秋:受け止めるということ

 夕暮れ時の土手は茜色を反射した川が輝きを放っていて美しい。

 なんやかんやで土手にやって来ると黒猫ちゃんは柊が持っていた猫じゃらしでじゃれ始めた。

「ここ」

 そんな中、柊は自分の隣には座るように手で促した。

 隣に座れってか。

 特に断る理由もなかったので、隣に腰を下ろす。

 すっかり冷えた秋風がふと髪をなびかせた。

「ここ最近、忙しかったんだろ?」

 黒猫ちゃんの見事な猫パンチが決まったところで、柊が口を開いた。

「まぁね。今日でひと段落ついたところよ」

 実習は今日が最終日。明日からは授業が再開し、いつもの生活が始まる。

「黒猫ちゃんにも会えなかったし。柊はずっと来てたの?」

「俺は何も変わらない。いつも通りだったぜ」

 いつも通り、か。

 でも今、私の目の前に写る柊の姿は私の知るその姿とは違う。見た目が変わった、というよりもその雰囲気が変わったように感じる。

「・・・あなたも大変だったのね」

「は?」

「お疲れ様」

 自己完結って清々しい。そんな事を思っていると、隣から「くっくっくっ」と笑い声が聞こえてきた。

「特に大変だとは思わなかったが、まぁ色々あった」

「ニャー」

 黒猫ちゃんが柊の膝にきてグルーミングを始めた。

「来年の春から留学することになった。その準備やらでバタバタした」

「留学かぁ。いいわね」

 広い世界を見るって素敵。

「あぁ。外の世界に出るのは小さい頃からの夢だったからな。今からとても楽しみだ」

 夢・・・か。

 そんな事、考えたことはあったかな。

「だから、来年の春からしばらく会えなくなる」

 ズキンと胸が痛い。無意識に両手を胸の前で組んでいた。

「そう・・・。頑張ってね」

 頑張ってほしい気持ちはもちろんある。けれど、その言葉を聞いてどうしてか胸が苦しい。

 心臓に異変でも起きたのかな。

 脈は・・・正常。呼吸も安定している。あれ?。

「何してんだ?」

 突然脈を測ったり、呼吸を測り始めた私に首を傾げる柊。

 ごく真っ当な反応だ。

「いや、なんでもないよ」

 落ち着け、私。

「・・・会えなくなるから、伝えなきゃいけないことがある」

「私に?」

 珍しい。

 すると、柊はじっと私の目を見つめた。迷いのないその瞳から逃げようとしても、そらすことが出来ないほど、その瞳は真っ直ぐに私の視線をつかんでいた。

「俺のものになれよ、実咲」

 ・・・は?。

「・・・へ?」

 言葉が頭に入ってこない。え、どういうこと?。

 ポカーンとしているわたしの顔がよほど面白かったのか、柊はプッと笑みをこぼした。

「お前の事が好きだ。こう言えば分かるか?」

 好き?。私のことが?。

「え・・・えっ・・・えーーー?!?!?!」

 少し簡単な言葉になってやっと分かった自分を恥じるより、その意味に対して驚きの方が優ってしまった。

 好きってあの好き?。本の中で見た男女の恋仲の?。

「あなたが私の事を・・・?」

「そう言ってるだろ?」

 私を好きだと言ってくれるその気持ち。

「・・・私のことを・・・」

 でも、それが一体何なのかが分からない。好きって何なのだろう。

 人を愛するって、何だろう。

 なんで、私はこんなにも驚いているんだろう。

「どうしよう。・・・分からない。どうしてこんなに胸が苦しいの?」

 脈が早く打っているのが分かる。やっぱり病気なの?。

 すると、柊はポンと私の頭に手を乗せた。

「知らないことは知らないでいい。これから知っていけばいいんだ。お前は俺の事をどう思っている?」

「柊は柊よ」

「しばらく会えなかった間、どう思った?」

「とても充実していて、どうとも思わなかったわ」

「じゃあ・・・」

 すると、柊は頭から手を離した。

「今、どう思った?」

 心地よい温もりが離れていった。

「・・・寂しい」

「どうしてそう思ったと思う?」

 どうして寂しいと思ったのか。それは。

「好きだからよ」

 迷いもなく発せられたその言葉に、私は口を手で覆った。

「好き・・・だから・・・」

 柊は優しい笑みを浮かべる。

「でも、私はそんなこと思ったことがない。どうして・・・どうして私はっ」

「俺の気持ちを受け止めようとしているから、胸が苦しいんだ」

「受け止める・・・?」

 柊が好きだと言ってくれたその言葉を、その心を受け止めようとしている。

 どうして受け止めようとしているのか考えてみる。

「・・・」

 あぁ。やっぱり分からない。

 感情が乏しいって、こういうことなのかな。自分の気持ちでさえ分からない。

 しかし、ふと左手に温もりを感じた。

 目を向けてみると、柊の大きな手が私の小さな手を包み込んでいた。まるで、自分の存在を示すように。「ここにいる」、と言っているかのように。

「あっ・・・」

 分かった。

 1つ1つの言葉、気遣い。

 それらが分からないうちに私の中で温かい光となって溜まっていった。けど、人と関わることが怖くて、信じられなくなって、そんな光にも蓋をしていた。

 蓋をゆっくりと開けてみる。

 すると、中からはあふれんばかりの光の粒が、真っ暗だった空間を満たしていった。

「・・・・・・私も好きよ。あなたのこと」

 やっと分かった自分の気持ち。

「ありがとう」

 決して1人で気付けなかった。

 あなたがいてくれたから。

「遅せぇよ」

 そっと頭の後ろに手を回され、目と目が合う。

 でも、もうそらしたいなんて思わない。

 柊の膝で眠る黒猫ちゃんを前に、私は身を任せるがままに彼からの口づけを受けた。

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