2ー2 いややめてくれ……

 銘作は内心戸惑っていた。

 我が子を早くに亡くしてしまい、その子供が夢に出てくるという親は少なくない。

 そういう夢を見た場合、夢の中でだけでも会えて嬉しいと思う親もいれば、目覚めた後に襲ってくる喪失感が耐え難いと苦しむ親もいるし、夢の中で我が子が自分に助けを求めてきたり恨み節を発したりして更なる苦しみに苛まれてしまう親もいる。

 内容によっては確かに悪夢となるだろう。

 だが子供の出てくる夢を自分で“悪夢”だと認識し、あまつさえその夢を見なくする専門家の元へ足を運ぶ親というのは、自分の経験上では非常に珍しかった。

「……死んだ娘が……『どうして助けてくれなかったの?』って何回もずっと……ずっと迫ってくるんです……もうどうしたらいいのか……!」

 依頼人は俯いて、片手を当てた頭を左右に振った。

 その様は悲劇のヒロインさながらだ。

「……すいません、お嬢さんに何があったのかお伺いしてもよろしいですか?」

 眉根を寄せながら銘作が聞くと、依頼人は一瞬目を丸くした。

「……あ、あたしの事知りませんでした……?」

「……はい?」

 銘作が更に目を細めると、依頼人は慌てた様子で両手を左右に振った。

「あ……いえいえすいません!ちょっと注目される事が多かったもんで!」

「…………?」

 銘作が困惑しているのを悟ったのか、依頼人は観念したかのように口を開いた。

「……娘の事で……一時期ニュースに出てたそうなんで……」

「……ああ、そうでしたか」

 子供が何歳で亡くなったのかは知らないが、確かに死に方によってはニュースになっていてもおかしくはない。

 しかし気になる言い方をしていた。

「『出てたそうなんで』とおっしゃいますと……ご自分では確認はなさってないんで?」

「…………」

 今度は依頼人が目を細めた。言いたくない事を聞かれたという顔だ。

「あ……すいません!言いたくない事でしたら結構ですので!ではお嬢さんの事をお伺いしてもよろしいですか!?」

 慌てて話を変えようとするが、依頼人からは変わらず不快そうな空気が発せられている。

「……それ夢と関係あるんですか……?」

「えーとですね!現実に沿った夢の場合、その内容と現実にあった出来事を比較する事は悪夢の原因を探る上で重要なんです!ご本人の記憶が夢に出てる場合と死んだ人間が夢枕に立ってる場合とでは内容も対応策も変わってきますので!」

 そこまで一気に説明すると、依頼人の顔色がみるみる青くなっていった。

「……死んだ人間が……?そんな事が本当に……?」

「あ、はい。夢の中というのはいわば精神の世界ですから、体を無くして精神だけになった死者も出て来れるようですね」

 依頼人が聞きたがってるのはそういう事ではないかもしれないが、イエスかノーかで聞かれているのならばイエスで間違いはない。

 そう答えると、ほんの少しの間の後で、依頼人が両腕で自分の体を抱え込んだ。

「――いやあああああああああああああ!」

「――え?え!?」

 突然絶叫し出した依頼人に、銘作は思わず慌てふためいた。

「ちょ、ちょっとトーン抑えてください!壁薄いんで!」

 思わず両側の壁に交互に目をやってしまう。

 男一人の部屋から女の悲鳴とか洒落にならない。

 どうしようどうしようと慌てていると、ふいに先日瑠璃が取り乱した際の静香の対応を思い出した。

「――だ、大丈夫です!大丈夫ですから!」

 咄嗟に背後に回り、両肩をぽんぽんと軽く叩いた。極力触れないようにしながら耳の近くで語りかける。

「……っ……!」

 息を詰まらせるようにして震えながらも、なんとか声は抑えてくれた。

「えーと……あ、そうだそうだ!」

 その様子を確認してから、銘作は一度部屋の衝立の向こうに飛び込むと、冷蔵庫から水道水を入れていたペットボトルを取り出し、中身をコップに注いで持っていった。

「すいません、こんなのしかありませんけど!」

 ちなみに本当に飲み物はこんなのしかない。

 インスタントコーヒーなら置いてあるがいつもその都度飲む分しか作らないし、暑い時もだいたい冷蔵庫で冷やした水道水しか飲まない。ついでに酒は奢りでしか飲まないと決めている。

「……っ……はあ……」

 それでも依頼人は一気に半分程飲んだ後、溜息をついて落ち着いた様子を見せた。

「……だ……大丈夫ですか……?」

「…………」

 とりあえず落ち着きはしたようだが、顔色の悪さは変わっていない。

「……まだ……」

「はい……?」

 ようやく蚊の鳴くような声が聞こえた。

「……まだ……死んだ相手が出てきてるとは決まってないんですよね……?」

「あ、はいそうですね。ご自身の記憶が夢に出てきてるのか、夢枕に立たれてるのかのどちらかじゃないかと思います。どちらなのかはこれから調べてみないと分からないですが」

「…………」

 また溜息が聞こえた。

 やがて依頼人は、俯いたままゆっくりと口を開いた。

「……教えれば……助けてもらえるんですか……?」

 コップを持ったままの手に僅かに力が入る。

「――何があったのか教えていただければ、悪夢の原因が特定しやすくなりますので、より最善を尽くせます。原因が分かれば、契約を確定していただければ全力で取り組みますよ」

