悪夢退治屋 由芽乃銘作

水神竜美

1-1 俺が由芽乃銘作だ!

 どれだけ走っただろう。

 もう何十キロも走ったような気すらするが、男との距離は一向に広がらない。

 だが近づいてきているわけではない。こちらがペースを落とせば後ろも落とし、ペースを上げれば後ろも上げ、止まれば止まる。

 ずっと一定の距離を保ったまま、奇妙な男はじっとこちらを見ている。

 若干薄い黒髪に大きな目のその男は、不気味としか見えない薄ら笑いを浮かべたまま、何も言わず、何もせず、ただ貼り付けられたかのようにつかず離れずひたすら見ているだけ。

 危険は無いと言われればそれまでだが、この気持ち悪さは経験した者にしか分からないだろう。

 嫌だ、気持ち悪い、離れろどっか行け、来るな見るな顔を向けるなこっちへ来るな

「はい、そこまでー」

 突然、張り詰めた糸が一瞬でびよんと縮んだような気の抜けた声が聞こえたと思った瞬間、自分の後ろにずっと張り付いて来ていた男の背にずん、と胡坐をかいた男が落ちてきた。

「Oh!?」

「……え?」

 今まで声も出なかったのに、思わず疑問符が口から滑り出た。ついでに尾行男の声も初めて聞いた。

「てめえ知ってんぞ、世界中の人間の夢に入り込んでなんか気持ち悪がらせてる野郎だろ」

 落ちてきた男は胡坐の姿勢のまま、倒れてもがいている尾行男の背中に乗ったまま悪態をついている。

 一応助けられたが、後ろ髪だけをセミロング程度に伸ばしてパーマをかけた派手な金髪に、上下白のスーツの中はノーネクタイの真っ赤な開襟シャツという出で立ちはチンピラにしか見えない。

 そのチンピラはようやく尾行男の背から立ち上がると、逃げようとする男の襟首をひっ捕まえて立たせてから胸倉に持ち替え、ただでさえ悪い目つきを更に鋭くして間近で睨み付けた。

「見てるだけ、とか大方てめえ他人の夢に入れる能力はあるけどそれだけなんだろ。干渉する能力まではねえから持ち前の不気味な顔でただひたすら見てるだけでびびらせて楽しんでたってとこだろ?あ!?」

「……What?」

「ホワットじゃねーよ!日本語分かんねーなら黙ってろ!」

 自分で聞いておきながらえらい言い分だ。

 しかし。

「……夢……?」

 チンピラの言い分で、そういえばこれは夢かとようやく思い至った。

「いいか?悪夢ってのは……」

 言いながら、チンピラはすっかり困惑しきった男の頭部を空いた左手でがっしと掴んだ。

「こういうのを言うんだ、よ!」

 次の瞬間、チンピラが男の首をもぎ取った。

「ええええええええ!?」

「――――Ohhhhhhhh!?」

 始めは何か起きたか分からなかったらしい男も、首から上を失った自分の体をわざわざ見せられた瞬間けたたましい絶叫を挙げた。

「No!No!Help!Help!」

「うるせえなまったく、口から千切ってやればよかったか」

 悲鳴を挙げ続ける生首をお手玉のように両手でぽんぽんと跳ねさせながら、チンピラは心底鬱陶しそうに呟いている。

 ――悪夢だ。

 確かに悪夢だ。

 血は一滴も出ていないし、どう考えても生きていられるわけがない状況でどう見ても生きているのだからこれは夢で間違いない。

 だがどれだけ分かっていても眩暈と吐き気を治める事は出来なかった。

「あ、そろそろ見ない方がいい事しますんで、目ぇ覚ませるなら覚ましといた方がいいですよ」

 急にチンピラがこちらに話しかけてきた。

「……あ……はい……」

 そのやり取りで、チンピラは自分が雇った“悪夢カウンセラー”だったとようやく思い出した。



「あの男はネット上とかで“This Man”って呼ばれてるちょっと有名な奴でして、都市伝説で世界中の色んな国の色んな人間の夢に同じ男が現れてるっていうのがあるんですけど、どうやらあの男が他人の夢の中に自分の精神を自在に入り込ませる能力を持っていて手当たり次第に入り込んで回っていたみたいですね。夢の世界は距離とか関係ありませんので世界中の誰の夢にでも入れるんです。でも私と違って他人の夢に干渉する事までは出来なかったのでただ見ているだけだったようですね」

