第21話 そんな英語ないある! チョバチョバ? パラパラ! ピジン語とクレオール語のお話

日本の漫画やアニメによく登場する中華娘。

なぜか語尾に「ある」が付きます。


「そんなわけないあるよ!」

「なにいってるあるか!」

「いい加減にするある!」


こんなしゃべり方をする中国人はいないと思いますが、なぜこんな言葉が生まれたのでしょうか。



さまざまな説がありますが、日本の港町にある中華街の中国人店員が使いだしたのではないかとか、旧満州国の人間が話していたところを日本人が聞いて小説や漫画に使ったのではないかと言われています。


このようにまったく異なる二つの言語が出会い、混ざり合ったとき、不可解で奇妙な言葉が生まれることがあります。


「接触言語」と呼ばれる言葉ですね。


異なる言葉を使う二人が意思の疎通を行おうとするとき、その場しのぎで言葉を並べて話そうとします。


特にその初期段階を「ピジン」とか「ピジン語」と言われます。


この言葉が生まれるときは、とにかく大急ぎで外国語を話さなければいけない状況です。


幕末の日本では日米和親条約が結ばれ、いくつかの港が開港されました。

地元の人から見れば、外国の船がたくさんの船員を乗せてやってくるわけですから、絶好の商機なわけです。


イギリスやアメリカの船が入って来ると聞けば大急ぎで英語を覚えます。

うまくいけば大儲けできますから、みんな必死です。

きれいな英語を話そうとか、笑われないようにネイティブ・スピーカーのように話そうなんて誰も思いません。


飯屋の女将や、駕籠かきの兄ちゃんたちが大急ぎで英語を覚えました。

そんなときに生まれる言語がピジン英語です。


アメリカの船が入って来ると、当時の日本人たちはこんな不思議な言葉を話していました。


「わりわん! わりわん!」

「かめや! かめや!」

「ちょば! ちょば!」

「ぱら、ぱら! ぱら、ぱら!」



何のことだが全然わかりませんが、なんとこれでアメリカの水兵や船員たちにちゃんと通じたんです。


「わりわん」は「あなたは何が欲しいの?」という意味です。

「What do you want?」 → 「わっでゅゆうぁん」 → 「わりわん」

「Come here!」 → 「かむひあ」 → 「かめや」

です。


こんなの通じたのか、と思ってしまいますが、母音の数もあっているし、ネイティブの人が早口でしゃべると、こんな風に聞こえなくもありません。


むしろ、中途半端に学校で英語をかじった現代人が英語をカタカナ読みして、

「ほわっと どぅ ゆー わんと」とか「かむひあ」と発音するより通じるかもしれません。


「ちょば」はいったい何でしょうか?

おそらく、中国語の「吃吧」でないかと思います。


中国語は世界中の港町で話されていたので、幕末の日本に来たアメリカやイギリスの船員たちはどこかで聞いたことがあったようです。

「吃吧」は、中国語で「たべなさい」という意味で「チーバ」もしくは「チョーバ」と聞こえなくもありません。

「チョバ」は英語ピジンにおいて「food」の意味で使われました。人間真っ先に必要なものは食べ物ですから、もっとも使われたようです。


では「ぱらぱら」は?


私も調べたのですが、よくわかりませんでした。

文脈のうえでは、「cook」「boil」の意味で使われたようです。

要するに「食べ物を作り、飲み物をいれること」を「ぱらぱら」と表現したようです。



それに似たようなのが

「arimas」ですね。

「あります」です。


人間が必要最低限度の交渉をするとき会話はたいてい以下のようになります。


疑問文「〇〇あります?」→ 肯定文「〇〇あるよ」か、否定文「ないよ」

これだけです。


だから、幕末の日本人は「あります」を連発したし、それに答えて外国人も「arimas」を真っ先に覚えました。




ここで幕末の横浜港にアメリカの船が着いた場面を思い描いてみましょう。


腹をすかせた若い船員が港に降りてきます。

商売の機会だと思った日本人たちがアメリカの船員に群がって客引きをします。


日本人   「わりわん! わりわん!」

アメリカ人 「ちょば! ちょば!」

日本人   「かめや! ぱらぱら あります!」

アメリカ人 「OK!」


こんな感じです。

これで通じたんです。


「本当かよ?」と思われるかもしれませんが、このようなピジンを集めた入門書が、

「Exercises in the Yokohama Dialect」(横浜なまりの練習)

という冊子に集められて残っています。

横浜に住む英語話者のために作られたのですね。


ご存知の通り、イギリスは世界中に植民地を作り「日の沈まない国」と呼ばれました。

その結果、英語のピジンは世界中で話されました。

ニューギニアにはニューギニアピジ英語が、カメルーンにはカメルーンピジン英語が、シンガポールにはシングリッシュが(シンガポールなまりの英語)が残りました。

南米のスリナムでは、オランダ語が公用語ですが、英語ピジンもたくさん使われています。



このピジンは「ジャルゴン」と呼ばれて忌み嫌われ、矯正の対象となりました。

戦前の日本では、旧満州国の言葉は「日本語の乱れ」として叩かれ、現在のシンガポールでは「きれいな」英語が話されています。



日本は幸い、欧米の植民地にならずに済みましたが、何百年も植民地にされ続けた国では英語やフランス語のピジンが使われ続けました。


そして、数代にわたって使われたピジンはやがて独立した一つの言葉として一つの文化を作り上げ始めます。


これが「クレオール」と言われる言語や文化で、クレオールによる歌や詞、そして文学作品がつくられ始めます。



例えば、カリブ海のフランス領で起こった『ネグリチュード』運動や東ヨーロッパのヴァインライヒ親子の『イ―ディッシュ研究』などがそうです。


もし日本がヨーロッパの植民地になっていたらどんな言語が話されていたのでしょうか?

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