1-2 なんだか訳ありっぽいな
竹ノ内総合病院の八階、一般の入院病棟とは雰囲気が違うこの病棟には、いわゆる大部屋が無い。個室の一つ一つも下の階のものよりも若干広めで、部屋を出なくとも大体の用事が済ませられる程度の設備が整っている。だが今のこの階は人の気配が感じられないほど静かで、廊下を歩く二人分の足音がいやに響いて聞こえた。
「何階の何号室というのも、どうかくれぐれも漏らさないでくださいね?」
「んな何回も言わなくても分かってますって……!」
小声で話しながら長い廊下を歩いていき、ようやく一番奥の病室へと辿り着いた。
扉の横の名札には「葛城」と書いてある。それをちらとだけ見て、ノックの後引き戸を開ける片山の後ろに続いた。
「瑠璃ちゃん、具合はどう?」
トイレやシャワー室もついている個室の奥のベッドへ向かうと、ようやくベッドの上で座ってこちらにじっと目をやっている人物の姿が目に入った。
首から上は頭頂部と左目、口元以外が包帯で覆われていて人相は分からない。長髪だったと聞いていたが頭の殆どが包帯で覆われているのを見て、おそらく手術する際に切ったのだろうと思った。
痩せた体は見た目で分かるほど全身に力が入っていて、見慣れない男を警戒しているのが十二分に伝わってきた。
「……静香さん……その人は……?」
絞り出す様に出された声も強張っていたが、それを聞いた片山静香は安心させるように柔らかい口調で言葉を紡いだ。
「昨日真木先生が言ってた悪夢カウンセラーの方よ。瑠璃ちゃんの悪夢も治してくれるって。だからもう大丈夫だからね?」
「こんちゃーっす、由芽乃銘作っす」
気さくさを演出してにこやかに挨拶してみたが、ベッドの上の少女は緊張を解く気配を見せない。
「……」
思わず助けを求めるように静香と目を合わせる。
「……瑠璃ちゃん、悪夢を治す為にちょっと話を聞きたいんですって。今大丈夫?」
「……はい……」
俯きながら、蚊の鳴くような声で了承の返事が返ってきた。
あまり大丈夫そうではなかったが、待っていたところで状況が良くなるとも思えなかったので、どうせなら長引かせない方がいいだろうと判断して話を進める事にした。
「えっと……瑠璃さん、一度に複数の人間の夢の中に入ったんだって?」
静香の前に出て置いてあった椅子に座りながら藪から棒に質問すると、案の定片目でも分かるくらい怪訝そうな視線を向けられた。
「……何で、そんな事を……?」
静香からも後ろから肩を連打でつつかれるが、無視して話を続ける。
「俺がやる治療方法も同じなんだわ。人の夢の中に入って直接調べて対処する。いつもは説明が難しいんだけど、そう言えば分かりやすいかな、と思って」
「……夢の……中に……?」
驚いたようだった。
「私も話を聞いた時はちょっと驚いたけど、この人は誰かの夢の中に自分の心を自由に出入りさせる事が出来るんですって。正直私も瑠璃ちゃんの件を聞いてなかったら信じられなかったかも」
すかさず静香がフォローを入れる。
「……そう……言われても……私も……その事はよく分からないんです……後から聞いて……そんな事があったなんて驚きました……」
また俯いてしまった。
「あー大丈夫大丈夫、普通の人は無意識にやってるから分からなくて当然だかんね。例えとして出しただけだから気にしないで。要するにそういう事が出来るって話」
「……はあ……」
少し顔を上げて、目線をこちらに向けてくれた。
「つまり治療方法としては、瑠璃さんが眠って夢を見てる時に俺が瑠璃さんの夢の中に入って、その夢の原因を直接調べて取り除く、ってわけ。痛くもなんともないから大丈夫だかんね。ただ夢に入るとなると、その人のプライベートな記憶に触れちまう可能性もあるから、入る前に必ず本人の許可を貰う様にしてるんだけど」
「……原因……って……何なんですか……?」
ようやく治療に関する質問をしてくれた。手ごたえを感じつつ話を続ける。
「悪夢の原因ってのは大きく分けて三つあるんだけど、静香さんに聞いた話で判断すると今回の夢はその内の二つ、瑠璃さん自身のトラウマが夢に出てきてるのか、加害者の野郎の心が逆恨みを拗らせて瑠璃さんの夢に入ってきてるのかのどっちかだと思うわ。どっちが原因かは直接探ってみないと分からないけど……?」