 一人暮らしには若干広いアパートを簡単に改装したオフィスで、“悪夢カウンセラー”を営む男、由芽乃ゆめの銘作めいさくは依頼人の男とテーブルを挟んで向かい合って座りながら昨夜の仕事の説明をしていた。

 改装と言っても、玄関からすぐの部屋の奥にデスクを一つ、その手前にテーブル一つとそれを挟む配置でソファを二つ置いて、それっぽい雰囲気の衝立で生活スペースと区切っただけの格安アレンジなのだが。

「……そうなんですか……ではあの男は人間だったと……?」

 若干顔色の悪い依頼人は、いまいちピンとこないながらも話についていこうとしているようだった。

「ええ、それも見ている事しか出来ない雑魚能力者でしたのでどうという事もない男でした。一晩ムカデ風呂に浸けてやったらもう二度としないと誓ったようでしたし」

「う……っ」

 一層顔色が悪くなった。

「……しかし、そのムカデ風呂とか、昨夜の首を千切ったりしたのは一体……何だったんですか……?」

「夢ですから、何でもありなんです」

「……は……?」

 流石に自分の理解を超えていたらしい昨夜の夢の展開が気になっていたようだったが、ずばり答えただけでは説明が足りなかったようで依頼人は戸惑った顔になった。

「え~と、“夢”っていうのは夢だと自覚してれば結構自分の意志で変えられるものなんですけど、私は他人の夢の中に自分の精神を入り込ませて、尚且つその夢を私の意志で変える事が出来るんです」

「……他人の夢を……変える……?」

「はい。例えば誰かが山登りをする夢を見ていたら、その山を海に変えたりムカデ風呂に変えたり出来るわけです。私はそうする事を“上書き”って呼んでるんですけど」

「……は~……」

 ようやく小さく頷いてくれた。

「それが夢を見てる本人や、昨夜の男みたいな侵入者自身を直接上書きしようと思ったら、その対象以上の精神力が必要になるんですけど、私の『首を千切る』ってイメージがあの男の精神力を上回っていたのであの男を上書きして首を千切れた、というわけですね。勿論夢の中なので痛みも無いし本当に傷つく事もありません」

「……首を千切るイメージ……」

 依頼人が自分の首をさすり出した。

「ま、というわけで精神力の差を見せつけてやったのでご安心ください。もうあの男が夢に出てくる事はありません」

「そうですか……ありがとうございました」

 営業スマイルで言い切ってみせると、依頼人はようやく安心したような笑みを浮かべた。

「というわけで、お代の話なんですが」

 依頼人の気が緩んだ瞬間を見逃さず、すかさずテーブルの隅に置いておいた電卓を手に取る。

「二時間までは基本料金十万円に含まれますので、昨夜の拘束時間が約八時間、うち夢に入った実働時間が五時間ですとプラス九万円、そこに今回はタイプ2でしたので危険手当が一万五千円、その他諸経費が千二百九十八円となりますが、今回は初めてのお客様ですのでおまけしまして……二十万と六千円となります」

