3ー2 洒落になんねえな……
銘作は思わず固まってしまった。
「……あ~~……すいません失礼な言葉を使っちまって……」
「いえ、それは全然気にしないでください」
「へ?」
だが当の娘からは拍子抜けする程あっさりした返事が返ってきた。
「むしろほっとしてるくらいです。由芽乃さんはあの人に反感を持ってくれてるって分かって」
目線は下に向けたまま、静香は少しだけ顔を持ち上げた。
「未だにあの人の肩を持つ人達もいますから……そういう人達にとっては、私は裏切り者みたいに思われてるでしょうし」
「う、裏切り者?警察に入ったからっすか?」
確かにあの弁護士の娘が刑事になっていたというのには驚いたが、実質商売仇と言えるからといって裏切り者とまで思うものなのだろうか。
「あの人もその仲間の弁護士の人達も……何故か警察を人殺しの組織なんて呼んで目の敵にしてましたし……そもそも私は元々あの人の味方ってわけじゃなかったんだから裏切り者なんて言われる筋合い無いんですけどね」
「ひ、人殺し!?」
何でそうなるのか。意味が分からなくなってきた。
「まあ警察に入る前……あの人のお葬式の時点で裏切り者とか思われてたんでしょうけど」
「へ?」
「あの人が死んですぐ、仲間の弁護士の人達が連絡してきて、私と母に記者会見しようとかお葬式にマスコミを入れて大々的にやろうとか言ってきたんですけど、そういうの全部断ったんで」
「はあ……?そんな事言ってきたんすか?」
そういえば宮本弁護士の死亡報道の際、仲間の弁護士が「司法に暴力で抵抗しようとするなど法治社会に対するテロリストも同然だ」だの「彼を失う事は法曹界にとって大きな損失だ」だの随分芝居がかった口調で訴えている姿もテレビで流れていたような覚えがあるが、なにぶん扱いが小さかったので殆ど記憶に残っていなかった。
もし遺族が記者会見でも開いていたら、ニュースでももっと大きく扱われて、彼らの主張ももっと長く報じられていたのかもしれないが。
「今まで散々被害者を悪くいってた癖に、自分達が被害者側になった途端その立場を利用しようとしてるようにしか見えなかったんで、内心『何言ってるんだろうこの人達』って思ってましたけど」
「無理もない」
「でも母が『夫は常日頃から「落ち度の無い被害者などいない」と言っていましたので、私は夫の気持ちを尊重しようと思います』って言ったらもう何も言ってこなくなりましたけどね。結局お葬式は身内だけでひっそりとやりましたし」
「お母さんやるなあ……つかそんな事言ってたんすかお父さんは」
「そんな事ばっかり言ってましたよ。『何も問題のある行動をしていなければ犯罪になんて合わない』だとか『被害者なんてただの弱者だ』とか…基本、立場の弱い人を当然みたいに見下してましたから。だから女子供も嫌いだったみたいで私の事も嫌ってました」
なんとなく問いかけたら思いのほか長く返事が返ってきてちょっと圧倒されてしまった。余程不満だったのだろうなあ、と他人事ながら思う。
「そんな人だったから……被害者やその家族を侮辱するような事も何ら躊躇いなくやれたんですよ」
「……ああ……」
納得は出来たが、話している人物の父親の話なだけに正直どこまで同意を示していいものか判断が難しい。
少なくとも、静香がさっきから実の父親の事を「あの人」としか呼んでいない所を見ると多少悪く言ったところで何とも思わなそうではあるが。
「本当に……瑠璃ちゃんが無事でいられたのはお前が守ってたお陰だよな」
「……へ?」
「ちょっと……あなた……!」
思いもよらない所で出てきた瑠璃の名前に反応すると、静香が慌てた様子で夫に振り返った。
「あ……言ってなかったのか、
「……まあ……瑠璃ちゃんの耳に入らなければ大丈夫だけど……」
申し訳なさそうに片手で口元を覆う重樹を見て、静香も若干トーンダウンした。
「……何か、あったんすか……?」
だがこちらは嫌な予感に背中を押され、落ち着いていられる気分などではなくなってきていた。
