3ー1 夫婦問題は余所で相談して下さい!
ある日曜日、
今まで溜まった時は、そこらのAVでは出来ないようなえげつない夢を作って発散していたのだが、今はいつ自分の夢に瑠璃がやって来るか分からないので、迂闊に淫夢も見れない状態だった。
「……まー、写真には写真の良さがあるもんな……」
雑誌を包んでいるフイルムをばりばり音を立てながら剥がし、いざ一仕事始めようとした瞬間、どんどんとドアを叩く音がした。
「……は~い、今行きま~す……」
なんか最近何かしようとすると誰か来る事多いな……などと考えながら懸命に気持ちを切り替えつつドアへと向かった。
「はい、いらっしゃいませ~……って……」
ドアを開けると、見覚えのある人物が立っていた。
日曜日でもきっちりと紺のスーツを着こんだ、憂いを帯びた表情の長身で美しい女性。
「あれ、刑事さん……?」
以前にも依頼人としてやって来た女刑事の姿を見て、彼女を通そうとドアを大きく開けると、その隣にもう一人の人物が立っていたのが分かった。
女にしては長身な片山静香と比べても更に長身だと一目で分かるほど大柄で、がっしりとした体格に鋭い目付きの、口の周りに髭を蓄えた中年の男がそこにいた。
その姿を確認した瞬間、銘作はばたんとドアを閉めていた。なんだか凄く嫌な予感がしたからだ。
「おいこらてめえ!なに人の顔見た瞬間閉めてんだよ!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて……!」
妙に響く重低音な怒声を張り上げてキレた中年男は、銘作が鍵をかける前にドアノブを掴まえて引っ張ってきた。
「うちはほんと小さな自営業ですんで!どこの組とも関わってませんから!」
「組じゃねえよ開けろこの野郎!」
「ちょっと声抑えて……!あなたの声は通るんだから……!」
大騒ぎをしながら綱引きの如くドアノブの引き合いをしていたが、間もなく銘作の方が相手の腕力に引っ張られ気味になっていった。
(なんだこのおっさん……凄え力だ……!)
「おらあ!」
「うおっ!?」
これで決めるとばかりに渾身の力でぐいと引っ張られ、ドアを開放されると同時に銘作はバランスを崩して顔からコンクリートの通路に滑り込んでしまった。
「だ……大丈夫ですか……?」
「大丈夫っす……ちょっと擦りむいただけなんで……」
銘作は鼻先を押さえながらデスク前のソファに腰掛けた。
それに続くように、向かいのソファに静香は遠慮がちに、中年男はどっかりと座った。
静香は申し訳なさそうにやや縮こまっていたが、中年男の方は不機嫌を隠しもせずに顔に貼り付けていた。
「気ぃ使ってやる必要なんかねえよ。こいつが訳の分からねえ事言って門前払いしようとしたからだろ?」
気の弱い者ならば聞いただけで萎縮してしまいそうな重低音の声で怒りを露にする。
「でも……」
「いやすいません……暴力団対策室の方っすか?」
「一般人だ馬鹿野郎」
「すいませんうちの主人が……」
「……へ?」
ちょっと意外な言葉が耳に入った気がした。
「あ、うちの夫の重樹です」
言いながら静香は右手で左隣の男を指した。
「……あ~~……」
そういえばこの人は年の差婚をしていたという話だった。
言われてみれば、以前に遠目から見た静香の夫だという男の姿に似ている気がする。
「おいおい、謝ったら俺が悪いみたいじゃねえか」
「怪我させちゃったのはやり過ぎでしょ」
「こいつが勝手にすっ転んだだけだろ?」
片山重樹は相変わらず不機嫌そうではあったが、言葉を向ける対象が妻になるとだいぶその口調が和らいでいた。
「や、その件に関しましては俺が悪かったんで……そろそろご用件をお聞きしてもよろしいっすか?」
このまま誰が悪い悪くないを論じていてもしょうがないので、銘作は夫婦からここに来た理由を聞く事にした。
「……あ……そうですね……」