「……に……二十万……」

「分割払いも受け付ておりますよ?」

 とびっきりの営業スマイルで、だが決して視線を逸らす事なく告げる。

「……え~と……とりあえず十万は持ってきたんですが……残りは分割でもよろしいですか……?」

「はぁい、ではこちらにお名前と住所と電話番号をお書きください」

 用紙もテーブルの上に準備住みだ。客をためらわせる隙も逃げる隙も与えない。



「ありがとうございましたー!また夢でお悩みの際はいつでもご相談くださーい!」

 立ち上がって客を見送った後、テーブルに置かれた封筒を奪うように手に取ると、中の万札を取り出して改めて枚数を確認する。

 この瞬間の為に仕事を頑張っていると言ってもいい。これが新札だと何とも言えない香りにも包まれるのだが、残念ながら使った後だった。

 まあ金に変わりはないので文句は無い。そのままデスクの上の小さめの金庫に収める。

 ついでに手も合わせるのはいつもの習慣だ。

「さってっと、ひと眠りすっかな」

 昨夜も一晩仕事だったので満足に寝れていない(寝ながら行う仕事ではあるが寝れた気はしない)。仮眠をとろうとソファに横になった。

 すると次の瞬間、狙いすましたかのように玄関のドアをこんこんとノックする音がした。

「おっと、はいはい今行きますよ~」

 寝れなかったが仕事ならば大歓迎だ。即座に起き上がって玄関に向かう。

「はい、いらっしゃいませ~。悪夢カウンセラーの由芽乃銘作と申します」

 営業スマイルで扉を開けると、上下紺のパンツスーツに身を包んだ若い女が立っていた。

(お、いい女)

 長身で全体的に細身だが出る所は出ている。カラーやパーマなどの手を加えていない艶やかな黒髪は、よく見るとある程度長さのある髪を後ろで縛っていた。顔はここに来る客の例にもれず暗い表情をしていたが、そんな表情も憂いを含んだ美貌に見えるようななかなかの美人だ。

「どうぞどうぞ、狭い所ですが入ってお掛けください。お飲み物はコーヒーでよろしいですか?」

「いえ……お構いなく」

 いつもよりちょっとサービス多めで部屋に招き入れたが、サービス分はやんわりと遠慮された。

「竹ノ内病院の真木先生の紹介で来ました。こちらでは悪夢を見ないようにしてくださると聞いてきたんですが……」

「はい!どんな悪夢も確実に退治してさしあげます」

「……退治……?」

 つい出てきた言葉に若干怪訝そうな顔をされたが、女はそのまま手前のソファに腰掛けた。

「改めまして、私は犯罪被害者支援団体の片山と申します」

「……被害者支援団体……といいますと、悪夢を見ているのは……」

「はい、被害者の方です」

 思わず真顔になったこちらの顔を真っすぐに見据えながら、片山と名乗った女は頷いた。

「四月に◯◯区で起きた、誘拐監禁事件をご存じですか?」

「……あの胸糞事件の!?……おっと失礼しました」

「いえ……」

 思わず素が出てしまって口を押さえたが、片山はその反応は最もだという様子で小さく首を横に振った。




 今年四月、○○区のとあるアパートの住人達が、同じアパートに住む矢作京介(当時29)の部屋から、二週間程前から毎日のように何かを叩く音と女の呻き声のようなものが聞こえてくる事を気にしていた。

 矢作は以前から他の住人達とは交流どころか会話すら交わさず、目が合っただけで殴られるのではないかと思う位の敵意に満ちた目で睨んでくるので、普段から住人達は極力関わらないようにしていたが、もしかしたら女が閉じ込められて乱暴されているのでは、という疑念が浮かび――そんな事をしていても不思議ではない、というイメージもあり――どうしても矢作の部屋が気にかかるようになっていた。

 そこで住人達は、単身契約なのに女を住まわせていたら契約違反であるし、どのみち矢作が以前から家賃を滞納していた事もあり、怯える大家に頼み込んで、住人の男二人と一緒に矢作の部屋を見に行ってもらう事にした。

 部屋に行き、「誰か住まわせてるんじゃないのか」と聞くと案の定矢作は噛み付きそうな勢いで悪態を飛ばしてきたが、扉を顔が見える程度しか開けず、極力部屋の中を見せないようにしている様にも見えた。

