2ー4 ちょっと待てよ……
そっと玄関の扉を開けると真っ黒に染まった空が見えたので、夢の中も夜なのか、と思った。
遠くにはうっすらと町並みのようなものが見えたが、よく目を凝らして見ようとするとぼやけてしまう。遠くまではこの空間は存在していないのだろう。せいぜいこのアパートの建物かその敷地くらいか。
首を出して辺りを見回すと、扉のすぐ左側のレンガ色の壁に寄りかかって座りながら、ぐすぐすと泣き声を漏らしている幼い少女を抱き抱えて優しく背中をさすっている瑠璃の姿が目に入った。
少女の視界に入らないよう、彼女の真後ろにあたる瑠璃の正面に回り込んでから小声で話しかけた。
「……どんな感じだ?」
「だいぶ落ち着いてきたみたいです」
瑠璃も小声で返す。
少女を気づかいながら抱き締めるその姿を見ていると、瑠璃はまだ十代なのにどっちが母親なのか分からなくなってくる。
「それにしても……今回はどういう依頼だったんですか?」
「……ああ……その子の母親から、死んだ娘が夢に出てくるって言われた……」
「……え?」
瑠璃が怪訝そうに目を細めた。
「……それが、悪夢だって言ってるんですか?それでこの子をどうしろって?」
非難めいた口調の瑠璃の様子に、少々困って顎に手をやりながら視線を上に向けた。
「……ん~~……その子が『どうして助けてくれなかったの?』っつって迫ってくるからどうしたらいいのかって……ん……?」
いや待てよ。
少しずつ視線と顔が下に向いていった。
「……依頼人は『子供がどうして助けてくれなかったの?って迫ってくる』って言ってたんだよ。でもさっき聞いた限りでは、その子は『どうして?』としか言ってなかったな」
「え?」
瑠璃はまだ話が飲み込めない様子だった。
「ようするに、依頼人はその子が『どうして助けてくれなかったの?』って言ってると思ってるみてえだけど、実際はそうとは限らねえんじゃねえか?その子が言いてえ事は他にあるのかもしれねえ、って思ったんだけどな……」
「……言いたい事……そうなの……?」
瑠璃が胸元の少女にそっと声をかける。
「由芽乃さん、この子の名前は分かりますか?」
「……あ~~……ココちゃん」
言いづらそうに呼び名だけ口にすると、瑠璃ははっとした顔になった。
「……もしかして……心夏ちゃんですか?」
「……ああ、ニュース覚えてたのか。俺はすっかり忘れちまってたわ」
知っているなら話は早い。
「……ねえ……ココちゃん?」
瑠璃がまた声をかけた。今度は少女はゆっくりと顔を上げた。
「ココちゃんは、お母さんにご用があってここに来たの?」
心夏は小さく頷いた。
「どんなご用?」
「……お母さんが……」
ようやく会話を交わせたと思った瞬間、突然部屋の扉がばん!と音を立てて開いた。
「余計な事しないで……!」
先程まで怯えきっていた斉藤が、今度は今にも爆発しそうな怒りの形相で現れた。
「あたしはこの子をどうにかしてって頼んだでしょ!?さっさと追っ払ってくれればそれでいいのよ!なに余計な事してんの!?」
かと思いきや、突如瑠璃に向かって火が点いたかのように怒鳴り始めた。
その剣幕に心夏も驚いた様子で瑠璃にしがみついた。
「……せっかく泣き止んだんです、どうか静かにしてあげてください……!」
「はあ!?あんたあたしがうるさいって言いたいわけ!?なに上から物言ってんのよ!」
瑠璃は怯まずに少女を庇ったが、母親の悪態はますます酷くなった。
「……斉藤さん、まだこの子が本人なのか貴女の記憶から出てきたものなのか分からないんで追い出せばいいというものではないんです。現れた理由を見つけなければ根本的な解決は出来ないんですよ……」
銘作が恐る恐る口を挟むと、今度は困り果てたような顔を銘作に向けてきた。
「分かりましたからぁ!とりあえずこの上から目線の女何とかしてくださいよぉ!何なんですかこの子ぉ!」
怒りは収まらないままその感情を必死に違うベクトルに向けようとしているような甲高い大声を張り上げながら、今度はまるで瑠璃に何かされたかのような様子で銘作にすがってきた。
「え!?いやちょっとそういう話じゃないでしょ!?とりあえず理由を探らないといけないし……!」
思わず距離をとろうと後ずさっていると、ふいに瑠璃が抱えていた心夏を降ろして立ち上がった。
「すいません由芽乃さん、私ちょっと行きたい所が出来たんで後お願いします……」
「え!?え!?何この状況で行きたい所って!?」
突然の申し出に慌てて止めようとするが、瑠璃はさっさと飛んで行ってしまった。
(おいおいおいおいおいおい……!)
依頼の遂行とは違う意味でこれはまずいという予感に包まれる。
「と……とにかく、一度この子の話をちゃんと聞いてみましょう?そうしないとどうしようもないので……」
「話って……そんな事出来るんですか……!?」
いや出来そうだった所に貴女が乱入してきて中断されちゃったんですけどね!?
