発音の功罪

 私が関わってきた労働者の多くは「つ」の発音が上手くできなかった。

「つ」ではなく「ちゅ」という発音になってしまう。


 そのような発音について、どこまで矯正するのかという問題がある。私は基本的に、弁別的特徴がなければ訂正しない。

 どういうことかというと、「つ」であれ「ちゅ」であれ、両者に意味の違いがなければ訂正しないのだ。例えば「あいさつ」と発音すべきところで「あいさちゅ」と発音しても何ら問題はない。「あいさちゅ」という言葉に意味はないので、日本語が堪能な人間であれば「あぁ、挨拶ね、はいはい」と理解できる。しかし、「痛感」と言ったつもりで「ちゅうかん」と発音した時には訂正する。「ちゅうかん」は中間や中韓といった意味を持つからだ。


 ある日、ひとりの男性労働者が浮かない顔をして事務所にやって来た。話を聞くと、昨晩国にいる家族に電話したところ、とんでもない事実を突きつけられたのだそうだ。それで誰かに話を聞いてほしくて事務所に来たのだという。


「妻が、何か月も前からギャンブルにはまっていたそうで……毎日ギャンブルをするために息子を母に押し付けていたみたいです。国へ帰ったら、妻とは離婚するつもりです」


 悲劇的な話である。悲劇的なのだが実際に私が聞いたのは、こうだ。

「ちゅまが、何かげちゅも前からギャンブルにはまっていたそうで……毎日ギャンブルをするために息子を母に押しちゅけていたみたいです。国へ帰ったら、ちゅまとは離婚するちゅもりです」


 彼の話す内容は十分に理解できた。最悪な状況であることも把握できた。しかしながら発音に集中してしまい、その悲壮感が薄れてしまったのだ。

 外国人の発音を面白がって茶化すわけでは断じてない。ないのだが、特にシリアスな内容の話をする時には正しい発音が必要だと感じた。これが私の発音指導に影響を与えたのは言うまでもない。


 ちなみに、ギャンブル妻は彼が帰国する前にどこかへ逃げてしまったので煩わしい離婚の手順を踏まずに別れられたのだそうだ。

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