 一間のボロアパートなので扉を開ければゆうに部屋が見渡せるのだが、「ここから部屋を見せてくれるだけでいい」と頼んでも脅しつける様な怒声を浴びせて頑なに拒否する矢作の様子に、大家達もやはり怪しいと疑念が確信に変わり始めた時だった。

 どん、どんと玄関のすぐ横の流し台の下、収納部分の扉を叩く音がした。

 ほらやっぱり、と大家が強引に部屋に入ろうとすると、矢作は突然大家を突き飛ばした。

 その様子を見ていた他の住人が警察に通報し、男達の手によって矢作は取り押さえられた。

 そのまま大家が矢作の部屋に入ると、猿ぐつわをされ、全身が赤黒い痣に覆われた少女(当時18)がうずくまっているのが見つかった。



 すぐに救急車で運ばれた少女は、全身打撲に加え、顔のほぼ右半分が陥没骨折していて、右眼球も破裂、更に逃げられないようにする為か両脚も折られていた。

 緊急手術の後も顔面の骨折のせいで上手く喋る事が出来なくなっていた少女には、意識の回復後筆談で聴取が行われ、少女の身元とこの事件がどのようにして起きたのかが明らかになった。



 少女は物心ついた時から児童養護施設で育ち、高校卒業と同時に寮のある会社に就職が決定。施設を巣立ったその日に多くもない荷物を背負って寮に向かったが、その途中で見ず知らずの男に捕らえられた。

 古いアパートの前を通りがかった際、突然後ろから口を塞がれ、そのまま抱えられるようにして部屋の中に引きずり込まれた。

 部屋の中で男が自分に馬乗りになり、何も言わずに何度も顔を殴ってきた。

 逃れようとするとますます暴行は激しくなり、抵抗も封じられていった。

 少しでも「嫌」「やめて」という反応を見せたら、それだけで殴られた。

 一度逃げようとしたが見つかってしまい、両脚を折られた。

 そんな日々が何日続いたのかも分からなくなっていったが、ある日玄関に人が訪れたのが分かり、最後の希望と力を振り絞って音を立てた。

 そしてようやく、痛みと絶望の日々は終わりを告げた。



 だが現行犯で逮捕されたにも関わらず、矢作は頑として自分の罪を認めようとしなかった。

 少女は自分の交際相手で、彼女自身の意思でどうしてもとせがまれて仕方なく手を上げたと言い張り、取調最終日までそれを覆す事はなかった。

 ニュースはこの男の身勝手さ、恐ろしさを連日報じたが、ネット上では普段から性犯罪加害者を擁護する連中が冤罪だと騒ぎ立て、そんなわけないだろうと論じる他のネット民と激しく対立する騒ぎがあちこちで起こった。




「……あれだけの目に会えば、そりゃ悪夢の一つや二つ見ますよね……」

 そんな銘作の反応を見て、片山は安心したようにほっと息を吐いた。

「……よかった……信じてくださるんですね……」

「そりゃそうですって、あんな男の言う事真に受けるのは同じ性犯罪者か性犯罪者に共感する予備軍くらいでしょう。男だからって何でも男の味方するわけじゃないですよ」

 銘作もニュースで矢作京介が連行される際の映像を見ていたが、「こいつはいかにもやりそうだな」と直感的に感じた覚えがあった。

 特別悪人面というわけではなかった。だがテレビカメラを射殺すような目つきで睨み付ける男の目を見た時、犯罪者というより野生の獣のようだと感じた。

 暴れていた所を突然人間に捕らえられ、自分の状況も何も分からなくとも目の前にいる者全てを敵と認識し、噛み殺そうとするかのような狂暴な異質。

 例え味方だと名乗る連中が直接会いに行って支援を訴えても喉元に食らいつくだろう。あれはそういうタイプだ。

 テレビで見ただけですらそう思うのだから、とてもじゃないがまともな人間だとは思えなかった。

「最近になってようやく、被害者の彼女も喋れるくらいに回復してきたんですが……何だか酷く怯えている様子だったので話を聞いてみたら……逮捕された容疑者がずっと夢に出てきて、今度は包丁や金属バットまで持ち出して毎晩襲いに来ると……」

