日本人あれこれ

魔女

 愛知県には魔女がいる。

 日本人で、年齢はおそらく四十代半ば。

 具体的に愛知県のどこに居るのかというと、とある男性労働者たちの寮である。それも、夜にだけ現れるのだ。


 ほぼ毎日午後八時、労働者たちが夕食を終えた頃にやって来る。そしてそのまま十一時過ぎまで居座るのだという。

 別に彼らが招待しているわけではない。むしろ迷惑なのだそうだ。

「昨日も来ました。私たちはとても疲れますよ」と彼らから相談を受けた。


 初めのうちは彼らも日本語の練習になるからと、お茶を出したり国から持って来たお菓子をあげたり、それなりにもてなしていたそうだが、毎日来られるものだから誰も相手にしなくなりとうとう魔女が一方的にしゃべるだけの状態になった。ちなみに魔女の近くにいるとネタネタと体を触られるので、寮での魔女はモーセ状態でもあるらしかった。


 ところでどうして魔女なのかというと本人がそう名乗ったからだ。

 正確に言えば美魔女らしいのだが、「美」に対して彼らは賛成しなかった。彼らに言わせると「たくさんの化粧と香水をしているうるさい人」だそうだ。


 迷惑なら追い帰せばいいのだが、魔女はどうやら彼らと同じ会社で働いているようだった。そこは外国人労働者、彼らの立場では追い帰せないのだ。

 会社での立場を利用して労働者にセクハラをするというのは労働者が女性の場合がほとんどなのだが、このように男性でも標的にされることが稀にある。


 もはや痴魔女である。


 相手が女性とは言え、男性労働者が被害者にならないわけではないし、もしかすると無理やり加害者にされる可能性だってある。そこで、労働者に代わり彼らの上司に相談した。


「うちはパートさんも入れると百人以上の従業員がいるから、誰なのか今すぐには特定できないんだよね。でも今後は居留守使っていいから部屋に上げないようにって言っといてくれる?」


 そして、居留守を使う日はすぐにやって来た。


 午後八時を少し過ぎた頃、寮のインターフォンが鳴る。いつもならそこで誰かが扉を開けて迎え入れるのだが、その日は誰も動こうとしない。息を殺してじっとしている。もう一度インターフォンが鳴らされた。古いアパートなので「ピンポーン」ではなく「ビー」というブザー音である。もちろん誰も反応しないが、部屋の明かりがついているため痴魔女は諦めない。

 そのうち鈍いブザー音が激しいノックの音へと変わった。痴魔女も何やらわめいている。


 嫌な状況になってきた……と全員が次の一手を考えていると、外からドタドタと大きな足音に続いて男の人の声が聞こえた。


 彼らの上司だった。相談を受けたその日の夜から毎日、寮の周りをパトロールしていたそうだ。

「捕まえて問い詰めたらあっさり謝ってきたからさ、今回は警察には通報しないことにしたよ。今後一切あいつらの寮に出入りしないっていう約束もさせたし」


「それで……彼女はクビになるんですか?」


「あぁ! それがね、うちの会社の人じゃなかったんだよね」


 なんと痴魔女は嘘をついていたようだ。同じ会社だということにしておけば労働者は警戒しないし、何より強く出られないということを分かっていたのだろう。

 結局彼女がどこの誰なのか分からないままだが、労働者は平和な夜を取り戻せたのである。


 ところが数ヵ月経って、同じ市内にある別会社の男子寮に日本人女性が入り浸っているらしい、という噂を聞いた。

 魔女は今、おそらく五十代であろう。いまだに健在である。だって魔女だから。

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