「…………」

 ゆっくりと顔を起こしつつ、目線は横に逸らして考えを巡らせているようだった。

「……娘は……気がついたらぐったりとしていて……ぴくりとも動かなくなって……急いで病院に連れていったんですけど……その時にはもう……手遅れで……」

 言いながらまた顔が下に向く。

「……何もなかったのに急にぐったりした、という事ですか?」

「…………」

 依頼人は辛そうに目を細めてから、小さくいいえ、と呟いた。

「……あの人が……」

「あの人?」

「……当時の……あたしの彼氏が……あの子を……!」

「……!?」

 そういう事か。

 子供の虐待死はニュースではよく聞く話だ。だがだからこそ実際に当事者から話を聞く際には先入観を排除しなければならない。

「その人がお嬢さんに……何かしら危害を?」

 慎重に言葉を選びながら聞くと、依頼人は首を縦に振った。

「……お腹を踏みつけたり……熱湯をかけたり……」

「……暴力ですか」

 依頼人は片手で目元を覆いながら、また首を縦に振った。

「では、夢に出てくるお嬢さんは、その時のお嬢さんなんでしょうか?」

「その時……?」

「病院に連れて行かれる直前、と言うんでしょうかね。傷の具合や服装などがその時と同じなんでしょうか?」

「……え……?」

 俯いて考え込んでいる。懸命に思い出そうとしているようだ。

「思い出すのがお辛いようでしたら無理なさらないでください。では、お嬢さんはいつも『どうして助けてくれなかったの?』と言ってくるんでしょうか?」

「……はい……」

 力無く頷いた。

「他には何か言ってきませんか?」

「……いえ……元々そんなに言葉を知っているわけでもなかったですし……」

「そうですか……」

 情報が少ない。

 ただでさえ相手が幼い子供では、その母親が知らなくて赤の他人が知り得る情報など思い付かない。

 夢に出てきているのが母親本人の記憶なのか、あるいは死んだ子供自身なのか、今回はそのどちらかだと思うが、いかんせん判断材料が不足していた。

「……ちょっと判断が難しいので……直接夢を見せていただいて判断する事になりますが……よろしいですか?」

「……ゆ……夢を……!?」

 やはり詳しいやり方までは知らなかったか。さすがに何事かと驚いた様子だった。

「えーとですね、私は自分以外の人の夢の中に自分の心を入り込ませて、その人の夢を覗かせていただいたり直接干渉したりする事が出来ますんで、そうやって悪夢の原因を探ったり取り除いたりするのが治療方法になります。いきなり言っても信じていただけない事も多いんですけどね」

 最後の方はちょっと苦笑いしながら話したが、依頼人は怪訝そうな顔を崩す事はなかった。

「まあすぐに実演して見せられるものじゃあありませんからね……信じていただけないのならばこちらとしてはどうしようもありませんが……」

 実際いきなり信じてくれる客の方が珍しい。

 それでもこんな胡散臭い所までわざわざやって来る人間はよっぽど悪夢に追い詰められている場合が殆どなので、最終的には藁にもすがる思いで頼ってくる事が多いのだが。

「…………」

 今回の依頼人は、目を細めてじっとこちらを見ていた。

 こちらは何らやましい所は無いので、営業スマイルを浮かべたまま目を逸らす事なく視線を返していた。

「……夢に入るって……どうやるんですか……?」

 ようやく開いた口からは、こちらを探るような、頭から疑っているわけではないような言葉が出てきた。

「そうですね、説明するのは難しいんですが……私の意識がこう、ふっと体から出ていって……水よりもっと密度のある、ゼリーみたいなものに潜り込んでいくような感じでしょうか」

「……いや、そういう事じゃなくて……まあいいです……」

 依頼人はそう言いながら一度俯くと、また顔を上げた時には先程よりも若干大きく目を開いていた。

「……あたしの夢に入って……直接夢をどうにかしてくれるんですよね……?」

「はい。勿論お客様の同意の上でしか行いませんが。それとすぐ入ろうと思ったら、私が眠っているお客様のすぐ近くにいる必要がありますが……まあ離れた所にいても何十分かあれば入れますけどね」

「え……?」

「なので、私が夢に入る際はお客様のご家族の方などが同席される場合が多いです。私もお客様には少しでも安心して臨んでいただきたいですし、是非どなたかに付き添いをお願いする事をお勧め致します」

 そうしないとこちらが変な事をするのではないかと警戒する客も少なくない。

「…………」

 だが依頼人は若干下を向いて考え込んでしまった。

「……大丈夫……ですよ?」

「……はい?」

 また少し上目遣いになりながら、依頼人はそんな事を言ってきた。

「……付き添い出来そうな人もいないですし……あたし……別に……あ、いえ何でもないです……!」

 やたらもじもじしながら、場違いな表情で場違いな事を口走っている。

「――付き添い出来る方がいらっしゃらないようでしたら私は違う場所におりますよ?」

「いえ……大丈夫ですよ……!すぐ入ってきてほしいですし!」

 思わず顔を硬直させながら一息でそう言ったが、こちらの思いはあっさりと流された。

 確かにその場にいた方がやり易い。

 やり易いが。

 ――勘弁してくれ――。

 好みじゃない女――しかも客――に迫られて喜ぶ趣味は無いし、何より今は夢の中にいると瑠璃がよくやって来る。

 瑠璃はこちらの居場所を探るのが得意なようで、どこの夢にいてもほぼ毎日銘作を見つけて合流してくるのが現状だ。

 もしこの女に迫られたりしてる最中に瑠璃がやって来たら……。

 困る。

 ちょっと困る。

 でもそんな理由で断るわけにもいかない。

(……めんどくせえ……)

 とりあえずすっかり冷めてしまったであろうカレーに思いを馳せて現実逃避した。

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