 説明する片山も、辛そうに目を細めていた。

「――それはいつからですか?」

「病院で手術を受けた後意識を取り戻して……その後普通に眠れるようになってから間もなく、だそうです。搬送されてから五日後くらいですね」

「割とすぐなんですね……それまでは何も言わなかったんですか?」

「長いこと筆談でないと満足に意志の疎通が出来ない状態だったので、その間は必要最低限の事しか伝えなかったようです……どれだけ怖くても、夢の話だからとろくに聞いてもらえないんじゃないかと思っていたそうで……」

「なるほど、確かに今までの相談者の方の中でもそう仰ってたケースはありましたね……でもそれだけ怖い目に会ってたんなら心身ともに影響が出てくるのでは?」

「確かに……ずっと物音や人の気配にも怯えている様子でしたし、睡眠時間も短いとは聞いていましたが……トラウマから来る後遺症だと思っていました……悪夢もそのせいだと思っていたんですが、病院でカウンセリングを受けても一向に良くならないどころかますます酷くなるばかりだそうで……」

「カウンセリングで治るものばかりじゃないですからね、悪夢というのは」

「え……?」

 思いもよらない言葉だったようで、片山は驚いたように少し目を見開いた。

「悪夢というものは、三種類ありましてね」

「……三、種類……?」

 指を三本立てて見せると、今度は若干怪訝そうな顔になった。

「はい、まず一つ目は夢を見ている本人の記憶が現れる場合です」

 人差し指だけを残して指を戻し、説明を続ける。

「悪夢となるのはトラウマなどの心的外傷、恐怖の対象、悲しい思い出、罪悪感などの辛い記憶ですね。そういったものは時間はかかってもカウンセリングなどで治せるものなんですが……」

 二本目の指を立てる。

「二つ目は、他人の強い“思い”が入り込んでくる場合です」

「……た……他人の……?」

 片山は狼狽えたような表情を浮かべた。

「これは悪夢に限らず、好きな相手が夢に出てきた~とか、親と離れ離れになってる子供が夢に~とか言いますでしょ?強い思いを持っていると、それを向けている相手の夢に無意識に入り込むというのは昔からままある事なんです。なので正確には相手が夢に出てきたんでなく、自分の思いが相手の夢に入り込んでるんですが」

「ああ……」

「ですが問題なのは、憎しみとか負の感情を他人に向けている場合です」

「……!」

 片山の表情が強張った。

「あいつが憎い、邪魔だ、許せない、殺してやりたい……そういった暗い思いも強くなれば力を持って、その相手の夢に入り込むようになります。まあストーカーみたいに持ってるのは恋愛感情でも入り込まれた相手には悪夢になる事もありますが……ちなみに死んだ人間が入り込む事もあります」

「し、死んだ人間が!?」

「はい、夢枕に立つって奴ですね。これは死に別れた家族の元に現れる事も多いんですが、自分を殺した相手に悪夢を見せる、なんて事もたまにあります」

 さも普通の事のように話す銘作の様子に、片山も驚きを隠せないようだった。

「まあそれは置いといて、今回はそのタイプ1か2どちらかの悪夢だと思われます。逮捕された犯人が被害者を逆恨みするなんてよく聞く話ですし」

「……あれ……3は……?」

「自分に危害を加えた恐怖の対象が、記憶の中では実際より凶悪化しているというのも聞きますし、犯人の方が逆恨みを拗らせて今度は殺してやるーとなる場合も両方ありますしね。どちらもあり得るかと」