だが話を促した途端、静香は気まずいような辛いような、最初にドアを開けた時に見たのと同じ顔になった。
「俺が説明する」
そんな妻の様子を見て重樹が口を開いた。
「もう何年前になるかな……○○県の□□市で起きた母子殺害事件、覚えてるか?」
「へ?そりゃもちろん……」
目の前の男は、件の事件を「知ってるか?」ではなく「覚えてるか?」と聞いてきた。
それだけその事件が有名だからだ。
銘作がまだ小学生だった当時、○○県□□市に住んでいた二十代の母親とその娘である赤ん坊の二人が、自宅で遺体となって発見された。
死因は二人とも絞殺であり、間も無く殺人で容疑者が逮捕されたが、その人物は近所に住む当時十八歳の少年だった。
取調べに対し少年は、「セックスがしたくなったので宅配屋に扮して近所で美人と評判の奥さんの家に入ったが、抵抗されたので殺してからやった。赤ん坊は泣いてうるさかったから殺した」と答えた。
その身勝手な動機と残忍性に、世間は驚きと怒りに包まれたが、とりわけ世間が、そして遺族が理不尽な思いを倍増させたのは、容疑者が未成年というだけで守られ、減刑されるかもしれないという現実だった。
だが容疑者が未成年だからと顔も名前も非公表にされる中、一人残された夫は連日マスコミの取材に応じ、顔も名前も広く公表しながら容疑者を死刑にしてくれるよう強く訴え続けていた。
その真剣な姿に多くの人々の注目が集められる中、裁判は始まった。
一審は無期懲役、二審は死刑の判決が下され、二審の判決後弁護側はすぐに上告した。
この事件が多くの人々の記憶に残るようになった理由の一つは、その後に唐突に現れた。
銘作が中三の頃、最高裁での審議が決まると突然、弁護士が仲間を呼んで大人数の弁護団を結成し、それと同時に弁護団は急に「今までの供述は警察に強要されたもので、これは殺人ではない」と言い出したのだった。
弁護団曰く、容疑者は確かに死んだ女性に乱暴する目的でその家に侵入したが、すんでの所で思いとどまったという。
だが容疑者の真意を見抜いた女性に逆に誘われ、女性が主導する形で合意の上でセックスに及んだ。ところが女性に促されるまま首を絞めたら気がついたら死んでいた。未経験だった容疑者には加減が分からなかった故の事故だった。娘は母親が死んだ直後に泣き出したので、気が動転したまま「女は首を絞められると喜ぶ」と学んでしまったがために思わず首を絞めてしまった、と主張した。
突然全てを殺された被害者の責任とする主張を始めた弁護団に、遺族は勿論マスコミも世論も疑問と怒りの声を上げた。
だがいざ裁判が始まっても、弁護側はその主張を一切変える事はなく、更に裁判では証人として近所の男性住人や配達員の男性などを呼び、死んだ女性が近所で美人と評判だった事や、愛想が良く顔を合わせれば必ず挨拶してくれていた事、加えて顔見知りの男性達の間でどんな目で見られていたかなどを聞き出していた。
その度に検察側は「事件と何の関係も無い話だ」と異議を申し立てたが、弁護側は何度中断されても新しい証人を準備していて、延々と男の目から見たその女性の姿を裁判官に聞かせ続けた。
更に弁護団のリーダー格の弁護士は、「死んだのが産まれて間もない赤ん坊ならば最初から産まれてなかったのと同じでしょう。それを含めて『二人死んだ』などと言うのは言いがかりと同じだと主張します」「そもそも妻と子などというのは代えの利く存在なのだから、再婚してまた子供を作ればいいものをそれもせずに何年も恨み言を言い続けるなど、遺族は自分で気持ちを切り替える努力をせずに自分の不幸を被告のせいにしたいだけだと主張します。これは私も妻子がいるからこそ分かる事です」などともはや夫への個人攻撃とも言える主張を行い続けた。
そんな法廷が開かれる度にニュースは弁護団への糾弾を行う状態となり、世論も激しいバッシングをぶつけた。誰もが弁護側の言い分は通らないと信じた。
