6.(前編)

6月4日 午前11時45分


「……あの、相席いいですか?」


 アリアがそう尋ねると男は、ポカンと口を開けたまま見上げていた。

 それはそうだろう、アリアと男とは初対面だし、店内は相席が必要なほど混んでいる訳でもない。ましてや、この席には先程まで男の恋人が座っていたのだ。

 しかしアリアは男が何かを言う前にソファに腰かけ話を切り出した。


「ずっと考えていました……〝名探偵〈わたし〉〟が偶然居合わせたこの喫茶店で事件が起こるとしたら、被害者は誰で、どんな謎〈トリック〉を使って殺人を実行するのか……そしてその犯人とはいったい誰なのか?」

「何を言ってるんだ……?」


 付き合っていられないとばかりにコーヒーカップに口を付けた男をアリアは注意深く観察する。

 とっくに空になっているはずのカップで表情は読めないが、その目はかすかに潤み、しきりに鼻をすすっている。

 どこまで本気なのか知らないが、恋人に向かって「ゼッタイに殺してやる」などと、発言した直後に『殺人』や『犯人』なんて話を聞かされれば動揺するのは当然だろう。


「や、スイマセン。私、ちょっと口ベタなもので……昨日の夜も今日のシミュレーションをしていて少し寝不足気味なせいか、推理にも時間が掛かってしまって……もう10分後には約束の時間だから本当はこんなことしてる場合じゃないんですケド……」


 そもそもアリアの言葉はこの男に向けて言ったものではなかった。俯き気味にボソボソと喋るからそう勘違いされてしまったのは無理もない。


 アリアは一つ大きく深呼吸してから顔を上げると、男の隣で水を注ごうとしていた女性店員に目を向けた。


「ありていに言うと、あなたが犯人です」


 それまでとは打って変わって自信に満ちたアリアの言葉に、女性店員の体がわずかに強張り、コップの中の氷が硬質な音を立てる。

 しかしその直後、被害者になるはずの男がアリアの視線を遮るように身を乗り出してきた。


「ちょっと何言っちゃってんの、キミ? みさきちゃんが俺を殺そうとするはずないじゃん」

「や、アナタの命が守るために、こうしてわざわざ言いにきてあげたんですケド……?」


 まだ実際に事件が起きてないとはいえ、被害者が犯人を擁護するなんて前代未聞だ。ますますややこしくなっていく状況にアリアは軽い頭痛を覚えた。


「別に守ってもらわなくてケッコーですぅ~! キミのようなお子さまには分からないかもしれないけど、俺とみさきちゃん、それにアキコは大学のサークル仲間で、アキコと付き合う前はみさきちゃんと付き合ってたこわけ。ねぇ?」

「え、ええ……まぁ……」


 男の問いかけに女性店員は訓練された笑顔で応える。


「そんなみさきちゃんが俺を殺そうとするわけないだろ? 殺る可能性あるとしたら、アキコの方だよ。なにかっつーとすぐヒスるし……俺、みさきちゃんの優しさが恋しくなってきたかかも?」

「あ、あははは……お、お客様、お水……どうぞ」


〈うぁ……既にその発言で、なんか動機も見えた気がするケド……まぁ、いいや……〉

「あ、その水は飲まない方がいいですよ」


 アリアはウンザリしつつも、男が店員からコップを受け取るのを止めた。


「何でだよ? みさきちゃんがこれに毒を入れたって言うつもりか?」

「まぁ、ある意味では……」


 男の質問に曖昧に答えながらアリアは女の表情を見た。

 心なしか顔色が戻ってきている。自分は余計なことを言わずに、男に喋らせておく方が得策と考えたのだろう。


〈そっちがその気なら、徹底的にやってやろうじゃないか……〉


「バカ言うな、アンタや他の客だって同じ水を飲んでるだろ?」


 男はこれみよがしにコップをかざしてみせた。

 一見すると何の変哲もないただの透明な水と氷。


 ――いや、


「私は大丈夫です。おそらくアナタの彼女やあそこのおじいさんも大丈夫でしょう……この店の中で唯一、アナタにだけ効く毒を彼女は入れたんです」

「そんなスパイ映画じゃあるまいし、都合の良い毒があるっていうのか!?」


 男の質問には答えず、アリアは宙を見上げながら小さく鼻を鳴らす。


「人によっては大変ですよね、この時期……特に今日みたいによく晴れた日は外はもちろん屋内に居ても、そこら中にが漂っているような気がして……」


 スンスンとしきりに鼻を鳴らしているアリアを二人は不思議そうに目で追った。


「目は痒くて涙が止まらないし……鼻はムズムズするし……」


 アリアの言葉につられるように男が大きく口を開け、息を吸い込んだ次の瞬間――。


「――っあっくしゅん!!」


〈うぁあっ!? ばっちぃなっ、もう!!〉

 アリアは一張羅のワンピースが汚れないよう、男のくしゃみを間一髪で避けた。


「やっぱりアナタはシラカバ花粉症だったみたいですね……」

 居住まいを正しながらアリアは不敵な笑みを浮かべた。


 シラカバ――白樺はその名の通り、白い樹皮が特徴的な落葉樹の一種で、二十メートルから三十メートルほどの細長い樹木だ。比較的な寒冷な土地や高地でも生育し、空に向かって真っ直ぐに伸びるため景観にも良く、この街の公園や街路樹などいたるところに植えられている。

 しかし近年スギやヒノキ同様、花粉症の原因として問題にもなっているのだ。統計によれば市民の二十人に一人はシラカバ花粉症という計算になるという。そしてシラカバ花粉の飛散ピークはスギ花粉が一段落する五月から六月――。

 ここ最近の記憶を思い返してみても、新緑に萌える街路樹や、マスクやサングラスをしている人間を何度も見ていた。


「あんたの言う通り、花粉症だけど……? 何で……分かったんだ?」

 男が訝しむように鼻をすすった。

「別に……単純な話です。貴方の充血した目やこの蒸し暑い店内で何度もクシャミをしているのが妙に引っかかったので……」

「なるほど……ね」


 面白くはないものの、アリアの観察力を認めたのだろう。男は吐き捨てるように言いながら視線をそらした。


「だからなんだって言うんです? 私がこの水差しに花粉を入れたとでも? そんなもの、お客様にお出ししたらマスターに叱られてしまいます!」

 一方、女性店員の方は元カレの擁護では弱いと感じ始めたのか、それまでの鬱憤を晴らすかのように一気にまくしたてる。


〈おいおい……このヒト、語るに落ちてるよ……〉


 アリアは呆れつつも自分の推理を最後まで騙ることにした。


「花粉じゃありません。アナタはシラカバ花粉とは全く別の物によって被害者に劇症型のアレルギー反応――アナフィラキシー・ショックを引き起こさせようとしたんです」

 

 【後半に続く】

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