第12話 長崎のユダヤ人
長崎県長崎市は坂と教会の多いことで有名ですが、ここは一時期、イエズス会の領土だったことがあります。
ここはもともと戦国大名、大村氏の領土だったのですが、熱心なキリシタン大名だった大村純忠がイエズス会に寄進をしてしまいました。
自然と長崎へは日本じゅうからキリスト教徒が集まってきます。いや、世界中から、と言った方が正確かもしれません。長崎には日本人のほかにポルトガル人や中国人、ジャワ人、マレー人など東南アジアの人々もいました。
その中でひと際目立つのが、商人ルイ・ペレスです。
ルイ・ペレスは1530年ごろにポルトガルの都市ヴィゼウで生まれました。
ご存知の通り、ディアスポラの後、ユダヤ人は世界中に散らばりましたが、ヨーロッパでは、東ドイツやポーランドに住むアシュケナジムと、イベリア半島に住むセファルディムが主だったユダヤ人の集団でした。
ルイ・ペレスは「コンベルソ」と呼ばれるユダヤ教からキリスト教徒へ改宗したユダヤ人でした。「新キリスト教徒」などという呼ばれ方もしました。
レコンキスタ前のイベリア半島では、もともとイスラム教徒とユダヤ教徒が入り乱れて暮らしていたことから、それらを排除するため、異端審問の嵐が吹き荒れていました。
そんな中、ルイ・ペレスは二人の子供を連れてインドのゴアに旅立ちました。おそらく異端審問を恐れての事でしょう。
ところがインドのゴアにも異端審問所がつくられ、ルイ・ペレスは同じインドのコチンへ逃れます。
コチンには豊かなセファルディムのコミュニティがあったのですが、ゴアの異端審問の手がこの街まで伸びると、更にルイ・ペレスは中国のマカオに逃れました。
ところがマカオにまでゴアの異端審問の手が伸びてきました。ルイ・ペレスは地元のポルトガル人コミュニティの有力者に庇われ、日本の長崎に逃げることになりました。
長崎での生活も決して安心できるものではありませんでした。家主との関係がうまくいかず、周囲のキリスト教徒たちは、生活習慣の違いから、ルイ・ペレスがコンベルソ(改宗ユダヤ人)であることに気付きます。
長崎にも住めなくなったルイ・ペレスはフィリピンのマニラに移住します。しかし異端審問の手はマニラまで追ってきました。
マニラで多くの密告をされたルイ・ペレスはついに逮捕され、財産を没収された上に投獄されました。
その後、ルイ・ペレスは、メキシコのアカプルコまで移送される途中に、太平洋上で病死しました。
ところで、ルイ・ペレスには、長崎で買ったガスパール・フェルナンデスという若い奴隷がいました。彼は豊後国から連れ去られた日本人の奴隷だったのです。どんな経緯で奴隷になったかは定かではありません。
ガスパール・フェルナンデスは異端審問でルイ・ペレスの日常の様子を証言しています。その結果、ルイス・ペレスは、マニラで逮捕・投獄されました。これは運命の悪戯としか言いようがないでしょう。
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