1-6 ……こいつはまた……

 この病院の人達は銘作のやり方などは分かっているようで、銘作が突然怪我をした事を伝えると医者も看護師も何も聞かずに手当てをしてくれた。

 その様を見ていると、ふいに静香の携帯が震え出した。

「あ……ちょっと失礼します……!」

 急いで病室の外に出て画面を確認すると、上司の番号が映し出されていた。

「はい、もしもし……」

 声を抑えつつ通話に出る。

「……え……心肺停止……?」

 思わず茫然とした声が漏れた。

『見回りの所員が発見した時には、布団の中で白目をむいた状態で固まっていたそうだ。何事かと房に入って様子を見たら既に心肺停止していて、救急車が来るまでの間蘇生措置を試みたが反応は無し。もう救急車に乗せられたそうだが……駄目かもしれんな』

「……持病などは無かった筈ですよね……まさか……自殺……?」

『まだ何とも言えんが、少なくとも外傷は見当たらなかったそうだ。飲んで死ぬようなものなど触れられる所には置いていないし、食事にアレルゲンがあったならばもっと早く症状が出ている筈だ。顔も苦しんだ顔とは少し違ったそうだしな』

「少し違った……?」

『ああ、なんでも怒って叫んでいるような顔で固まっていたそうで、見つけた時はその顔に何事かと驚いたそうだ。意識のある状態なら見慣れた顔なんだがな』

「…………」

『まあ死亡確認されたら解剖する事になるだろうが……鑑識も拘置所に向かってるから、何か分かったらまた連絡する』

「分かりました、有難うございます。こちらが済み次第私もすぐ向かいますので……では」

 通話を切った。

「……何で……矢作が……?」

 拘置所に入っていた矢作京介が、未明に心肺停止の状態で発見されたとの連絡だった。

 自分は毎日様子を見ていたわけではないが、元気過ぎるくらい元気だったという印象しかない。怒り過ぎて頭の血管が切れたというならまだ想像もつくが、それで本当に死んだりするものだろうか。それも恐らく寝ている最中に。

「……寝てる最中に……?」

 思わず背後の病室の扉に目をやった。

「いや……まさかね……偶然でしょ」

 小さく頭を左右に振って、静香はまた病室の中へと戻った。




 夢魔が完全に消えたのを確認すると、銘作は鎌を消して後ろの瑠璃の元へ歩いていった。

 瑠璃はまだ周囲をきょろきょろと見回していた。夢魔の痕跡がどこにも存在しないか確かめているのだろう。

 ゆっくり近づいていくと、瑠璃の方から口を開いた。

「……あの化物は……どうなったんですか……?」

「さあなぁ」

「え……!?」

 正直に言うと、瑠璃は怯えが入った驚きの声を上げた。

「まず人間が夢魔になると、その意識が人間の体から完全に切り離されて、体は死んだ状態になる。つまり夢魔ってのは精神とか魂だけの存在なんだ。それが死んだらどうなるのか……あの世に行くのか、それとも完全に消滅しちまうのか……ぶっちゃけ俺にも分かんねえんだよな」

