消えた労働者
アスパラ農園で働いていたTさん(20代 女性)がいなくなった。
よくある失踪なのだが、彼女の雇い主である農園の社長夫妻は「誘拐された」と言って譲らなかった。
社長は消える直前の彼女を見かけたそうだ。何処に行くのかと聞いたところ、彼女は普段と何ら変わらない様子で、
「生理が来たからナプキンを買いに行く」
と答えたらしい。
「あの子はナプキンを買いに行く途中で悪い人に誘拐された」というのが社長夫妻の言い分である。
娘のように可愛がっていたTさんを信じたい気持ちは分かる。しかしこれは本人の意志による失踪だ。それも、かなり悪質な。
社長夫妻は過保護だったようで、Tさんが買い物に行きたいと言えば徒歩数分の距離のスーパーでも毎回社長が車を出してあげていたそうだ。あえて「ナプキン」とした理由は、そう言えば男性である社長が気を遣って一人で行かせてくれると考えたからだろう。そして、社長は実際に彼女を一人で行かせた。
また、近所に住む人の話によると、当日Tさんは知らない外国人男性と歩いていたらしい。その男性は十中八九Tさんと同じ国の出身の失踪ブローカーだろう。失踪の手引きをし、危ない仕事を斡旋する集団が日本各地にいるのだ。
このように説明しても、社長夫妻はTさんの身を案ずるばかりだった。
そんなに可愛がられて大事にされているのにどうして失踪するのか、と疑問に思うかもしれないが、失踪する労働者の大半が入国前に「よし、失踪するぞ」と決意してから日本に来るのである。
入国したその日に空港でいなくなった、という酷いケースもある。
こればかりは予測も予防もできない。
慣れた雇用主だと逃げられないようにパスポートを取り上げておくという人もいるが、これは違法行為だ。
対策としては面接時に労働者の人間性を見極めるしかない。が、どんなに慎重に選んだとしても失踪される時はされる。純朴で素直な労働者でも失踪する。というより「まさかあの人が」というような真面目な労働者ほど失踪する。
Tさんも真面目で地味な女性だった。
だからこそ社長夫妻も可愛がっていたのだろうが、蓋を開けてみるととんでもなくふてぶてしい女狐だったというわけだ。
後日、彼女の部屋から宅配便の伝票が見つかった。必要な物を事前に失踪先へ送っていたのだろう。
それを見ても社長夫妻は「Tちゃんは悪くない」と言うのだから、実にうまく騙したものである。
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