夏:交錯する過去
1年生の時よりも濃い授業が始まり、毎週のようにある小テストをくぐり抜け、ひと息ついたかと思えば怒涛のようにやってくる学期末テスト前の7月後半。昨年までだったら1人静かに過ごしていたのだが、今年は違った。
「ニャー」
山からの強風の嵐が終わったかと思えば、今度は7月とは思えない蒸せかえるような暑さが襲ってくる。こういう時に限って風は吹いてこない。
「ニャー」
黒猫ちゃんはすっかりと夏毛になり、薄くなっているがモフモフは変わらない、今までは1人でモフモフしてたのに・・・。
「よーしよし」
今、私の隣にいるのは黒猫ちゃんをモフモフ撫でる柊さん改め柊。
この土手で初めて会ったあの日以降から毎週のようにこの土手で顔を合わせるようになっていた。もちろん、私は意図的ではない。
「ん、そんなに触りたいのか?」
私の視線に気がついた柊は、「自分の隣に座れば?」と言わんばかりにスライドするように移動する。
「・・・いや、いい」
何を考えているのか、相変わらず分からない。
黒猫ちゃんは柊にすっごく懐いて、もうメロメロだ。
「私、もう行くから」
私がキャンパスに向けて歩きだすと、黒猫ちゃんは「ニャー」とお見送りをしてくれる。それだけは変わらない。
あー。空が青いな。心ばかしか昨年よりも清々しく感じる。
変なの。
けれど、その日の夜。
ポストに入っていた郵便物の中に、恐れていた名前があった。
「・・・おか・・・さん」
差出人のところに書かれていたのは私の母の名前。震える手をもう片方の手で押さえて、机に向かった。
今更何の用だろうか。いや、どうしてこの場所が分かったのか。
切手が貼られてないことから、直接入れに来たのだ。
落ち着け、落ち着け。
ゆっくりと封を切り、中身を確認していく。入っていたのは真っ白な紙にきれいに書かれていた1枚の手紙だった。
そこに書かれていたのはたった1文。
『あなたに会いたい』
「・・・」
もし、私が親の虐待を受けてなくて、親に見送られて一人暮らしをしていたら、親の身に何かあったんかと心配する文面かもしれない。でも私は違う。
「何を今更」
あんなことをしておいて、今更会いたいだなんて。
会いたい・・・なんて。
心はとっくに決まってるはずなのに、手が震えている。そして、ぐにゃりと視界が歪む。
「えっ・・・」
ポタッ。白の紙に滲んだ一滴の雫。それが自分の頬から伝っていることはすぐに分かった。
まさか、会いたいの?。
そして、最後に紙の端に小さな文字で「夏祭りの日に会いに行きます」と書かれていた。
夏祭りの日。1週間後に大学のある町で大きな夏祭りがある。
身勝手だ。こっちの予定も知らないで。会うとは言ってない。
でも会えるんだよ?。お母さんに。
「・・・」
手紙を封に戻して、そのままカバンに入れた。
「ニャー」
翌日。土手で黒猫ちゃんと再会し、今日は柊もいないから1人で黒猫ちゃんを独占していた。けど。
「よう」
いつもなら来ないはずの柊がやって来たのだった。
「・・・どうして来たの?」
「教授に呼ばれたから。・・・ん、どうした。体調でも悪いのか?」
くそ。こいつ鋭い。
「別に」
「何だよ」
面白くなさそうに柊は私の隣にしゃがんで黒猫ちゃんをモフモフする。
「お母さんが会いにくるの」
しかし、無意識に口が開いた。思わず両手で口を塞いだ。
なんで。この人に話すようなことでもないし、何より関係ない。
「へぇ。よかったじゃねぇか」
けど、そう話した時少しばかりだけど心が軽くなったように感じた。
「・・・ごめん。変なこと言った。気にしないで」
少し早いけど学校に行こう。そう立ち上がったが、すぐに動作は止まった。
柊が私の右手首を掴んだのである。
「何を悩んでるのかは分からねぇが、話せる範囲で話してみろよ。話している最中に解決策が見つかるかもしれないし、スッキリするかもしれない」
話してみる?。自分の過去を?。
そんなことをしな何になるのか。今までならそう思ったかもしれないが、先ほどの感覚からしてそうなのかもしれない。
再びしゃがんで黒猫ちゃんをモフモフする。
「・・・私、小学生の時まで親から虐待を受けてたの。家は貧しくて、ろくに食べ物もないのに、両親はいつも外食に行ってた。私は押入れやタンスの中にいつもいたわ。でもね、最初からそうじゃなかったの。父はもともと私に冷たかったけど、母は私の味方だった。けど、父が勤めていた会社が倒産してからコロッと態度が変わったのよ」
柊は相打ちを打つこともなく、じっと耳を傾けている。
そんな彼の態度が意外だった。
「そんな母がね、昨日手紙を置いていったの。夏祭りの日に会いたいって。勝手でしょ?」
ふわっと風が私の髪をなびかせる。
柊は無言のまま黒猫ちゃんを眺めていた。
そうよね。私とまるで正反対の生活を送ってきた彼に、この話しが何を意味しているかなんて分からないし、分かってほしいとも思わない。
でも少し心が軽くなった。
「勝手かどうかは分からない」
そんな日以来が口を開いたのは、しばらくの静寂の後だった。
「そうでしょうね」
「でも、お母さんに会うなら、ここにいてやる」
「へ・・・?」
どういうこと?。
「何言ってるの?。会うなんて言ってないし、どうしてあなたがここにいるの?」
すると、柊は私の手元に視線を移した。
「お前が1番分かってるだろ?」
私の手は震えていた。そう、これも無意識に。
「会うか会わないかを決めるのはもちろん持田自身だ。けど、苦しくてどうしようもなかったら、俺が受け止めてやる」
「・・・分からない。どうしてあなたが受け止めるの?」
何、この人。言ってることがまるで分からない。
「答えなんてない。強いて言えばそう思ったからだ」
「馬鹿じゃないの!!!」
私はキャンパスに向けて駆け出した。
馬鹿じゃないの?。答えのない事柄があるって言うの?。まして、見返りだってないのに、どうして私にかばうの?。
もう、頭が痛い。
持田が走って行く後ろ姿を見て、俺 − 柊和也はひとつため息をついた。
正直、持田があんな過去を持っていたなんて思わなかった。どうして周りの人と関わりを持たないのかは、さっきの話で分かった。
見返りを求められても自分には何もないから関わらない。そんな考えが今の持田を作っている。
幼い頃に親からの虐待を受け、ましてその理由が金が絡んでくるとなればそんな考えに至るのは無理もない。父親の会社がが倒産し財政が苦しくなる。けれど幼い自分には稼ぐ力はない。そして起こった虐待。
「ニャー」
まぁ、俺も見返りは求めている。けどな、それは絶対に持田が持っているものだ。
「ニャー」
「よしよし」
笑顔。あの真っ直ぐな瞳がふと緩んだところを見てみたくなった。
ただ、それだけだ。
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