「ああ……」

 瑠璃は小さく頷いた。

「まあ一つ言えるのは、一度倒した夢魔にまた出くわした事は今まで一回もねえって事だ」

「……!」

 ようやく望んでいた答えを貰えたらしい。だいぶ緊張感が抜けたように感じた。

「……あ……その怪我……!」

 と思っていたら、銘作の傷を見て血相を変えた。

「いや大丈夫だって……ん?」

 瑠璃が急に立ち上がると、焦った様子でこちらに駆け寄ってきた。

「でも血が出てますし……!」

 そう言うと、瑠璃は頭に巻いている包帯を引っ張りだした。

「え?おいちょっと……」

 本来ならばきっちりと巻かれているものだろうが、夢の中だからかするするとあっさり解けていく。

 間も無く包帯の隙間から、栗毛色の癖のある長い髪がふわりと溢れ出てきた。

 どう見ても包帯の中に収まっていた量ではない。これも夢の中ならではだろう。

 切る前の髪を再現しているのなら、長さだけでなく髪の量も多い方だったようだ。触れたらふわふわと気持ちよさそうな質感をしている。

「あの……こんなのしかありませんけど……」

 そう言いながら解かれた包帯の下から、瞳を潤ませた儚げな美少女が現れた。

「……へ……?」

 長い睫毛に縁取られた垂れ目気味の大きな目は、身長差のせいか上目遣いでこちらに向けられている。

 白い頬は若干紅潮し、申し訳なさそうな恥ずかしそうな表情に潤んだ瞳が加わって、守ってあげたくなるような儚さと違う意味で泣かせたくなるような何とも言えない色気が同居していた。

(……こいつ……こんなに可愛かったのか……?)

 全く知らない相手だというのに思わず攫ってしまったあの男の気持ちも……そこまでは流石に分からないが。

 いや現実には怪我をしているから、この顔は瑠璃自身がイメージで作った顔だ。これがそのまま本人の顔だとは限るまい。盛ってるかもしれない。

「……あ……あの……?」

 じっと顔を見たまま固まってしまったせいか、瑠璃は解いた包帯を差し出した姿勢のまま不安そうな声を漏らした。

「あ……もしかして顔、治ってませんでしたか……?元通りにしたつもりだったんですけど……」

「……あー、いや、元の顔は分かんねえから……」

 そう言いながら手鏡を出して、瑠璃に向けながら渡してやる。

 瑠璃はそれを受け取ると、頬にかかった長い髪を指先で避けながら念入りに覗き込んだ。

「……良かった……ちゃんと治ってる……!」

 陥没させられたという顔の右側に遠慮がちに触れながら、瑠璃は今にも泣きだしそうな笑顔で鏡を見ていた。

「……」

 瑠璃はさっきから「治った」「元通りにした」としか言っていない。

 ならやはりこの顔が瑠璃本来の顔なのだろうか。

「あ!」

 両手で鏡を触りながら、瑠璃が急に大声を上げた。

「ん?どうした?」

「……そうだ……使用済みの包帯渡さなくても……こうやって新しいのを出せば良かったんだ……!」

 言いながらへなへなと座り込んでしまった。

「……あー、いやいや、気にする事ねえんだからな?夢の中だから止血とか関係ねえし、どのみち俺のミスだから大丈夫大丈夫」

「……っそんな!」

 落ち込んでいたかと思っていたら、急に瑠璃が立ち上がった。

「怪我したのは私の夢に入って、私を助けてくれたからじゃないですか!元はと言えば私のせいだし……!」

「それは違うぜ」

 瑠璃が責任を口にし出したので、きっぱりと遮った。

「胡散臭いって言われる仕事だって自覚はあるが、金貰ってる以上はプロだって自負もある。依頼受けたからにはお前を助けるのが俺の仕事だ。その上で怪我するのは俺の責任だし、何より今回は俺が油断したせいでお前が傷付く所だった。本当だったら罰金でも済まねえ事態になってた所を、逆にお前に助けられちまったんだよ、俺は」