そうして迎えた判決の日、裁判官は皆の予想通り「弁護側の主張は荒唐無稽である」とその主張を退けた。
だが判決は、二審判決を破棄して無期懲役となった。
その不可解な判決に、マスコミも世論も、もちろん遺族も納得がいかないまま裁判は終了した。
「あの事件に関係した依頼っすか?」
「ああ。よくTVとか出てた遺族の旦那さんいただろ。あの人は今は被害者支援団体を立ち上げてその代表をしてて、公式サイトで活動内容なんかをブログみたいにして公表してるんだが……」
「……ん?ひょっとして……」
「その通りだ。最近の書き込みを見たら、一週間くらい前から毎日死んだ奥さんに責められる夢を見るようになった、と書かれてた」
銘作は不思議そうな顔をしながら、恐る恐るといった様子で片手を軽く挙げた。
「……つかぬ事をお伺いしてもよろしいですか?」
「なんだ」
「その旦那さんとは……お知り合いで?」
「いや。一方的に知ってるだけだ」
「やっぱりかよ!ブログ見て知ったとか妙だと思った!何で会った事もねえ相手の悪夢退治を依頼するんすか!?」
「…………」
夫婦は一度目を合わせた。
静香が小さく頷くと、重樹はまた銘作に向き直った。
「……その□□市母子殺害事件の、犯人に付いてた弁護団の中で、リーダーみてえな一番目立ってた弁護士がいたの覚えてるか?」
「ああ、赤ん坊は死んでも産まれてないのと同じだとか妻子は代えが利くとか言ってて、結局自業自得で死んだ奴っすか?」
□□市母子殺害事件で一躍有名になった、弁護団の中心人物だった弁護士は、その事件の判決が出た少し後、唐突に交通事故で死亡したというニュースが流れた。
車で交差点を通過しようとした際、信号無視の車に追突されて死んだと見られ、双方の車に乗っていた計三人全員の死亡が確認された。
だが追突してきた車の側にブレーキ跡が無かった事など不審な点があったため、警察が詳しく調べた結果、思わぬ事実が明らかとなった。
追突した車を運転していたのは、死んだ弁護士が母子殺害事件と同時に受け持っていて無罪にした強姦致傷事件の裁判の、原告人だった少女の父親だった。
その事件は地方の一都市で起きていたもので全国ニュースにもなっていなかったが、ある意味時の人となっていた人物の死に関連している疑いが強いという事で一斉にマスコミが調べ始めた。
そうして報じられたニュースによると、原告であった当時十四歳の少女は、幼い頃母と死に別れてからずっと父と二人で暮らしており、家計を助けるために学校に内緒でアルバイトをしていた。
そんなある日、バイトから帰る時間が遅くなってしまった少女は、部活の元先輩だった当時十六歳の少年と偶然再会し、送っていくと言われてそのまま強引に路地裏に連れ込まれて強姦され、全治三週間の怪我を負わされたという話だった。
だが裁判が始まると、被告側は「この事件は原告親子の美人局未遂でありでっち上げだ」と主張した。
生活が苦しかった原告親子が、娘に資産家の息子である被告人と関係を持たせた所で父親が出ていき、娘を傷物にしたと脅して金を巻き上げようとしたが、被告側が応じなかったために強姦されたと警察にでっち上げた、こちらは被害者であるというのが弁護士の言い分だった。
当然原告側は何を馬鹿な事を言っていると激怒した。
だが弁護士は、原告人の少女が学校に禁じられているアルバイトを無断でしていた事を取り上げて「そもそも非行学生だったのではないか」と指摘したり、結果部活もせずに一人で早く帰宅していたために同級生達からは「付き合いが悪い」「帰って何をしているのか分からない」と思われていたと暴露したり、更に男女問わず友人が多かった原告人の「異性の友人が多かった」という部分だけを強調したりして、さも原告人が素行不良生徒であるかのような証言を行い続けた。
原告側が「親が子にそんな事をさせるわけがない」と主張しても、「貧しさは人の心を狂わせる」の一点張りで討論をしようともしなかった。
