最終回「私は幽霊」

 粕谷かすや十朗じゅうろうの事務所は駅から歩いて五分ほどの場所にある。


 その外観は大正時代のような古めかしいデザインの二階建てであった。出入り口の扉、脇には錆び付いた自動販売機とダイヤル式の公衆電話。周囲の風景から浮いた存在感のある建物であった。




「うちの事務所に来れる人はそんなにいないよ」

 粕谷さんはトースターから焼きたての食パンを取り出しながら言った。


「え? そうなんですか?!」

 私もテーブルの中央に置いてあるトースターからパンを取る。二枚しか同時に焼く事の出来ないレトロなトースター。


「うん。赤宮あかみあさんみたいに幽霊体質の人なら来れる。あと霊感が非常に高い人とかも入れるんじゃないかな?」


 テーブルには目玉焼きとソーセージ、レタスにトマトの輪切りが一皿に盛り付けられていた。彼はそう言うと食パンをちぎり、目玉焼きの黄身へ押し付けた。半熟の黄身はぬめりとパンに染み込む。


「じゃあ、普通の人からは……建物は見えているけど、全然気にならない。まるで私が体験していたみたいな感じですか?」

 私は食パンにバターを塗るのを忘れ、粕谷さんの顔を見つめた。


「さすが赤宮さん。飲み込みが早い。そう、この建物全体が幽霊みたいな、あやふやな存在なのだよ。町の人々は視界に入っているはずなのに、すぐ忘れてしまうようだ。この土地や物件もある方の持ち物であったが、もうこの世にはいない。本来なら遺産相続などで他の人に渡るはずだが、役所の人たちを含めすべての人たちは存在自体をすぐに忘れてしまう。気付くが気にしない存在と言えよう」


 粕谷さんが生き生き話している時は少し怖い。目がギラギラとしているし一番大切な事は言っていない気がするからだ。


 だからと言って彼が悪い人に見えないのが不思議だ。




 玄関の方から扉が開く音が聞こえた。その音は遠慮の知らない音と言えよう。ギシギシと廊下を鳴らし、大男が入ってきた。そう江田えださんだ。


 肩に瓶ビールのケースを抱え私達に挨拶をする。


「おはよう。旦那にお嬢ちゃん」

「おはよう。江田。そのケースはなんだい?」


「あぁ、ちょいとビールのストックだ。地下室は冷えてるから、そこに置かせてもらうぜ」

「まったく……うちは冷蔵庫じゃないんだぞ。まぁ、かまわんよ」


 苦笑を見せる粕谷さんに軽く礼を言い、地下室の扉を開け姿を消した。



「あ、あの……江田さんも幽霊なんですか? それとも霊感が強い方?」

 私は淡々と食べ物を口に運ぶ家の主に聞いた。


「江田か……。彼は幽霊ではないよ。かといって霊感が強いわけでもなさそうなんだ。直接本人に聞いた事はあるんだがね。どうして私やこの建物にアプローチできるのかって」


「それで、なんて言ってたんですか?」


 粕谷さんはコーヒーを一口飲んでから答えた。


「俺は魔法使いだから、なんでも出来るんだってさ」


 はぁ、はぐらかされたのですね。

 粕谷さんも謎だらけだけど、あの人も相当なものね。



 地下室から上がって来る江田さんが見えた。彼はそのまま私達のテーブルに着く。


「どうだいお嬢ちゃん。もう幽霊生活にも慣れたかい?」

「は、はい。普段通りで逆にそれが不安です。今もこうして朝食を食べていて」


 自分の前にある目玉焼きやトーストを目にする。本当にいつも通りの生活。ただ、そこにもう家族や学校、社会と関係が無くなっただけ。


 粕谷さんの視線を感じる。


 ふっと彼を見ると優しい顔つきで私を見ていた。


「ほんで。旦那はこのお嬢ちゃんをどうするんだ?」

 

 大柄の男の意見はもっともで、私もずっと気になっていたが切り出せずにいた質問だった。



「私の助手になってもらっている」

 彼はさらりと言いのけた。助手ってなんの?どんな手伝いをすればいいの?


「えっと、私でよければ手伝わせてもらいますが、そんなに難しい事はできませんよ」



「その点は問題ない。もう既に立派な助手として役立っている」



 私の目が点になっていると自分でも理解出来た。

 

 隣にいる江田さんは「なるほどなぁ」と納得する声を上げる。






粕谷さんは得意げにこう言った。


「私は幽霊作成実験をしている。そう赤宮さん。あなたは貴重な存在なのだよ」




「……それで私は何をすれば良いのですか?」

「ふむ。何もしなくて良い。普段通りの生活を送ってくれれば良いのだ」




「本当にそれだけで良いのですか?」

「観察は重要な実験内容だよ」









幽霊作成実験 ー完ー

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幽霊作成実験 ゆうけん @yuuken

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