2ー5 あんまり舐めないでくれよ
そういえば、ニュースでは死んだのは次女だと書いてあった。つまり姉がいたという事だ。
だとしても。
「よく見つけてこれたな……こんな短い間に……」
思わず正直な感想が漏れる。
「心愛ちゃんは、私がいたのと同じ施設にいるんです」
「へ?そうだったのか!?」
「二年くらい前に入ってきて……自分の事は全然話さなかったんですけど……一度偶然テレビで心夏ちゃんの事件のニュースが映った時……逃げるみたいに走っていった事があって……お母さんの名字も同じだったから……もしかしてと思ってたんですけど……」
「なんとまあ……」
どうりで当時のニュースをよく覚えていたわけだ。
「お母さんの夢に心夏ちゃんが出てきてるんだけど、何が言いたくて来たのか心当たりある?って聞いたんですが、これは夢だからって念押ししたらなんとか教えてくれました」
「それが……笑ってほしいんじゃねえかって?別に教えたくねえ事でもねえと思うけどなあ」
その言葉を聞いた瑠璃は、悲しそうに視線を落とした。
「……心夏ちゃんは……自分はお母さんを笑わせられるって……自分の顔を見れば……お母さんは笑ってくれるって……よく言ってたそうです……」
「……それ……って……」
先程見た顔を思い出す。
年端もない少女が負わされたとはとても思えないような、痛々しい火傷の痕と赤黒い痣。
「……傷付けられる前の話か……それとも……」
瑠璃は疲労したように額に手を当てた。
「『お母さんは……ココの事嫌いになっちゃったのかもしれないけど……それでもココをぶったり……痛くなった顔を見ると……怒ってても笑ってくれるんだ』って……」
「ああああああああ!」
突然響いた絶叫に、思わず肩がびくりと動いてしまった。
「……どうしたんすか急に。ココちゃんびっくりしちまいましたよ」
振り返って、何の前触れもなく叫び声を上げた斉藤に冷めた目を向ける。
幼子の母親は、目を剥いた怒りの形相で顔を真っ赤にしていた。
「何言ってんの!何そんな女の言う事なんか真に受けてんのよ!適当に言ってるだけでしょ!?」
「じゃ、長女さんのお名前は?」
「――っ!」
被害者ではない長女の名前はネットでも目にする事は無かったが、瑠璃は彼女を「心愛ちゃん」と呼び、その名前を聞いた心夏は「お姉ちゃん」と言っていた。
「……さっき二人でいた時にそれから名前聞いたりしてたんでしょ!?絶対そう!」
「いや何のためにっすか?それよりも……今それって呼んだのは……この子の事ですか?」
視線を、すっかり怯えてしまった小さな少女に向ける。緊張して強張った体を瑠璃が抱き締めてくれていた。
「……っ……何て呼ぼうと……人の勝手でしょ……?」
「いや、もう分かってますから」
勢いが弱まった斉藤に向けて、きっぱりとした口調で言い切った。
「貴女も虐待してたんでしょ?」
「……な……っ!」
怒りと驚きで見開かれた目が、僅かに震えているようだった。
「いや、“も”って表現が正確かは分からねえな。本当は男の方が言ってた通りお母さんが一人で虐待してた可能性もあるか……」
「何言ってんの!大河も一緒に二人でやってたわよ!」
「なるほど、やっぱ虐待してたのは間違いないんすね」
「……っ……!」
言葉に詰まった母親は、きつく握った手を震わせながら視線を下に向けた。
「心愛……!可愛がってやったのに……!なんで……!」
怒っているような悲しんでいるような、震えた声でそう呟いた。
「は?裏切られたとでも思ってるんすか?」
呆れが口から漏れた次の瞬間、瑠璃が心夏を抱き締めたまま声を上げた。
「心愛ちゃんは……毎晩みたいにうなされてました」
「…………!?」
母親が顔を上げた。
「いつも一つの部屋に大勢で寝てるんですけど……心愛ちゃんはしょっちゅう泣き出しちゃって……誰か年長者が一緒に寝てあげないといけないくらいだったんです」
腕の中の心夏を気遣いながら、出来る限り身を乗り出して訴えかけようとしているようだった。
「それで……うなされてる時はいつも……『ごめんね』『お母さん、やめて』って言っていました……何度も、何度も……」
