういえば、そうだ」

 アリアに言われて初めて気づいたのか、創介の両目が見開かれる。


「何で? 厨房からだと死角になって見えなかったたとか?」

 まだ兄のバイト先に行ったことがない彩夢の疑問に、アリアが答えた。


「あの喫茶店は座席間の仕切り板が高くて、近づかない限り中でテーブルに突っ伏している人間なんて見えないんですよ」

 ところがあの時、がいる。


「『由佳!』と……」


 アリアのセリフが記憶の中の米田真美のものと重なった。

 言葉の意味が二人の意識に染み込むのを待ってからアリアは一気にまくしたてる。


「米田真美がトイレに入っていたのは、被害者死亡時に近くには居なかったというアリバイ工作の一環でしょう。トイレから被害者のテーブルはそこそこ離れていますから……にもかかわらず、彼女はトイレから出た直後、変わり果てた友人の名前を叫んで私の席の横を走り過ぎていったのを覚えています。それは何故か? 虫の知らせや超能力の類でもない限り、それは被害者が既にこの世に居ないことを知っていた真犯人に他ならないからです」

 一瞬の静寂が箕輪家のキッチンを包み込んだ。


〈はぁ~疲れた……おうち、帰りたい〉

 こんなに喋ったのはいつぶりだろう?

 手に持っていたカップは既に空で、冷たい陶器の感触だけが伝わってくる。

 あったかいココアでも欲しいところだが、創介も彩夢も押し黙ったまま今聞いたばかりの推理を反芻しているみたいで、おかわりを言える雰囲気でもない。


 ともかくこれで〝泡の密室〟は開かれ、真犯人も判明し、そしてどうやら寮の門限にも間に合いそうだ。〝名探偵ジブン〟の役割は十分果たしたはずだし、あとはその他大勢の警察官に税金分の働きを期待するとしよう。

 アリアは名残惜しそうにもう一度だけカップを見て、それからゆっくりとテーブルに置いたのだった。

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