1-7 ま、今回は儲かったな
「ちょっ……瑠璃ちゃん、どうしたの!?」
丁度良かったと思うべきか、まずい所を見つかったと思うべきか。
一人で車椅子に乗れるようになれないかと、ベッドの脇まで車椅子を引っ張って乗り移ろうとしたものの、お尻半分しか座れなかった所で重心を崩してずるずると滑り落ちてしまい、なんとかよじ登ろうと悪戦苦闘している所に静香が病室にやって来たのだった。
「……あの……車椅子の練習しようと思って……」
「なら誰かいる時か呼んでからやって!」
慌てて駆け寄ってきた静香に、車椅子に座らせてもらった。
「も~~びっくりさせないで~~!何があったのかと思ったから~~!」
「すいません……!」
この人は本気で心配してくれるからいたたまれなくなる。
「……でも……車椅子に乗ってみようって思ったの……?」
「あ……はい……」
座った瑠璃を見下ろす姿勢で、その顔を覗き込むように静香が目を合わせてきた。
今まではあの男への恐怖に常に付きまとわれ、病室から出る事も出来なかった。
でも今は恐れる必要は無くなった。それに加えて、動けるようになりたい、行動範囲を広げたいという気持ちが芽生えて自分の背中を押していた。
「……ちょっと話す事があったんだけど……廊下歩きながら話そうか?」
「え……部屋の外で話しても大丈夫なんですか?」
「この階の中なら大丈夫よ」
そう言って、車椅子を扉へと向けてくれた。
「……なもんで、仕事入っちゃってちょっと遅れて来る事になっちゃったんだ。今日こそ連れてくるつもりだったんだけど……」
「そんな急がなくても大丈夫ですよ、お仕事ならしょうがないですし」
静香が時々後ろから押して補助してくれる状態で、瑠璃はなるべく一人で車椅子を動かせるように頑張って廊下を進んでいた。
「…………」
「……静香さん?」
エレベーター前のホールの近くまで来た辺りで、ふいに静香が黙りこんでしまった。
気になってなんとか後ろを 振り返ろうとすると、その様子を悟ってか静香の方から前に来てくれて、そのまま瑠璃の目の前にしゃがみ込んだ。
「……本当は……すぐ言わなきゃいけなかったんだけど……」
俯きながらそう言った後、意を決したように顔を上げて口を開いた。
「矢作容疑者が……あの男が、死んだわ」
「…………!」
どんな顔をすればいいのだろうか。
とりあえず今は、静香が申し訳なさそうな顔をしているのが気になった。
「……何が……あったんですか……?」
「昨夜の深夜、拘置所の見回りの人が気づいた時にはもう心臓が止まってたんですって……それが怪我も何も無くて、見た目では死ぬような痕跡は何も見つからなかったそうなの……本当に何も無いのに急に心臓だけ止まってしまったような状態で……病院に運ばれたけど、結局すぐ死亡確認されたそうよ。私も見てきたけど間違いなかった」
「……見てきたんですか……?」
「うん。死因が分からないから解剖に回すんですって。でもひょっとしたら見つからないままかもって……そうなったら本当に不審死ね。まるで死神にでもやられたみたい」
「…………」
「……って、こんな例え方は良くないわね……」
「あ、いえ……」
銘作は、人間が夢魔になると意識が体から切り離されてその体は死ぬと言っていた。そうやって死んだ体はどうなるのかと思っていたが、何の痕跡も無く突然死したように見えるという事だろうか。
「……ごめんなさい」
「え?」
急に静香に謝罪されて、何だか分からずに焦ってしまった。
そうしていると、静香に両手を取られてそっと握り締められた。
「あの男が傷付けた貴女の名誉を……裁判で必ず回復出来ると思ってたのに……こんな事になるなんて……私達がもっとちゃんと気をつけていれば……!」
握った手に額を寄せるように俯いた静香は、絞り出すような声でそう言った。
「そんな事……!静香さんの……静香さん達のせいじゃないですよ!それに名誉なんて……正直……死んだ事に比べたら……」
「え……?」
そっと顔を上げた静香と目が合う。
「……こんな事言ったら……酷い奴だって思われるかもしれませんけど……あの男が死んだって聞いて……正直……ほっとしてるんです……これでもう……殺される事は無くなったから……その事の方が……私にとっては……名誉とかより……ずっと大事な事なんです……」
「――酷いなんて!そんなの気にする事ないわよ!安心して当然じゃない!」
「……そう思ってもらえます……?」
「勿論!」
「じゃ、それでいいですよね。この話は」
そう言って微笑んで見せた。
「……!」
一度目を丸くした後、静香は眉尻を下げながら薄く笑った顔をした。
「……なんか……私の方が瑠璃ちゃんに支えられちゃってるね……」
「……ええ?」