「……何よ……それ……」
母親の顔に困惑の色が浮かんでいった。
「面前DVって聞いた事ありません?」
分からないなら教えてやると、銘作が口を挟む。
「今は子供の見てる前で誰かに暴力振るうのも、その子供への精神的虐待に認定されるんすよ。暴力を見せるのも子供の心に深刻な影響を及ぼすって認められてるんで」
「……な……あたしが心愛も虐待してたって言いたいわけ!?」
「俺がどうこうじゃなく、児童相談所はそう判断するって事です」
「……ふ……っざけないで!」
母親は髪を振り乱して絶叫を上げた。
「心夏が悪かっただけよ!心愛の事はちゃんと可愛がれてたんだから!あたしは悪くない!あたしを悪く言うっていうならそう言う方が悪い!そう!あんたらが心愛を悪くしたんでしょ!」
「……はい?」
もはや何を言ってるのか理解出来なかった。
「……心愛ちゃんも、苦しんでたんです……!」
絶叫の合間を縫って、なんとか伝えようという様子で瑠璃が声を張り上げた。
「目の前で妹が酷い事をされて……死んでしまったのに……自分は何も出来なかった……助けてあげられなかったって……ずっと……ずっと苦しんでたんですよ……!……可愛がられてたなら……余計に心夏ちゃんに申し訳ないって思ってましたよ……!」
「…………!」
斉藤は眉根を寄せて目を細めた。
その表情は不快なようにも、辛そうにも見えた。
「……心愛……!」
間もなくそう呟きながら片手を頭にやると、髪を掻き回すようにぐしゃぐしゃと乱し始めた。
「なんであんたまでお母さんを困らせるのよ……!あんたが余計な事言わなければこんな事には……!」
「…………」
「はあ……」
瑠璃は酷く悲しそうな表情を浮かべ、銘作は溜息をついた。
「心愛ちゃんが何も言わなければ何もバレなかった、って思ってます?」
組んでいた腕を解いて、銘作は腰に手をやった。
「んな事はねえっすよ」
言いながら鋭い目付きを斉藤に向けると、そのまますたすたと歩み寄っていった。
「これは滅多にやらねえんですけどね……」
斉藤の目の前まで行くと、黒く染まった左手を斉藤の額辺りにかざした。
「……え……!?」
後ろから瑠璃の驚く声が聞こえた。
左手の平から、手と同じ漆黒の枝のようなゴム紐のような細いものが生えてきて、斉藤の額に根を張るように貼り付いたのが見えたらしい。
「……?……!?」
斉藤自身は、何が起きたのか分からないといった様子で身じろぎどころか声も出せないようだった。
「前に教えただろ?夢魔は人間の記憶を読む事も出来るって」
「……え……?……それじゃ……」
瑠璃と言葉を交わした次の瞬間、周囲の空間が壊れたテレビの映像のように崩れ、乱れた。
「ひゃっ……!?」
瑠璃は思わず心夏を抱え上げた。
前後左右だけでなく足元も同様に不定形となり、慌てた様子の瑠璃は咄嗟にその場に浮遊した。
「見た目が変わっただけだから大丈夫だぞ。周りが丸ごとスクリーンになったと思えばいい」
「す……スクリーン……?」
「ああ、見てりゃ分かる」
その証拠に、銘作だけでなく斉藤もその場から動く事なく同じ姿勢のまま立ち尽くしている。
やがてテレビの砂嵐のようだった空間に、何かしらの明確な色と形を持ったものが映し出されるように現れ始めた。
「……これは……裁判所?」
ニュースやドラマで見るような法廷、それも裁判官や傍聴人達がいる審議の真っ最中とおぼしき様子が自分達の周りに現れた。
周囲の配置から見ると、自分達が現在いる位置は丁度法廷の中心辺り、恐らく被告人が立つ場所だろうと思えた。
「これが……その人……お母さんの記憶なんですか……?」
「ああ。真ん中にいるのは本人がそこにいたからだ。記憶の映像ってのは基本その持ち主の目で見た光景だからな」
「そっか……ってええ!?」
また瑠璃が驚いた。
周囲の映像が高速で巻き戻ししたかのように凄い勢いで戻りながら変化し出したからだろう。
裁判所と格子の付いた狭い部屋がしばらく交互に映っていたと思うと、そのうち裁判所の代わりに一際狭く薄暗い部屋が交互に映るようになっていった。