「……」

 そこまで聞くと、片山は眉根を寄せて視線を下に向けた。

「……実際、容疑者は塀の中から出たら必ずあいつを殺してやると言っているそうです……もうすぐ裁判なのにずっと否認したままで……弁護側も、怪我を負わせたのは事実だから傷害罪と大家さんへの暴行は認めるものの、誘拐、監禁、強姦致傷については無罪を主張する様子で……傷害もせがまれたからと情状酌量を、大家さんへの暴行は強引に部屋に入られそうになった事への正当な抵抗だと主張するつもりのようです……」

 膝の上で組んでいた手に力が入る。

「それなのに……結局誘拐監禁されたという事を裏付けられる物証も見つけられなくて……だから裁判になったらどうしても被害者に証言してもらわなければいけない状況で……でも……今のままじゃとても……!」

 俯いた顔は表情は窺えないが、震える肩と声が彼女の感情を伝えてきた。

「体は車椅子に乗れるくらいには回復したんです……でもいつも怯えていて……病室からも出られない……もう監禁も何もされていないのに……今もずっと、あの男に苦しめられ続けて……!」

「……片山さん」

「……あ、すいません、つい……」

 銘作に呼びかけられ、はっと顔を上げる。その目は若干潤んでいるようにも見えた。

「貴女、警察の人でしょ?」

「――っ!?」

 その目が、大きく見開かれた。

「被害者支援団体の人はたまに相談に来るんですよ、でも皆さん自分達の団体名とかちゃんと言いますんで。その上で名刺とか団体のパンフとか何かしら必ず持ってきます。それに『物証も見つけられなくて』『証言してもらわなければいけない』って、言ってる事が警察目線っすよ」

「…………!」

 平静を保とうとしているようだったが、無意識にか視線が揺れだす。

 そんな片山の様子を見て、銘作は大袈裟に背を反らせて腕を組んだ。

「まー胡散臭い看板掲げてんのは認めますよ?でもだからって警察様に探られるような後ろ暗い事なんざ一切合切してませんからね!?信じられねえってならどーぞ幾らでも調べてってくだせえよ!」

「いや潜入捜査じゃないですよ!?依頼は本当ですから!」

「あ、やっぱり警察だったか」

「あ……」

 片山は額に片手を当てて俯いた。

「……素性を偽っていたのはすいません。これは警察としてでなく、個人としての依頼だったので……」

「個人としての?」

「裁判で証言してもらわないといけないのは確かですけど……治療内容にまで警察が関わるわけにはいきませんから……でも彼女には家族もいませんし……誰かが手助けをしないと……」

「いつもそんな事やってるんすか?いちいち被害者にそんなに親身になってたらきりがないんじゃ?」

「いつもではないです。ただ今回は……警察にも落ち度がありましたから……」

「ああ……」

 片山の言葉に頷く。それもニュースで報じられていたからだ。

 最初に事件に気付くきっかけがあったのは、彼女が攫われたその日の夜だった。彼女が入る予定だった会社の寮から児童養護施設に「約束の時間を大幅に過ぎても来ない」と連絡が入った。

 施設の職員達は近隣や寮までの道を探したが見つけられず、施設長が警察署に届け出た。

 だが警察は「どうせ悪い友達と遊んでいるのだろう」と決めつけて、捜索届すら受け付けようとしなかった。

 どれだけ「そんな子じゃない」と訴えても聞く耳を持ってもらえず、そのまま会社からも採用を取り消されてしまった。

 結局その二週間後、彼女はぼろぼろの姿で発見され、警察は厳しい非難を受ける事となった。

「しかし、警察さんが他人の夢に入り込む~なんて話信じてくれるんすか?治してから詐欺容疑かけるとか止めてくださいよ?」

「そんな事しませんって。それに……公表はしてませんが、実は今回の事件が明らかになったのは、夢のおかげでもあるんです」

「へ?」

 ソファの背もたれに乗せていた腕を下ろし、銘作は姿勢を改めて片山と視線を合わせた。

「同じアパートの皆さんが事件に気づいてくださったのはその通りなんですが、実は容疑者の部屋から音や声が聞こえ出してから少しして、そのアパートの皆さんが同じ夢を見るようになったそうなんです」