そんな様子を察したのか、静香は一度息を吐き出すと、改まってこちらに向き直った。
「もう終わった事ですけど、どうか瑠璃ちゃんには言わないと約束してください……余計な心配はさせたくないんで……」
銘作は頷いた。
「さっき話した、仲間の弁護士の人達……ようするに母子殺害事件であの人と一緒にやってた人達ですけど……」
静香の目が、少し疲れたような目つきになった。
「そのうちの一人が……矢作容疑者……瑠璃ちゃんの事件の容疑者の弁護士だったんです……」
「……な……!?」
思わず背筋がざわりとした。
今まで散々悪評を聞いてきた父親本人ではないが、その仲間も志を同じくしているのは話を聞いていてなんとなく分かった。
そんな連中が行ってきた“裁判の手法”は、聞いただけでも眉をひそめてしまうようなものだったが、今思えばあくまで「どこかの誰かに起きた話」だった。
そんな「酷い話」が、自分がよく知る相手に、瑠璃に襲い掛かる寸前だったのか。
いや、あるいは。
「……瑠璃に何か、変な噂流されたりとかは……!?」
「いえ、確認出来た限りでは何も……容疑者側が合意の上だったって主張してたくらいです」
「……ああ……」
言われてみればあの男は自分でそんな頭を使えるようには見えなかった。あれは弁護士の戦略だったのかもしれない。
「示談しろとか迫って来たりは……?」
「被害者がいる事件の場合、どこの弁護士もまずは示談交渉をしようとしますけど、被害者側が連絡先を教えていいと言わない限りは検察や警察から弁護側に連絡先が伝えられる事はないんで、向こう側が瑠璃ちゃんと直接接触した事は無かったです」
「……そっか……」
深く溜息をつく。とりあえずは安心出来た。
仲間はどうなのかは知らないが、少なくとも宮本弁護士は示談を断られた際の被害者家族の態度を逆恨みして被害者とその家族を苦しめた疑いがあっただけに、もし接触されていたらそれだけで相当な心配だった。
「そうやって向こう側が瑠璃ちゃんに接触出来なかったのは、静香が守ってたからなんだよ」
「え……」
そう言えば「守っていた」という話だった。
「許可が無ければ検察や警察から連絡先を教える事はねえけど、別に弁護側が連絡先を調べちゃいけねえって法律はねえんだとよ」
「――――っ!?」
また心臓がどくりと嫌な音をたてた。
そう考えると確かに、宮本弁護士の受けた強姦致傷事件の場合も被害者側が連絡先を教えたとは思えない。あの事件の場合は被害者と加害者が知り合いだったので、加害者側も連絡先を元々知っていたのかもしれないが。
「瑠璃ちゃんの事件の場合、最初瑠璃ちゃんがいた施設の人達が地元の警察に行ったけど相手にされなかっただろ?その職員さん達もその事をマスコミに訴えててニュースのインタビューにもよく答えてたから、施設の場所は割れちまってたんだよ」
「……あ……」
確かにテレビのニュースでも、児童養護施設とおぼしき場所で職員が怒り混じりに訴えている姿が何度か報じられていた。
「……瑠璃ちゃんには家族はいないんで……案の定弁護側は瑠璃ちゃんの居場所を知るために施設に足を運んでいたそうです……」
そう話す静香の顔は、心なしか疲労が濃くなったように見えた。
「……ストーカーみてえだな……」
「ま、それを静香が施設の皆さんから教えてもらえるようになるまでも大変だったんだぜ?何せ警察は怒りの対象だったからな」
「……あ、そっか」
「まず職員さん達が行った所轄と事件があったアパートの所轄が違うってとこから説明しつつ、静香は関係ねえのに丁寧に辛抱強く謝罪し続けて、瑠璃ちゃんの身を本気で案じてるから守るためにどうか協力してほしいって毎日通ってお願いし続けたんだよ。瑠璃ちゃんの所にも通いながらだぜ?そうやって信頼を勝ち取ったんだ」
「ふえ~~……」
他の仕事もあっただろうに、毎日二ヶ所に通うのはなかなか大変だっただろう。
「まあ施設の皆さんも、マナーの悪いマスコミや野次馬も集まってくるようになってしまって困ってたのもあったでしょうしね……だから瑠璃ちゃんに会わせてほしいとか変な事を言ってくる人には警察を通すように言ってくださいとお願いしました」