「……え……」

「お前じゃなかったら……いやお前でも咄嗟にあれだけの強度の壁が出せなかったら……ほんっと血の気が引いたぜあの瞬間は……マジで助かった、ほんっとありがとな」

 思い出しただけで冷や汗が出る。額の汗を拭いながら瑠璃に頭を下げた。

「え……ええ!?ちょっ、止めてください!そんなの由芽乃さんが言う事じゃ……!」

「俺が言わねえといけねえ事なんだよ。それが大人の責任て奴だ。責任ついでに、危険な目に会わせちまってすまなかった」

 また頭を下げる。

「……そんな事……!それこそ気にしないでください!悪いのはあいつですから!」

「そう思うか?」

「当然です!」

 随分強い目をするようになった。

「そうか、じゃあこの話はもう終わりな」

「……え……?」

 その目が今度はぽかんと開かれた。流石に不意打ちだったらしい。

「……しかし、いきなり夢魔の攻撃を防げるような壁を出すなんてなかなか出来ねえぜ?やっぱお前凄えんだな」

「……え、そうなんですか……?」

 話題を変えると、少し戸惑いながらもついて来た。

「ああ、お前がやった複数の人間の夢に入るっていう技は俺にも出来ねえしな。最初聞いた時は驚いたぜ」

「それは……技というか……どうやったのか分からないんですけど……」

 若干困ったように俯いてしまったが、そのまま何か考え込むような表情に変わった。

「……あの……私……」

「ん?」

 口元に手をやったまま、どこか遠慮がちに口を開いた。

「……私……も……由芽乃さんみたいになれますか……?」

「へ?」

 今度はこっちが不意を打たれた。思わず間の抜けた声が出てしまう。

「……え~と……それは……俺みたいな仕事したいって事……?」

「あ、いや仕事に出来る程大した事が出来なくてもいいんです!ただその……由芽乃さんのお手伝いが出来るくらいにはなれるかな……なんて……」

 段々と小声になりながらも、なんとか聞き取れる程度には発声してくれた。

「あ~……気持ちは有難いけど……助手雇うような余裕はうちにはねえぞ?」

「お金が欲しいわけじゃないです!ただ由芽乃さんの……あ、いやその……由芽乃さんみたいになれたらいいなって思っただけですから……!」

「俺みたいに?」

「は、はい!」

 これは予想外の展開だ。まさかそういう憧れの対象になるとは思ってもみなかった。

「……私……」

「ん?」

 今度はまた俯いて言葉を発した。

「……顔も……脚も……元通りにはならないかもって……言われてるんです……」

「……!?」

「歩けるかも……分からないって……」

 俯いたまま患者服をきゅ、と握り締める。

「ただでさえ綺麗な折れ方じゃなかった上に……折られたまま放置されてたから……まだ何回か手術する必要があるんですけど……それでも……」

「…………」

 ただ服を掴んだ手を震わせている瑠璃を前に、何も言葉が出てこなかった。

 まだ十代なのに、突然こんな理不尽を背負わされて生きなければならないのか。

「リハビリ出来るようになるまでも……まだ少しかかるみたいで……このままだと……歩き方も忘れちゃうんじゃないかって……思ってたんですけど……」

 そこまで喋ると、瑠璃はす、と顔を上げた。

「でも……気が付いたらこうやって立って、歩けてて……夢の中ですけど……こうやって、毎晩歩く事をイメージ出来れば……忘れずに済むかもしれないって……思ったんです……!」

「……ああ、成程」

 これからどうすればいいかも何も分からなかった少女にとって、夢を上書きする才能はようやく手が届いた希望のように見えたのかもしれない。

「病は気からって言うし、ちゃんと治った姿を毎晩イメージしてれば治ったりするかもな?分かんねえけど」

「ですよね!?やっぱりそう思いますか!?」

 なんとなくで言った言葉を聞いただけで、瑠璃は急にぱっと明るい表情になった。

「あ、いや分かんねえぞ?俺もやった事ねえし。俺が言ったから、なんてあてにされたりしたら困っちまうぞ?」

「大丈夫ですよ、そう思ってたのは私だけじゃなかったんだって思っただけですから」

 そういう瑠璃は随分嬉しそうだった。

 やっぱり笑うと一際可愛いな、こいつは。

「……で……あの……」

 そんな笑顔を見せていたと思ったら、瑠璃は急に恥ずかしそうに両手で口元を覆って、また視線を下にやった。

「……私も……他の人の夢に入れたら……由芽乃さんの……お手伝いとか……出来るようなら……しても……いいですか……?」

「……お手伝い?」

 さっきも「お手伝いが出来るくらいにはなれるかな」と言っていたな。そういえば。

「…………」

 指先で頬を掻きながらちょっと考える表情をしたが、やがてにかっと笑った顔を見せた。

「ノーギャラでいいなら、な」

「……ぷっ」

 じっと返事を待っていた瑠璃も、思わず吹き出してしまった。

「ふふふ……」

「くくっ」

 なんだかくすぐったいような、変な感じがして、少しの間二人で笑ってしまった。

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