「――同じ夢を?」

 興味深そうに身を乗り出す。

「最初は容疑者の部屋の両隣と上の部屋の方達だけだったんですが、若い女の子がずっと泣きながら『助けて』と訴え続けている夢で、しかもその子がいるのは自分達のアパートと同じ部屋のようだったので……容疑者の部屋の声の主はその子なんじゃないかと気にするようになったそうなんです。しかもその夢が毎晩続いて、加えてだんだんその夢を見る人がその部屋を中心に増えていって、最終的には確認出来ただけでアパートの皆さん全員と隣の家の方までにまで広がっていたそうです。そんな状態だったので次第に皆さんもどうしても確かめずにはいられなくなったそうで……そのおかげで発見出来たというお話でした。流石にそこまで調書に書かれはしなかったんですが、先ほどの由芽乃さんのお話と共通するのではないかと……」

「ええ、どこかで危険な目に合っている家族の夢を見た、なんて話は昔からありますしね。でもそういうケースは大抵家族とか恋人とか親しい人の夢に現れるもんですから、近場でも赤の他人、しかも同時に複数の相手の夢に現れるなんて珍しいっすよ。それだけ助けてほしいって思いが強かったって事でしょうけど」

「ですよね!……っあ、すいません……」

 我が意を得た、という様子で突然片山も乗り出して来たが、次の瞬間にははっとして後ろに戻った。

「……で、見つかった彼女が、夢に出てきた女の子と同じ栗毛色の癖のある長い髪の女の子だったので、やっぱりあの子だったんだと皆さん驚かれたそうです」

「髪?そこは顔じゃ?」

「……彼女は発見された時は顔の判別が出来ない状態だったので……」

「……あ、そうだった」

 銘作もばつが悪そうに口元を覆った。

「……しかし、その彼女がそれだけ出来る精神力の持ち主なら、夢への侵入者の一人くらい自力でなんとか出来そうなもんですけど……」

「無茶言わないでください、本気で殺そうとする勢いで迫ってくるんですよ?それにトラウマの張本人を前にして落ち着いて対応なんて……!」

「そっすね、すいません。いきなりやるのは難しいですしね」

 片山の口調が急に怒気を含み出したので、銘作は慌てて謝罪した。

「こっちの言ってる事を信じてもらえないんですか?彼女を診たくないって事なんですか?」

「診ます診ます。信じてますから俺の事も信じてください」

 どうやら彼女の怒りのツボを突いてしまったらしい。急にヒートアップしだした片山をなんとかなだめようと両手を前に出しながら言葉を続けた。

「……っ……すいません、失礼な事を言ってしまって……」

「いえいえ、じゃあこれから行きましょうか?彼女の所に」

 落ち着いてくれた片山に安堵しつつ、安心させようと仕事の話を進めた。

「あ……これから大丈夫なんですか?」

「今日は予約も無いし大丈夫っすよ。実際夢をチェックするのは彼女が寝てからになりますけど、事前に本人とも話をしておく必要がありますし……あ、話するのはまずいっすか?」

「いえ……治療の一環ですし大丈夫だと……ただ、くれぐれも彼女の名前や病院などは余所に漏らさないよう内密にお願い致します」

「勿論。うちは守秘義務はしっかりしてますから」

 口の前で人差し指を立てて笑ってみせると、片山は若干安心したようにふ、と息を吐いた。

「……では、どうかよろしくお願いします。どうか彼女を……」

 深々と頭を下げる片山が頭を上げたタイミングで、すかさず電卓を手に取った。

「で、料金の話なんですが……!」

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