「それが一番っすね」
「そうしたら弁護側を名乗る人達は来なくなったそうですけど……今度はマスコミや被害者支援団体を名乗る人達が瑠璃ちゃんの居場所を教えてほしいと来るようになったそうで……」
「……うわあ……マジでストーカーじゃねえか……」
さすがに引いた。
「……まあ本当にマスコミの人とかもいたのかもしれませんけど……」
「だとしても引きますわ」
「……その中に……」
そこまで言うと、静香は俯いて両手で顔の下半分を覆った。
そんな様子を見て、代わるように夫が口を開いた。
「金払うから教えてくれって奴がいたんだとよ」
「……あ……」
それは恐ろしい宣告だ。
金が絡むと「ちょっとした出来心」が生じてしまう可能性が出てきてしまう。
その時その人物に接触された人は「そういう奴がいた」と教えてくれたが、もし金を受け取ってしまった人がいたら教えてはくれないだろう。気づいた時にはもう遅い。
かといって、散々自分を信じてほしいとお願いした身では堂々と疑うわけにもいかないのは容易に想像出来る。
「おまけに……警察の怠慢のせいで解決が遅れたって叩かれてもいたから、警察の中にも『示談になってくれた方がいいんじゃないか』なんて言ってる連中もいたんだそうだ」
「はあ!?」
そんな事を言われたら、身内である警察も信用出来なくなってしまう。
もし誰かが、一人でも瑠璃の居場所を漏らしたら。
「…………」
瑠璃の関係者にも、自分の仲間にも疑いの要素が現れてしまった。
それはつまり、誰にも頼れないという事。
「……で、元々瑠璃ちゃんと接触する担当は静香が任されてたから、それを徹底させて、自分と医療関係者以外は瑠璃ちゃんと会わねえようにしてたんだよ」
「……え?」
簡単に言ったが、そんな簡単な事ではないはずだ。
「入院も手術も色々手続きありますよね?」
「静香が手伝った」
「病室の掃除は専門の清掃係さんがやってますよね?」
「静香がやってた」
「そこまで!?」
あまり想像出来ない図だ。
「……て事は……その施設の人達も誰も会わせなかったんすね」
「面会謝絶って事にしてもらってな」
「……瑠璃ちゃんには……寂しい思いをさせたと思いますけど……」
静香もまた口を開いた。
「あんな酷い目に会った時こそ……信頼出来る人の支えが必要だったのに……」
「その分お前が信頼されるようになろうって頑張ってたじゃねえか。実際お互いに下の名前で呼びあうくらいになったし」
「あー、確かに」
思わず頷いた。
実際瑠璃と話していると静香の話がよく出てくるし、話ぶりから瑠璃が静香を実の姉のように慕っているのが伝わってきていた。
「他にも仕事あんのになるべく瑠璃ちゃんと一緒にいようって頑張ってたから、あの頃の静香はほんっと大変だったんだぜ?家にも風呂入りに来るくらいしか帰ってこれなかったし」
「ごめんね……あの頃は……」
「俺はいいんだって何回も言っただろ、お前が心配だったんだよ。正直あの野郎が死んだって聞いた時はほっとしたくらいだ。裁判が長引いてたらどうなったか分からなかったしな」
「…………」
「…………」
それを聞いた静香は少し困ったような顔をして俯き、銘作は視線を逸らしながらぽりぽりと頬を掻いた。
「……しかし、そんな状況でよく俺は会わせてもらえたっすね」
「……最初こちらに来た時は、医療関係者の人だと思ってたんです……正直……お会いしてお話を聞いてみたらちょっと違うような気はしたんですけど……それだけでやっぱりお断りするのも失礼ですし……」
だいぶ言い辛そうに説明してくれた。
「あ、勿論それだけじゃなくて、いきなり会いに行った人にまで手が回されてるとは考えにくかったですし、何より先生の紹介がありましたから……!」
慌てたように付け足される。
「いやいや、お気遣いなく。ガラが悪いのは自覚してますから」
もし自分が瑠璃に会えずにいたら、と思うとぞっともするが、静香が本気で瑠璃を守ってくれていたという事実には、正直有り難いという感情が浮かんでいた。