周囲に映る映像を目で確認しながら記憶を遡っていった銘作は、やがてその映像の中に見覚えのある部屋が映し出された所でストップをかけた。
「……ここは……あの部屋……?」
「さっきまでいた部屋だな」
この夢に入った時に最初に降り立った、この母子がいた部屋。
今は閉じられている扉のすぐ向こうにあるのと同じ部屋に、若干の生活感が加わった映像が、早くも遅くもない速度で流れ始めた。
『大河はどこ行ったの!?またパチンコ!?まさか女のとこじゃないでしょうね!?』
顔に取り付けたカメラで撮ったような、荒々しい歩調に合わせて揺れる映像と共に、もはや聞き慣れたヒステリックな声が響いた。
玄関前とおぼしき場所から映像が動いていき、テレビやテーブルのあるリビングと思われる場所に行くと、部屋の隅にあたる視界の端に年端もない少女が二人入ってきた。
一人はピンクの可愛らしいワンピースを着た、もう一人と比べて大きい色白の少女。
もう一人は薄汚れて擦り切れた大きなシャツ一枚だけを着て、顔は汚れと痣にまみれた痩せこけた少女だった。
『あの人なら……パチンコ行くって言ってたよ……』
大きい方の少女が、恐る恐るといった様子で口を開いた。
『あの人じゃなくてお父さんって呼びなさいって言ってるでしょ!』
『えぇ……』
母親の言い分に、小さい方の少女が思わずといった感じで反応を漏らすと、映像が凄い勢いでその少女に向かっていき、痣だらけの顔が視界の下から出てきた平手に張り飛ばされた。
『何文句言ってんの!あんた達のために新しいお父さん作ってあげようってあたしが頑張ってあげてんでしょ!』
一段と高くなった声が響く中、テーブルの上にあったふきんを女の手が取り、床に転がった小さな少女の口に力任せに押し込めた。そのまま同じ手で何度も、何度も平手が打ち付けられる。
『だからせめて!その気になってもらえるように!あんたもお父さんって呼ぶくらいしなさいよ!あんた達のためなのよ!』
『ふっ……う……うぅっ……!』
ちゃんと呼吸が出来ているのかも分からないような状態で、少女は叩かれるのと同時に苦しそうな声を漏らし続けていた。
『あたしがこんなに頑張ってんのに!大河が結婚してくれないのは!あんたのせいでしょ!?他に理由無いじゃない!』
叩き過ぎて手が痛くなったのか、途中からテーブルに置いてあったリモコンを手に取ってそれで少女を叩き始めた。
「……っ……!」
心夏に映像が見えないように胸に抱き締めながら彼女の耳を塞いでいた瑠璃も、そこで限界を迎えた様子で目を反らした。
映像の端に時々映る大きい方の少女も、固く目と耳を塞いで震えているようだった。
血が飛び散り出した頃にようやくリモコンを手離すと、映像はそのまま一人で流し台へ向かい、流水を自分の手の平に当て始めた。恐らく痺れた手を冷やしているのだろう。
『ただいま~』
そんな中で、場の雰囲気に全くそぐわない呑気な男の声が聞こえてきた。
その声が聞こえた途端、映像がどたどたと移動して、煙草を咥えて紙袋を持った茶髪の男を中心に捉えた。
『おいおい、また凄え顔になってんなぁ』
床に転がったままの少女が顔を覆っていた腕を足でどけると、男は赤い血を流しながら腫れ上がった顔を見て楽しそうに笑った。
『でしょ!?見てよここ!』
男の言葉に続いて、今度は嬉しそうな女の声が聞こえた。
少女の口に詰め込まれていたふきんを乱暴に抜き取ると、ネイルが施された長い爪が、血を流している傷口をつついた。
『ぎあっ!』
『ちょ、ぎあって何!?』
『あははははは!』
少女が思わず漏らした悲鳴を聞いて、男女は腹を抱えて笑い出した。
『はー、はー……ほら大河もやりなよ!』
目元の傷を押さえていた少女の手を、女の手がどかせて押さえ付けた。
『おう』
男は楽しそうに、咥えていた煙草を人差し指と親指で挟んで持った。
そこでぷつん、と映像が消えた。
「…………」
女の額から、黒い根が抜き取られるように外された。
「……っ……!」
瑠璃は少女を抱き締めたままがくがくと震えていた。
「想像を上回る酷さだったな」
左手を自分の腰に当て、吐き捨てるように銘作が呟く。
「…………っ!?」
