春:対面

 ニャー。

 猫の鳴き声だ。

 重たいまぶたを開くと、そこには何1つない真っ白な世界が広がっていて、目の前には黒猫ちゃんが座っていた。

 しゃがんでその頭を撫でると、黒猫ちゃんはゴロンと転がりふかふかな腹もとをこちらに見せた。

 ニャー。

 再びその鳴き声を響かせると、スッと立ち上がって歩みを進ませた。

「あっ・・・」

 スタスタと歩いて行く黒猫ちゃんを目で追っていくと、やがて人間の足下が見えてきた。その足下で黒猫ちゃんは立ち止まる。

 同じ空間に誰かいるのだろうか。

 ゆっくりとその足下から上に辿っていくと、そのにいたのは・・・。

「な・・・んで・・・ここ・・・に」

 あの時のまま。記憶の中で生きているあの姿のまま。

 忘れもしない両親の姿がそこにはあった。

「何をし来たの?」

 ある時期から両親のもとを離れ、施設で育った私は施設を出てから今に至るまで一人暮らしで、両親とは会っていない。

 怖いから会えないのか。いや、そうではない。

 長い施設生活の中で、少なからずとも人の温かみに触れた。そんな時、両親の姿を思い出してとてつもない失望を感じた。

 それと同時に、まだ両親にも温かさが残っているんじゃないかと期待している自分が心の中にいる。

 だからこそ、両親に会ってそんな自分を失望させないように、会わないことを決めたんだと思う。まるで他人事のようだが、私はもう過去は振り返らないと決めている。今を生きる私には関係ない。

「何か話したら?」

 どういう訳か、彼らは言葉を発しない。

 ま、いっか。

 しかし、そんな彼らのうち母親が口を開く。

 何を語るのか。

 だがその時、右腕が何者かによって強く引かれた。




「っ・・・」

 ひどく頭が痛む。暗闇の海から引きずり上げられた私が最初に見たのは見知らぬ天井だった。

 そして、次に感覚が捉えたのはフカフカな布。首を動かせば殺風景な一室だということに気がついた。

 緩やかな風になびくカーテンは、私の中で覚えのある凶暴な風のなびき方とは大違いだ。

 あれ、でもここはどこかしら。

「・・・・・・・・・おい」

 あー。頭がぼーっとしてる。どうしてここにいるのか考えようと思うけど、どうも意識が曖昧だ。

「・・・おい」

 そういえばさっきの夢みたいなものはなんだったのだろう。両親を見たのは随分久しぶりだった。けど、所詮は夢の中の姿。幼い私が見た姿に過ぎない。

「おい」

 けど、最後に腕を引っ張ったのは誰?。

 しかし、その時唐突に殺風景だった天井に1人の青年の顔が現れた。

「持田実咲。意識はあるか」

「・・・へ?」

 一体何?。近い歳に見えるけど、知った顔じゃない。

「どうしてここにいるか、分かるか?」

 それが思い出せたら苦労しない。首を2回ほど左右に振る。

 そんな時、白衣を着た男性が入ってきた。

「良かった。目を覚ましたようで。和也、後は頼んだよ」

「おう。ありがとな、親父」

「病院では”先生”と呼びなさいと言ってるだろ」

 そんなやりとりを終えた後、男性は部屋を後にする。

 白衣を着て、首からは聴診器を下げていた。それに私が横になっているこのベット。学校で使っているものとよく似ている。つまりここは・・・。

「ここって、病院?」

 ゆっくりと上半身を起こして改めて室内を見回す。

「あぁ、大学付属病院だ」

 そしてこの人は誰だ。さっき医師らしき人物を「親父」と呼んでいたけど。

 そんな私の視線に気がついたのか、青年は首をすくめて口を開いた。

「俺は医学部2年生の柊和也だ。お前、看護学部2年の持田実咲だろ?」

「そうだけど。それで、どうして私がこうなっているのか知ってる?」

 いつも通りに返したつもりだったけど、どういう訳か柊さんはスッと目を見開いた。

 あ。私がここにいるということは身体に何かしらの異変が起こったからで、彼がここにいるのはその看病をしてくれたから。少し冷めた口調だったなと反省する。

 しかし。

「知ってるも何も、お前車にひかれかけたんだぞっ」

 私の予想を大いに反し、柊は堪えていたらしい笑いをこらえきれず肩を震わせていた。

 私が車に?。

 ・・・あ、思い出した。黒猫ちゃんを撫でてたら車が突進してきて、その後は・・・どうなったんだろう。けど、見る限り怪我はない。

「まさか、猫をかばうなんてな。俺がいなきゃ死んでたぞ」

「助けてくれた・・・の?」

 身も知らずの私を命を張って。

「大したことじゃない。俺のスピードなら間に合う場所だったし。それに。俺が勢い良くお前を突き飛ばしたせいで、お前は頭を強く打って気絶しちまったし」

 なるほど。それで私はここにいると。しかし、いくら間に合うと確信したからといって、知らない人を助けるものなのか。ヘタをすれば死んでしまうし、助けたからといって、私に返せるものは何もない。

「猫も無事だ。お前のおかげでな」

 本当にわからない。この男の考えていることが。

「・・・ありがとう」

 とにかくこの男・・・いや柊さんのおかげで私は助かったことだけは分かった。

 ふと窓の外に目を向けると、山の中へと今にも沈みそうな夕日が濃い茜色の空を作り出していた。

「私、もう帰るね。お世話になりました」

 フカフカの布団から足を出してベットの下に置かれた靴を取り出していると、柊さんが声をかけてきた。

「送ってく。途中で倒れられても困るしな」

「いやいい。1人で帰れるから」

 近くにあったカバンを手に取って病室を後にした。

 しかし、廊下を歩いていると

 前方から警察官と思しき男が2人やってきた。

 私の顔を見るなり互いに顔を見合わせて私の前で立ち止まる。

「持田実咲さんですか?」

「はい、そうです」

「警察です。事故について、色々とお話を伺いたいのですがこの後よろしいですか?」

「は、はい」

 そういえば、事故に遭ってたんだ。警察に届けやら色々とあった。

 結局、その後は加害者との対面等で時間は過ぎ、話は私の治療代を支払ってもらうことで落ち着いた。

 家に着いたのは21時頃。2年生初日から踏んだり蹴ったりだった。

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