第18話 ジャカルタからの手紙、ハーフの美人姉妹、波乱の生涯

父の名はニコラス、母の名はマリア。

長崎で出会ったこの夫婦には二人の美しい娘がいました。


その名は姉がマダレーナ、妹がジェロニーマ。


17世紀の日本に生まれ育ったこの姉妹は、読み書きに優れた美しい娘たちだったと言われています。

1639年に江戸幕府が出した第五次閉洋之御法(鎖国令)により、生まれ故郷である日本を追われることとなりました。


なぜなら、外国人、外国人と結婚した者、その間に生まれた者、つまり今の言葉でハーフの人間は日本から出て行かなければならなくなったからです。


これが有名な鎖国政策ですが、完全に国を閉ざしたわけではなく、中国(明朝と清朝)、朝鮮王朝、琉球王朝、オランダ東インド会社との間には限定的な国交がありました。


そのためポルトガル人と結婚した日本人とその子供は中国のマカオに、オランダ人と結婚した日本人とその子供はオランダ領東インドのバタビア(現在のジャカルタ)に追放されました。


マダレーナ、ジェロニーマ姉妹の父親はイタリア人でしたが、なぜかマレーシアのジャワ島にあるオランダ東インド会社の根拠地バタビア(ジャカルタ)まで追放されるという悲劇に襲われました。


生まれ故郷を離れざるを得なかった娘二人の心境をおもんばかることは誰にもできませんが、日本を離れる時14歳だった妹のジェロニーマの嘆きと悲しみは海のように深く、生木を引き裂く悲鳴のような文章が残っています。


以下原文を私が現代語訳します。



おばあちゃんへ

日本が恋しい、恋しい。

ふとしたことで故郷を離れ、気が付くと二度と変えられない運命となってしまいました。

取り乱して、前後不覚。

目が腫れるほど泣いて、いま自分が夢の中にいるのか、現実にいるのかも分かりません。

茶包みを一つ送ります。

日本が恋しい。恋しい。





この他にも、ジャカルタに渡らざるを得なかったハーフの女性たちの悲痛な手紙が何枚か残っています。

それらはまとめて『じゃがたら文』(ジャカルタからの手紙)と呼ばれています。



前述の手紙もジェロニーマが書いたという説と、ジャカルタに追放された別の女性が書いたのではないかという説があます。



ジェロニーマの日本名はお春、マダレーナの日本名はお万。2人の母であった日本人女性は、洗礼名の「マリア」しか残っていません。


七つの海を越えて人々が行き交った大航海時代。


しかし自分の意志で世界を駆け回った人々だけではなく、ハーフというだけで外国に追放された者、奴隷として遠い国まで売り飛ばされた者、傭兵としか生きられず戦場を求めて海を渡った者など、様々な人間群像があった事を憶えておいて損はないでしょう。






ちなみにこのお春という女性。

21歳の時に、腕の良い航海士と結婚。7人の子供を産み、72歳で天寿をまっとうしました。


彼女の人生は幸せだったのでしょうか?

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