斉藤は困惑したような表情を浮かべて、ゆっくりと周囲を見回していた。
「俺は貴女の記憶を見せてもらう事も出来るんで、何があったかはよく分かりましたよ」
「――――!?」
戸惑いが浮かんでいた目が、はっきりと大きく見開かれた。
「同居の男とお互いに『自分は手を上げてない』って言ってたけど、実際は虐待が二人の共通の娯楽だったとは」
「……な……!?」
「しかも心愛ちゃんはかなりお母さんを庇って話してたんすね。あの子の話ではここまでだったとは分からなかったし」
「…………!」
母親はゆっくりと俯いていった。
「しかし不思議なもんだな、一緒に虐待までして繋ぎ止めてた男に罪を全部擦り付けてたなんて。逆に庇うくらいしそうな勢いだったのに」
単純に気になった事を口にしただけだったが、目の前の女は応えるように口を開いた。
「大河が……警察を呼ばれた途端……『こいつがやってたんです、俺は見てただけですから』なんて言い出すから……あんなに尽くしてたのに……裏切るなんて……!」
「いや貴女が先に子供を裏切ってたでしょ」
さも悲劇のヒロインのように涙交じりに語り出したので、思わず突っ込みを入れた。
「な……!」
「まーとりあえず、ココちゃんが何でお母さんの夢に現れてたのかははっきりしたっすね」
「…………?」
また怒鳴り出しそうだった声を遮って続ける。
「お母さんは塀の中から出てきたけど、一人で寂しそうにしてたから、笑顔にしてあげようと思って顔を見せに来てたわけだ」
幼い少女に視線を向け、確認するように言葉を投げかけた。
瑠璃がそうなの?と腕の中の少女に聞くと、小さな頭が頷くのが見えた。
「――――!」
母親は目を見開いて凍り付いた。言葉を失った様子だった。
「『どうして?』って言ってたのは、『どうして笑ってくれないの?』って意味だったんだな。あんなに腹抱えるほど笑ってたのに今は怯えきってたから」
またこくん、と頷いた。
「これであの子がお母さんのイメージじゃあなく、死んだココちゃん自身だっていうのも確定したっすね。お母さんはココちゃんがそんなに自分を心配してくれてたなんて思ってもなかったみてえだし」
「……な……によ……それ……」
母親は固まりながら、酷く混乱しているようだった。
「……ココちゃん」
瑠璃がそっと心夏に話しかける。
「お姉ちゃんに会いたくない?」
「――お姉ちゃん?」
少女の声が微かに弾んだのが分かった。
「お姉ちゃんは、ずっとココちゃんの事を心配してたし、ずっとごめんねって言いたかったんですって。会えるなら会いたいって言ってたけど……どうする?」
「お姉ちゃん会いたい!」
弱々しい少女は、はっきりと気持ちを口にした。
瑠璃も微笑みながら頷く。
「じゃ、由芽乃さん……」
「いやああああああ!」
瑠璃の言葉に被せるようにして、突然斉藤の悲鳴が響き渡った。
何事かと銘作達が振り返ると、斉藤の周囲に大小様々な人影がひしめいていた。
「な……あれは……!?」
瑠璃が警戒しながら心夏を抱き寄せる。
「大丈夫だ、よく見てみろ。ココちゃんには見せねえ方がいいけど」
「え……?」
緊迫感の無い銘作の口振りに戸惑った様子ながらも、言われた通り薄暗い通路の先にいる人影に目を凝らした。
「――!?」
瑠璃は思わず自分の口を塞いだ。
斉藤の周りにひしめき、まとわりつく人影は、大きさは大小様々ながら、全て心夏と同じ姿形をしていたからだ。
小さいものは腕によじ登れる程、大きいものは母親を見下ろす体長ながら、頭と体の大きさのバランスは全て心夏本人と同じ幼児のものだった。
それらが皆、母親に群がってすがり付こうとしていた。
「……あれは……一体……?」
瑠璃は呆然と呟いた。
「ありゃこの夢を見てる本人……つまりあの人の心が生んだもんだ。本人のイメージが悪夢に出てきたやつだな」
「あれが……イメージ……?」
「いやっ!助けてえ!」
母親は酷く怯えながら必死に振り払おうともがき続けていたが、大小沢山の心夏達は、母親を傷付けるでもなくただすがり付き、逃がさないようにしているように見えた。
「ココちゃんの気持ちが分かったら出てきたわけだし、何よりココちゃん本人はここにいるんだし、あれは本人の罪悪感の現れだろうな」