「私が瑠璃ちゃんを支える役になるつもりだったのに……結局……何も出来なかったのね……」
言いながら視線を落としてしまう。
「――そんな事ないですよ!」
思わず声を張り上げてしまった。
「……静香さん……覚えてます?初めて静香さんと会った日の夜の事……」
「え……?」
また顔を上げてくれた。
「私が一人で眠るのを怖がってるって察してくれて、付添許可を貰って一晩一緒にいてくれた時です」
「うん……覚えてる……結局私も座ったまま寝ちゃったんだよね……」
「でも、約束通りずっと手を握っててくれたじゃないですか。朝になって目が覚めたら、手は眠る前のままだったから……正直、凄く驚きました」
今度は、握られていた両手を包み込むように握り返した。
「あの時……私がどれだけ嬉しかったか……分かります……?」
「……え……」
驚いた表情になった。
「施設も出て、これからは全部自分の力で頑張らなきゃって思ってた矢先にあんな事になって……助かった後も……これからどうすればいいのか……どうやって生きていけばいいのか全然分からなかったんですけど……」
握った手にそっと力を込めて、包帯の隙間から微笑んで見せた。
「あの時思ったんです……この人は、私の味方なんだって……私は……一人じゃないんだって……」
「…………!」
目が大きく見開かれる。
「それが……どれだけ嬉しかったか……私は……一人で全部やらなきゃいけないって思ってたから……味方になってくれる人がいる……それだけで……それが……何より心の支えだったんですよ……?」
感謝の気持ちを少しでも伝えたい。そのために精一杯の言葉を並べた。
「ここに居てくれて……来てくれて、ありがとうございます、本当に」
伝わっただろうか。ちょっとドキドキしながら様子を伺う。
「……う……っ……」
すると、急に静香の両目からぶわっと涙が溢れてきた。
「え……っ?」
「もお~~!何でそんなに嬉しい事言ってくれるのよお~~!」
そんな泣き声を上げながら抱き付いてきた。
「瑠璃ちゃんの前では泣かないようにって頑張ってたのにい~~!責任取って妹になってよお~~!」
「せ、責任!?」
「うわあ~~ん!」
泣きじゃくってしまった静香を慰めようと、子供を落ち着かせるようにそっと背中を撫で続けた。
「……はあ……こんなだから警官向いてないって言われるのかな……」
「ええ!?誰がそんな事言うんですか!?」
少しして落ち着いた静香がふいに口にしたのは、瑠璃にとっては思いもよらない言葉だった。
「よく言われるよ?自分でも自覚あるもん」
「そんな……!もし静香さんがいなかったら私どうなってたか……」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど……警察としてはあんまり被害者さんに感情移入し過ぎるのは良くないからね……」
瑠璃に抱き付いた姿勢のまま、ぽつぽつと呟き続ける。
「被害者になっちゃった人達の味方になりたくて警官になったんだけど……そうそうしたいようには出来ないのが現実だし……」
「そうだったんですか……」
静香がこんなにも親身になってくれるのは、何か理由があるのだろうか。
「……あ、静香さん、時間大丈夫ですか?」
「え?ああ……大丈夫、もう少し時間あるから」
そう言われて静香はようやく体を離し、腕時計を確認した。
「でも静香さん……お化粧大丈夫ですか……?」
「え!?あ!ど、どうなってる!?酷い事になってる!?」
かなり泣きじゃくってしまったので、流石に多少崩れた跡が見てとれる。
「酷くはないですけど……静香さん元々お化粧薄いですし。ちょっと目の辺りが落ちちゃったくらいですよ」
「そうなの!?直してから行きたいな…」
「あ、私は一人で戻れますから大丈夫ですよ」
「え、大丈夫!?」
「はい、お気になさらず」
慌て出した静香を安心させようと、笑顔を向けた。
「……じゃあ、焦らないでゆっくり帰ってね!?くれぐれも無理しないで!」
そう言って静香は早足でトイレに向かった。
「……」
ちょっと申し訳ない気持ちになったが、瑠璃は自分が来た病室の方向とは逆の、エレベーターホールの方へと車椅子を向けた。
さっき静香を慰めている間、エレベーターから由芽乃銘作が出てきて、自分達がいた場所とはホールを挟んで反対側の廊下へ歩いていったのが見えた。
自分の見舞いに来てくれたのだろうか。でも、だとすると遠回りになる道を行ったように思う。
エレベーターに戻ってきてはいないので、彼はまだこの階にいるはずだ。とりあえず、彼の向かった方向を追いかけてみた。
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