初めての漢字

 一時期、東南アジア出身の労働者が妙に熱心に漢字を勉強していた。それも日常生活では何の役にも立たないような、とある国の名前である。


 それは「中国」。


 現在はどうか分からないが、当時彼らの国では中国産の食べ物に対する信用がなく、大都市では不買運動も行われたそうだ。

 そのため、日本のスーパーでうっかり中国産を買ってしまわないように、「中国」という漢字を覚えたかったらしい。私が事務所のホワイトボードに書いた「中国」を一生懸命ノートに書き写して、何度も何度も練習していた。


 ある日、上司から買い出しを頼まれて近くのスーパーへ行った時の事。

 野菜コーナーで一人の労働者が何やら考え込んでいた。私が声をかけようとすると、横から来た50代くらいのご婦人がすっと彼の隣に立った。


 彼は手にしていたにんにくをご婦人に向けるとゆっくりと裏返した。


「中国のにんにくです」


 ご婦人は、


「中国のは買いたくないけど、日本のは高いのよねぇ」


 と、知らない外国人に話しかけられたとは思えない程落ち着いた様子で答える。その後二人は他の野菜の産地についてあれこれと話し始めた。

 共通の敵がいると短時間でこうも打ち解けられるのか、と私は一人感動した。


 労働者の中国産不買運動はそれからもしばらく続いた。

「雪の宿」に使われているお米が中国産だと知った労働者が発狂した話はまた別の機会に。

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