「話は通じるみたいなんで……とりあえず聞いてみます……」
とは言ったものの、さっきは顔を合わせただけで号泣されてしまった。
瑠璃ならば話も出来ただろうが、果たして自分にこの子の相手が務まるだろうか。
「……ん~~……あ、そうだ……」
子供に人気の猫の妖怪のぬいぐるみを出して、顔の前に掲げた状態でしゃがみ込んだ。
「こ……こんばんはニャン!何のご用があったのかオレっちに教えてほしいのニャン!」
――何やってんだ俺は――。
駄目元で思い付きを試してみたが、いざやってみたら想像以上に脱力感に襲われた。
「…………」
せめて良い反応が返ってくれば報われるが、肝心の心夏は黙り込んだままだった。
「…………」
そのまま何十分も経ったような気がした。
沈黙の辛さを痛い程感じていると、ふいにぬいぐるみを引っ張られるような感触があった。
視線を少し上げてよく見ると、小さな手がぬいぐるみの耳をふにふにといじっていた。
(……こいつは……)
試しにぬいぐるみを差し出すように少女の目の前に近づけてみた。
「…………」
小さな両手が、そっとぬいぐるみを受け取った。
(お……!)
心夏は顔は無表情のままだったが、手に取ったぬいぐるみを撫でたり引っ張ったりふにふにといじったりしていた。
(……よし)
もう一つ、今度は白い狛犬のぬいぐるみを出して差し出してみる。
「…………」
猫のぬいぐるみを小脇に抱え直し、心夏はもう一つのぬいぐるみも両手を出して受け取った。
たっぷりした頬を引っ張って遊んでいるように見える。
「…………」
こうして見ると、普通の子供と何ら変わらない。普通の子供よりも大人しく見えるくらいだ。
ぬいぐるみの感触を確かめるかのように触ったりいじったりしている姿を見ていると、生前は買ってもらえなかったのかな、と思ってしまう。
(あ、そうだ)
『こんばんはニャン!』
『こんばんはズラ~!』
「!?」
突然手の中のぬいぐるみが喋りだしたので、心夏もさすがに驚いたようだった。
『脅かしてごめんズラ~』
『オレっち達、ココちゃんとお友達になりたいのニャン!』
「……!」
心夏は目を丸くして、テレビで聞いたのと同じ声で喋らせているぬいぐるみを見つめている。
(……あ、最初っからこうすれば良かったのか……)
ちょっと虚しくなったが、気にしないようにしてぬいぐるみを喋らせるのに集中する。
『ココちゃんは何したいのニャン?』
『教えてほしいズラ~』
時おり短い手もぴこぴこと動かしてみる。
心夏もだんだんと高揚してきたように頬が赤らんできた。
「……あ……あのね……」
ようやく心夏が口を開いてくれたと思った次の瞬間、急にばたん!と何かが叩きつけられるような大きな音が響いた。
「!?」
「――っ!?」
何事かと音の方へ振り返ると、先程まで開け放たれたままだった玄関の扉が閉まっていて、その扉に斉藤が手をかけていたのが目に入った。
「……どうしました?」
警戒する目で振り返った銘作に、斉藤は無感情な声を投げかけた。
「……そちらこそどうしました?さっきまで開けっ放しだったのに急に」
こちらも抑揚を抑えた声で返す。
「開けっ放しにしとく方がおかしいでしょう?ちゃんと閉めとかないと……」
「他に誰もいないのにっすか?」
今度ははっきりと憤りを込めた声で返した。
ようやく話をしてくれそうだった心夏も、先程の音に驚いたようで、ぬいぐるみをぎゅうと抱き締めて固まってしまった。
「こうも続くと、いくら俺でも『なんかあるな』って言わざるを得ないっすよ?」
「……は?いきなり何言ってるんですか?」
「ぶっちゃけると、最初話を聞いた時から違和感はあったんすけどね」
「――――っ!?」
目を逸らさないまま、ゆっくりと立ち上がった。
「自分の子供が出てくる夢を悪夢だって言ってる時点で妙だと思ったし、この子は何もしてねえのに怖がり過ぎじゃねえですか?」
「……っそんなの……人の勝手でしょ!?」
また怒り始めた斉藤に対し、今度は怯まずに返す。
「じゃあ、何であんなに怖がってたんすか?せっかく娘さんが会いに来てくれたのに」
「そんな事あんたに関係ないでしょ!?」
ふう、と一度息を吐き出す。
「死んだ誰かが夢に出てきて一番怖がるのは……その相手に対して後ろめたいものがある人っすよ」
「……っ……だから……勝手に決めないでよ!そんなの一般論でしょ!?」
「何も後ろめたい事はねえっていうなら、普通にココちゃんに話聞かせてくださいよ」
「聞けばいいでしょ!?」
「聞けそうになると、その都度貴女が妨害してきたでしょ」
「は!?何よ妨害って!あんたが無能なだけでしょ!」
話をすればする程感情的に怒鳴り散らしてくる。
このままでは心夏が怯えるだけで埒があかない。
明確な根拠を示せなければ、一度この依頼人の口と動きを封じでもしない限り話が進みそうにない。
――封じるか。
また縄でも出そうとしたその時。
「由芽乃さん!」
「……瑠璃?」
瑠璃が上空から戻ってきて、心夏のすぐ近くに着地した。
――良かった――本当にちょっと行きたい所が出来ただけだったか――。
とりあえず胸を撫で下ろしていると、瑠璃はこちらを見据えてすぐ口を開いた。
「お姉さんから……
「へ?」
「――――!?」
「……お姉ちゃん?」
銘作にとって初めて聞いた名前に、母娘二人は反応を示した。
「心夏ちゃんは……お母さんに笑ってほしいんじゃないかと思うそうです……」
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