冬:出会わなければ彼は幸せだったかもしれない
空虚な空間に沢山の人が出入りする。病院のベンチに腰掛ける私の前を医療従事者と呼ばれる人々が忙しそうに歩いている。でも、灰色の世界にいるのは私だけだった。
パーティーが終わったあの夜。
暴走したバスが私と和也を直撃し、和也は私をかばって重症を負い、今私の隣にある病室の扉の向こうで死人のように静かに眠っていた。事故から早1週間が過ぎているが、事件の夜から一度も目を開けていない。和也の容態を見た和也の父親曰く、目を開けるまで油断できない状態で、目を開けても脳に強い衝撃が加わったせいで障害が残ってしまうことも視野に入れなくてはならないと言っていた。言語障害、運動障害、記憶障害・・・。
少なくとも、何の障害も無しにこれからの生活を営めることは・・・。
「あんたが近くにいたから、和也くんがこんな目にあったのよ」
ふとその声に顔を上げてみると、そこにいたのは和也を親しく思っているであろう同級生の3人だった。
「商店街付近でも事故に遭って、その時も和也くんに助けてもらったんでしょ?あの時無傷だったのが奇跡だったのよ」
「持田さんの近くにいたら、事故に遭っちゃう」
何も言い返せない。彼女たちの言う通りだ。
私がさっさと帰っていれば、和也が事故に巻き込まれることはなかった。
私があのパーティーに居なかったら、事故に遭うことはなかった。
私が和也に出会わなければ、こんなことにはならなかった。
所詮、彼と私は相入れぬ人間だったのかもしれない。そう、強く思うようになった。
彼女たちが後にした病室の扉を開けると、ベットサイドに和也のお母さんの姿があった。
毎日ずっとこうして和也のそばにいてその目が開く時を待っている。
「少しは休んだのかしら?ずっと和也のそばで看病してほとんど寝てないでしょ?」
ベットをまたいで反対側のイスに腰掛けると、優しい笑みで声をかけてくれる。
「・・・彼がこうなってしまったのは、私のせいですから」
目を開けたくても開けられなくて、ずっと眠っている彼の苦痛からしたら寝不足なんて大した問題じゃない。目が覚めたって以前の生活に戻れるかだって分からないのに。
「・・・事故はあなたのせいじゃないの。そう言ってるでしょ」
「いえ。以前にだって私は事故に遭って和也さんに助けてもらってもいるんです。同じことが続けて2回も起こるなんて・・・」
なんでこの人は私を責めないのだろうか。自分の息子がこんな姿になって、その理由が私をかばったからなのに。その本人が目の前にいるのにどうして優しい言葉をかけてくれるの?
「そういえば、そんな話をさっきの子たちがしてたわね。でも誰かを責めた所で和也が目を覚ますことはないし、和也もそれを望まないと思うのよ」
「・・・?」
「だって逆を言えば、2回もあなたをかばったのよ。そんなあの子の心を否定するようなことを私も主人もしたくないわ」
強い人なのだと、この時思った。
そして和也のことを信じている。だからこそ私を受け入れてくれる。
私には眩しすぎる。
「・・・」
でも、和也が事故に遭って重症という事実は覆らない。
その時、和也のお父さんがお母さんのを手招きし、病室は私と和也の2人になった。
とても静かな空間。
今この病室にいるのは私と和也のはずなのに、音が消えたかのように何も聞こえない。
ねぇ、和也。今あなたはどこにいるの?
もしも、私に出会わない道を進んでいたら今頃どんな世界を見ていたかな。
多分、その方が幸せだったかもしれないわね。
『・・・よいお年を』
『あぁ。よいお年を』
あの会話が嘘のよう。
「っ・・・っ・・・」
ごめんなさい。今言ったって遅いことは分かっているけど、でも。
血の気のない顔は微動だにしない。
「ニャー」
そんな時だった。いもしないはずの声が病室に響いたのは。
「黒猫ちゃん・・・?」
和也の足元に目を向けるとそこにはあの黒猫ちゃんの姿があった。
ここ病室よっ。
「どうしてあなたがここにいるのっ?ここは病院なんだからダメよっ」
間違いない。いつも土手で会う黒猫ちゃんだ。でもここは病院の4階よ。
「ニャー」
もちろん彼女は「ニャー」しか言わない。それはそうと急いで外に出さなくちゃっ。
彼女の胴体を持ち上げて抱き上げようとしたその時、カプ、と黒猫ちゃんに鼻を噛まれてしまった。
「痛っーーーー」
でも次の瞬間、私の意識は闇へと落ちていった。
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