第35話 リマの身請け物語
みんな大好き戦国時代。
一方では人と物とが世界を行き交う大航海時代でした。
当時の日本人は様々な形で海を渡り、世界中の国々で暮らしていました。
東南アジアの大都市にはたいてい日本人町があり、百人単位の日本人が住んでいました。
それどころか中南米の諸都市にも数は少ないですが、日本人が様々な職業について生活を立てていました。
ペルー副王領の首都リマ(現在のペルー共和国の首都リマ)では、1613年に副王モンテスクラーロス侯の命令で人口調査が行われました。
1613年は、日本の元号だと慶長18年。大坂冬の陣が起こる前年です。
その人口調査よると、その年のリマ市には24,650人の人間たちが暮らし、インド人56人、中国人36人、そして日本人が20人いました。
その日本人の中に一人の若い男性がいました。職業は裁縫師。
日本のマンガサテ(?)の出身と記録にあります。
彼はインドから来た24歳の女性奴隷、アンドレア・アナを、300ペソを払って解放してやり、結婚しました。
当時のリマでは、馬1頭が10~20ペソでした。
裁縫師が300ペソ貯めるのは大変だったでしょう。
日本にも、遊郭に売られた女性を
二人の間にどんなドラマがあったのか、想像すると止まりません。
ところでこの男性裁縫師、どうやってリマまで行ったのでしょうか。
慶長18年はまだ鎖国が行われていません。
日本と東南アジアの間には、頻繁に船の行き来がありました。
特に日本人が多かった都市はフィリピンのマニラ。
マニラとアカプルコ(現在のメキシコ)には定期連絡船が就航していました。
人の行き来があっても不思議ではありません。
こちらも想像すると楽しいですね。
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