第八話「私は新しい世界を垣間見る」

 事務所の二階も木造りのシックな作りだった。


 洋風でベッド以外は靴で移動する。日本の生活では馴染みがなく、海外に旅行に来ている気分になる。


 江田えださんが荷物を運んでくれた。レイアウトのセンスが良く、ベッドも小さな箪笥も、冷蔵庫も、もう動かす事はないだろう。


「適当に置いといたんで、後は使いやすいように調整してくれ」


 とんでもない。これ以上のレイアウトはないだろう。私は丁寧にお礼を言って、満面の笑みを披露した。


「不思議なお嬢ちゃんだぜ。粕谷かすやの旦那といい、幽霊が生き生きとして見えるぜ」


「か、粕谷さんも?」


「んぁ? 知らなかったのか? まぁ良いか。詳しくは本人に聞きな。別に隠している訳でもないだろうし」


 粕谷さんは一階にいるはずだ。私は居ても立ってもいられずに駆け降りた。





「どうしたの?」

 蓄音機の調整をしていた粕谷さんがそこにいた。


 ずかずかと彼の目の前に立ち、手首を掴んだ。確かに掴んだ。感触がある。生きている暖かさがある。脈打っているのだ。


 彼の表情はきょとんとしている。ジッと掴み続ける。彼は特に何も言わない。


 静寂を破ったのは大男の一言だ。


「すまねぇすまねぇ。旦那が幽霊って事、知ってると思って」


 私は我に返り手を離した。


 粕谷さんは江田さんを見ながら「あー。そういう事ね」今度は私は見る。


「ちょうど今から話そうと思ってたんだ」

 ニッと彼は口元を上げる。


「その話題に合うレコードを探していたんだが……」


 大男がのしっとソファに座り、口を挟んだ。

「ヴィヴァルディの第四楽章だ」


「お前、テキトーに言ってるだろ?」

「いや、大真面目だ」


「で? どの第四楽章だ」

「春でいいんじゃね?」


「ほら、テキトーだ」






 結局、蓄音機から流れたのはガブリエル・フォーレだった。曲はシシリエンヌ。



 私はバロック調の椅子に座り、皮ソファには江田さんがずんぐりと大股を開け、粕谷さんは紙や本が山積みになった事務用の机に腰かけコーヒーカップを持っていた。


 ちなみに江田さんは缶ビールを持っている。


 私は小皿の上にあるカップを見つめながら、この椅子もレプリカじゃなくて本物なんだろうなと緊張していた。


 昼に初めて訪れた時は気にもしなかったが、どれも骨董品でいいお値段しそうだ。




「まず、昼に渡した鈴から話そうか」


 粕谷さんは胸ポケットから鈴を出した。私が渡された物と同じように見える。私も鈴を出し、まじまじと見つめた。


 なんの変哲もない鈴だ。安物のような光沢はなく、鈍く光っている。


「この鈴はあの猫が付けていた鈴なんだ」


 棚の上を指さす。そこには昼に会ったブサイクな猫が丸くなっていた。こちらを見る事なく目を瞑っている。


「私も赤宮あかみあさんもあの猫の力で存在している」


 江田さんが缶ビールを机に置く。カンっと空になった事を証明する音を立てた。


「つまり、おめぇさん達の本体ってことだ」

 二本目のビールに手をかけ言った。


「本体ですかぁ。あの猫さんは何者なんですか?」

 猫を見ると耳が動いている。こちらの話を聞いているようだ。


「あの猫は俗に言うと妖怪みたいなモノだよ」

 そう言いながら粕谷さんは猫の方に歩いて行く。


「赤宮さんは猫又って知ってるかい?」


 一般的には長生きした猫が妖怪になる伝説をいう。尻尾が二つに分かれる事から又と付く。家で飼っている猫は十年以上人間の言葉と生活する事により、言葉をある程度理解できるとも聞いた事がある。


 私が知っているのはこれだけだ。幽霊との関係なんて知らない。


「お嬢ちゃんは妖怪には詳しくないよーだな」

 いっきにビールを飲みほす江田は続けた。


「まぁ、一般的に長寿な猫が妖怪になるって分かってりゃ良い。昔の書物にも出てくるが、ありゃ人食いの類いだから今回は関係ねぇ」

 粕谷さんが猫を抱えて戻ってきた。


「今の赤宮さんなら見えるだろう? 二本の尻尾」

 たしかにじっくりと凝らして見れば、薄っすらと見える。猫は面倒臭そうな顔で私を瞳に写した。


「この猫さんは名前は何ていうんですか?」


「名前は無いよ」

 笑顔で言う粕谷さんを見上げながら猫は鳴いた。


「ん? あぁ。ご飯の時間だったね」

 そう言って猫を抱えたまま台所へ向かってしまった。



「しゃーねーなー。猫については俺が簡単に説明するか」

 デタラメに大柄な男は靴を脱ぎ、ソファの上で胡座をかいた。


 私が間抜けな顔でもしていたから気を使ったのだろう。

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