「……罪悪感……」
「ああ、だからあれに傷付けられるとかはねえ。本人が怖いと思ってるからああしてびびってるだけで実害はねえよ。だからココちゃんは早く連れてった方がいい」
「あ……」
瑠璃は銘作に言われた通り、心夏には見せないように彼女を抱き締めていたが、さすがに母親の悲鳴が聞こえては心夏も気になる様子でなんとか振り返ろうとしていた。
「お母さん……?……どうしたの……?」
「大丈夫、あれはお母さんが自分で乗り越えねえといけないもんなんだ。大人にはそういう時があるんだよ」
深刻な事ではないという口調で説明する銘作に続けて、瑠璃も心夏と目を合わせて口を開いた。
「お母さんは大丈夫だから、お姉ちゃんを助けてあげて?お姉ちゃんもよく泣いてて、ココちゃんに会いたいって言ってるの」
「お姉ちゃん、泣いてるの?」
「うん、お姉ちゃんを助けられるのはココちゃんだけなの」
「行く!お姉ちゃんとこ行く!」
「ありがとう。じゃ、行こうね」
瑠璃は心夏を抱き上げると、銘作に視線で合図を送った。
銘作が頷いたのを確認すると、瑠璃はそのまま上空へと飛んでいった。
「何やってんの!早く助けてよ!」
相変わらず娘そっくりのイメージに囲まれてもがいていた母親は、また銘作に悪態をつき出した。
「いや、それはお母さんの心が生んだイメージっすから。俺が力任せに消したところでいくらでも出てきますよ?」
「あんたプロなんでしょ!?どうにかしてよ!」
「どうにかするには……お母さんが罪悪感から解放されるしかないっすね」
またキレてきた依頼人に対して、のらりくらりと返す。
「どうしろっていうのよ!?」
「う~ん……やった事全部正直に公表するとか?」
「――――!?」
顎に手を当てて考える素振りをしながら呟くと、力一杯喚いていた依頼人が急に静かになった。
「あ、でもご自身の裁判は終わってるんでしたっけ?彼氏さんは控訴してるらしいっすけど……」
「……ふざけてんの?」
「へ?いえ全然。ご本人の心が原因の悪夢だと俺に出来る事なんて限られちまうんで、カウンセラーの先生とかに相談した方が確実っすよ。娘を殺した罪悪感で悪夢を見る、って」
「……あたしが殺したんじゃないわよ!死なせるつもりなんて無かったんだから!」
「ならそう裁判官とかに言ってください」
そう言い放って、銘作はくるりと依頼人に背を向けた。
「俺に解決は出来なかったんで料金は結構です。そんじゃー」
挙げた片手をひらひらさせて、そのまま通路をすたすたと歩いていく。
「ちょ、ちょっと!何とかしてよ!」
大勢の娘達を掻き分けながら、母親は必死の形相で去っていく背中に怒号と化した声をぶつけた。
「あんたがあたしに変な事したって警察に言ってやるから!」
「いや刑事の知り合いいるんで、こっちの話も聞かずにいきなり逮捕されるなんて事はないっすよ」
それが依頼人が最後に聞いた、悪夢カウンセラーの男の言葉になった。
やがて娘達に視界も覆われ、何も見えなくなった。
「――じゃあ、無事お姉ちゃんに会えたんだな」
「はい、お姉ちゃんに会いたいって気持ちを強く持ってくれたからか、ちゃんと夢に入る事が出来ました」
次の日、銘作は瑠璃の病室で昨夜あれから瑠璃達がどうしたかを聞いていた。
あの後依頼人の夢から自分の体に戻ってきた銘作は、そう簡単には逮捕されないとは言ったもののさすがに少々心配になり、依頼人の部屋から一目散に逃げ出してなんとか終電に乗る事が出来た。
そのまま家に帰りついてからまたすぐ夢の中に入ったが、結局瑠璃達がどこに行ったのか見つける事が出来なかったので、翌日になってから瑠璃の元に直接赴いて話を聞く事となった。
「心愛ちゃんは何回も『ごめんね』って言いながら泣いちゃいましたけど、心夏ちゃんはお姉ちゃんに会えて凄く嬉しそうでしたし、心夏ちゃんにお姉ちゃんを恨む気持ちは全然無いって分かって、心愛ちゃんもようやく安心出来たみたいでした」
「そうか、それなら心愛ちゃんはもううなされなくなるかな」