余程気持ちの優しい女性なのだろうし、ひょっとしたら父のせいで死んだと思われる少女と瑠璃を重ねて見ていたのかもしれない。
「……あれ?そういや……」
「どうしました?」
「元々は……全然面識のねえ遺族の旦那さんが悪夢見てるらしいって話でしたよね?話逸らしちまいましたけど……それと繋がる話だったんすか?」
「…………っ」
また静香の顔が暗くなった。
「……やっぱり、繋がらねえ話だと思うか?」
そんな妻のフォローをするように夫が返事を返す。
「……まあ……聞いた限りだと、刑事さんが遺族の旦那さんの力になりたいのかな、としか思い付かないっすけど……でもその聞いた限りの理由だけではそこまでするかな、とも思いますし……」
「聞いた限りの理由だけでそこまでしたいと思ったんだよ、うちの静香は」
「……へ……」
一瞬だけ固まってしまった。
「宮本弁護士に傷付けられた人達に対して、静香はずっと申し訳ないと……何か出来る事があるなら力になりたいと思ってたんだ。まあ今回は結局お前に頼るしかねえんだけどな」
「…………」
静香に視線を移すと、どこか居心地悪げに身を縮めているように見えた。
その表情には辛そうな、罪悪感のようなものが感じられた。
「……俺が言うのもなんですが……あの旦那さんはそんな……娘さんに償わせようなんてするタイプじゃあないと思いますけど……かえってそんな気使わせまいとする人だろうし……」
「んな事お前に言われなくてももう俺が何度も言ったんだよ。もう何度も話し合って結論出してからここに来たんだ」
若干苛立ったような強めの口調で重樹が遮ってきた。
「あ……まあそうっすよね……失礼しました」
確かに赤の他人に言われるのは今更な問題だろう。
「えーっと……その旦那さんに連絡とかはしたんすか?」
「まだだ。まずお前の都合がつかねえとどうしようもねえしな」
「そっすか。じゃあ俺から連絡してみましょうか?」
「え……?いえそこまでしていただかなくても……」
「いや、俺はその人と会った事あるんで話早いと思いますよ」
「は?」
「え?」
夫婦二人はぴったりのタイミングで同時に驚いた。
「前、被害者支援団体の人はたまに来るって言ったでしょ?その旦那さんも自分の団体の被害者さんの相談に来た事あるんすよ」
「…………!」
静香は驚いた顔をしながら口元を片手で覆った。
銘作は立ち上がると、後ろのデスクに回り込んで引き出しを開けた。少しの間がさごそと中を探っていたが、目的のものを見つけて思わず「あ、あった」と呟いた。
「これです、その人から貰ったチラシ」
そう言いながらソファに戻り、一枚の紙を二人に見える向きにしてテーブルに置いた。
シンプルなデザインで「犯罪被害者・遺族の会」と印刷されたチラシには、一時期テレビによく出ていた男性の顔写真が隅に小さく載っていた。
「会の電話番号も載ってますけど、この人のケータイ番号も教えてもらったんすよ。今からかけましょうか?今の時間なら大丈夫だと思うし」
「――――っ!」
途端に、静香の顔に緊張が走った。
「……どうする?」
夫が気遣うような声をかける。
静香は自身の体を抱え込むように両肘の辺りを両手で掴んでいた。
その細い手がきゅ、と握り締められる。
「…………お願いします」
そう言って、真っ直ぐに銘作へと視線を向けた。
「分かりました。そんじゃ」
テーブルの傍らに置いていたスマホを手に取り、チラシの隅に書いておいてもらった電話番号を見ながら入力していく。
入力し終わってスマホを耳にやりながら、ちらと静香を見やると、目に見えて体が強張っているようだった。
見ているだけで緊張が伝わってくるような姿から目を逸らせて、耳元の音に意識をやっていると、四回目のコールが終わる頃にその音が途切れた。
「あ、もしもし、お久しぶりです」
「――――!」
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