そこまで話した所で、瑠璃ががくがくと震えだしたのに気が付いた。
「……やっぱり……!」
「――瑠璃ちゃん?」
瑠璃の突然の変化に、静香は急いで彼女の横に駆け寄ると、密着して背中側から両肩を抱え込んだ。
「瑠璃ちゃん?どうしたの?話はまた後にする?」
耳元で懸命に話し掛けるが、瑠璃は聞こえているのかいないのか分からない様子で呟いた。
「……私……絶対に殺される……!」
「――!?何言ってるの!?」
思わずといった様子で声が荒くなる。だが瑠璃は両手で頭を抱え込むようにして下を向いてしまった。
「毎晩毎晩言ってくるの……お前を必ず殺す……どこまで逃げても何年かかっても必ず見つけるって……!やっぱりそれ……ただの夢じゃなかった……!」
「……!」
静香ははっとした。
「あの人が……私の夢の中に入ってきてるなら……全部……全部本当に言ってるって事でしょ……!?あの人なら……絶対殺しに来る……!」
「落ち着いて!まだそうだと決まったわけじゃないから!」
「ううん……ただの夢だったとしても……どのみちあの人は来る……そういう人なのよ……!」
「そんな事させないから!絶対に!」
確かに、「出たら必ずあいつを殺してやると言っている」という話だった。その話が耳に入っていなかったであろう瑠璃も、加害者がそういう人間である事は十二分に分かっているのだろう。
「だってあの人……無期懲役にもならないんでしょう……!?必ず出てきちゃうんでしょう……!?なら必ず来る……!絶対に……!」
「――っ!」
静香の顔が凍り付いた。
確かに過去の同様の事件の判例を思い返してみても、思いつく限りでも長くても懲役十数年といった所だった。死者が出ていれば無期懲役になった可能性が高かっただろうが、今回の被害者は二週間程で救出されている。
「なんで……!?何で出てこれるの……!?あんな人なのに……!私……狙われてるのに……!」
静香の表情は固まったままだった。だが瑠璃の両肩を掴んだ手にはじわじわと力が入っているように見えた。
「私が生きてるから……!?生きてるからあんな人でも許されるの……!?生きてるから駄目なの……!?死んでればよかったの……!?」
「馬鹿な事言わないで!」
突然静香が声を張り上げた。思わずびくりとした瑠璃の体をそのままゆっくりと、だが力強く抱き締める。
「守るから……絶対に守るから……!法律が守らなくても……私が絶対貴女を守るから……!」
その声は震えていた。瑠璃の肩に顔を埋めているが恐らく泣いているのが分かる。
「……そんなの……無理じゃないですか……警察はそこまで出来ないし……」
「仕事で無理でも、私が個人的に守るのは自由でしょ……?」
「……え……」
驚いた様子で、静香の方に顔を向けた。
「絶対守るから……きっと……助かってよかったって……思えるように……」
「……静香さん……」
自分を抱き締める静香の手に手を重ねる。
「俺んとこ来た時、警察としてでなく個人としての依頼だって言ってたぜ、その刑事さん」
「……え……?」
「……ちょっ、由芽乃さん!」
俺の存在忘れられてるな、と思いつつ口を挟んでみると、静香はばっと顔を上げて赤くなった目を向けてきた。
「赤の他人の俺ですら刑事さんがそんなに親身になっちまって大丈夫なのか?って心配になっちまうレベルでお前さんの事気にしてたよ。だから警察とか法律とかが信用出来なくても、その人の事は信じていいと思うぜ」
「……静香さん……?」
銘作と静香に交互に目をやりながら、瑠璃が静香の様子を伺うと、静香は恥ずかしそうにまた瑠璃の肩に顔を埋めてしまった。
そんな姿を眺めながら、銘作は立ち上がって二人に背を向けた。
「まず二人で話し合っといてくれよ。俺は部屋の外にいるからそろそろいいかなって思ったら呼んでくれよな」
軽く上げた片手をひらひらさせながら扉に向かって歩いていくと、後ろから「……すいません……」と静香の声が聞こえた。
そのまま病室を出て扉を閉めると、つい思っていた事が口から出てきてしまった。
「――惚れるなよ?」
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