結果、判決は無罪となり、弁護士は最後に原告側を名誉毀損で訴えると言い残した。
その次の日、原告の少女は入院していた病院の屋上から飛び降り、死亡した。
ここまでは公の記録にも残っていた情報だが、マスコミは更に妙な証言を得ていた。
被告の少年が逮捕された数日後、原告親子の家の周辺を有名出版社の記者を名乗る男が彷徨くようになり、近所の住人達にこんな事を聞いて回っていたというのだ。
「○○さん家が起こした美人局事件について何かご存知ないですか?」
その時は強姦致傷容疑で少年が逮捕された事も地元ですらまだ報じられておらず、裁判も始まっていない時点で、原告の家を実名で名指ししながらまるで犯罪者と確定したかのような口振りで、その男は近隣中に同じ事を聞いていたという。
そして何があったのかも何も知らなかった近隣住人達は、その男の言う事を真に受けた。
勿論一部の親しい友人達は信じなかったが、友人達は家族から「あの家と関わっては駄目だ」ときつく言い渡されてしまい、噂を真に受けた同級生達の先入観から生まれた悪いイメージを払拭する事も、原告側から証言を頼まれても応じる事も出来ずにいた。
そうして広まった噂は、娘が入院していた病院にまで届いていたという。
その男が所属していると言った出版社は、そのような記者はいないと否定し、結局その男が何者なのかははっきりしないままだった。
マスコミがそこまで調べた頃、警察が原告の家を調べて見つかったという書き置きのようなものを公表した。
内容は少女の父親が近隣住人に宛てて書いたと思われるもので、美人局をしたなどの判決や広まった噂は全てでっち上げだと訴えるものであり、被告の少年が逮捕された直後に起きていた事も書かれていた。
『少年が逮捕された次の日、弁護士と名乗る男がやって来て「示談に応じれば百万、告訴を取り下げればもう百万払う」などと言ってきた』
『更に「今どき援助交際をしてもせいぜい一~二万が相場なのだから、一回で二百万なんて普通はあり得ませんよ?」とまで言ったので、その男が許せなくなって塩を撒いて追い返した』
『だがその男が去り際「必ず後悔させてやる」と小さい声で呟いたのが聞こえた』
『そして気がつくと、私が娘に美人局をさせていたなどという噂が広まっていて、あの弁護士も同じ事を裁判で主張してきた』
その後にはそれらは全て嘘なのでどうか自分を信じてほしいという願いが書かれており、最後には死んだ娘に宛てたと思われる一文が残されていた。
『父さんは地獄に落ちるけど、どうか母さんと天国で幸せに暮らしてくれ』
追突事故が起きたのは、強姦致傷裁判の判決が出た数週間後だった。
そして警察の捜査の結果、弁護士の車に同乗していて一緒に死んだのはその被告人だった少年である事も分かった。
書き置きの内容からも、警察は追突事故は事故ではなく運転手が故意にぶつけたものであると結論づけ、父親は容疑者死亡のまま書類送検されたという。
「そいつがどうかしました?」
「…………」
「…………」
二人はほんの少しの間沈黙してから、一度大きく息を吐いた重樹が言葉を発した。
「その弁護士の名前は、覚えてるか?」
「いえ。ネット上では鬼畜弁護士ってばっかり書かれてたし、一時結構ニュースになってたけど覚えてはいないっすね」
「宮本泰弘、だ」
「へー」
割と普通の名前だな、どおりで印象に残ってねえわけだ、などと思った。
「で、だ」
重樹は隣に座っている静香の、膝の上で握られていた手に手を重ねた。
「この静香の前の名前は……宮本静香だ」
「――――え?」
一瞬、ぎくりと胸が鳴った。
「…………」
静香は、俯いたまま握り締めていた手に力を込めた。
「宮本泰弘弁護士は……静香の実の親父さんなんだよ」
「……え……!?」
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