「多分大丈夫だと思います。心夏ちゃんが天国に行くのも見送れましたし……ああ、心夏ちゃんが上に上に浮かんでいって見えなくなったんですけど……あれって成仏したと思っていいんですよね?」
「だと思うわ。俺も夢の中で死んだ人に会った時、心残りを解消してやったりするとそうやって消えてくからな。たまに下に沈んでく人もいるけど」
「……じゃあ、ちゃんと天国に行けたんですね。良かった……」
瑠璃はほっとした様子で溜息をついた。
「……後は、お母さんが気持ちを入れ替えて、ちゃんと心愛ちゃんを迎えに行ってくれればいいんですけど……」
だがまたその目に不安の色が宿った。
「……まあ、罪悪感を感じれるようになっただけ進歩したとは思うけどな……」
銘作も眉根を寄せた。
「……施設にいた時にも酷い親の話は聞いてましたけど……何であんな事が出来るんでしょう……?」
「少なくとも昨夜の母親の場合は、『女は男に幸せにしてもらうもの』だと思ってるタイプだろうな。たまにいるんだよああいう女」
「ええ……?」
瑠璃は意味が分からないといった様子で怪訝そうな顔をした。
「多分結婚相手探すのは就職活動すんのと同じみてえに思ってんだろうな。だから生活のために男に気に入られようとするとか、努力の方向がおかしくなるんだと思うわ」
自分にも色目を使われた事は黙っておいた。
「……しっかし、今回はお前のおかげで助かったな。俺だけだったらなんも分からねえままだったかもしれねえし」
「い……いえいえ!由芽乃さんだけでもココちゃんの記憶を見てれば分かってたでしょう!?」
銘作に礼を言われると、瑠璃は頬を赤らめて慌てだした。
初めて会った時と比べると顔の包帯も左側は少し減っていて、まだ内出血の跡が残る頬も赤らんだのが分かった。
「いや、記憶を見れるのはその夢を見てる本人のだけなんだ。夢に入り込んだ他の人間のは無理なんだよな。それが出来れば仕事ももっと楽になるんだけど……」
「そうなんですか?」
「ああ。まああれは滅多にやらねえけどな。見たい記憶をピンポイントで見れるわけじゃねえから関係ねえ記憶も覗いちまう事も多いし、信頼商売なだけにプライバシーの侵害には気ぃ使ってんだ」
「そうですか……私にはそういう事は出来ないんですかね?」
瑠璃は自分の両手を見つめた。
「あれは夢魔の力だからな、成りかけの俺にしか出来ねえよ……それよりお前の目的の夢をすぐ見つけられる力の方がよっぽど役に立つだろ」
「え?」
瑠璃は不思議そうな顔をこちらに向けた。
「え?って……お前は俺がどこの夢にいても割とすぐ見つけてくるし、心愛ちゃんの夢もすぐ見つけただろ?何かセンサーみてえな力でもあるんじゃねえのか?」
「いえ……目で見つけてるだけですけど?」
「……目で?」
「ああ、寝てる間だから正確には目ではないでしょうけど……ほら、夢から出ようとすると、近くにある夢がいくつか見えるじゃないですか。その中からなんとなく由芽乃さんの気配がする方向の夢に入って、その入った先でまた選んで入って……を繰り返してるとそのうち見つけられる、って感じです。由芽乃さんはちょっと気配が強いんで。心愛ちゃんはいる場所が大体分かってたからすぐ見つけられました」
「…………」
さも普通の事のように話す瑠璃の説明を聞いていると、銘作は段々と気持ちが重くなっていくのを感じていた。
「……あれ、由芽乃さん?」
さすがに床の一点を見つめて視線が動かなくなった事に気づいたようで、瑠璃は不思議そうに銘作を呼んだ。
「……見えねえよ?」
「え?」
「……確かに夢から出ようとすると近くにある夢は見えるけど……一つしか見えねえよ?俺は……」
「……え?そうなんですか?」
瑠璃の声には驚きが混じっていた。
「……ああ、そういやお前は一度に複数の夢に干渉するなんて出来てたもんな……広い範囲を見たり感じたり出来るのがお前の力なのか……」
「……え……なんだかすいません……」
「いや謝んなよ……」
おかしなプライドが発動した男を前に、十代の少女は戸惑う事しか出来ないようだった。
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