1-3 そんじゃ、始めるとすっか
矢作京介。二十九歳。二十歳の時に強盗傷害、二十五歳の時に恐喝と器物損壊でいずれも現行犯逮捕されている。
公の記録では前科二犯となっているが、マスコミの近隣住人への取材によると、最初に警察沙汰を起こしたのは小学三年生の時だった。
当時五歳の少年が殴る蹴るの暴行を受け全治一ヶ月の怪我を負い、持っていたサッカーボールを奪われた。
すぐに110番通報されたが、犯人はそのボールで遊んでいる所を発見された当時九歳の矢作だと分かり、結局児相に通報されるに止まった。
だがそれ以降も少年の暴力行為は治まる事を知らず、傷害、恐喝、強盗、器物損壊の常習犯として近所では知られた存在となり、中学生になる頃にはそこに強制猥褻も加わった。
「由芽乃さん、瑠璃ちゃんが眠りました」
「あ、はいはい」
病院八階のロビーでスマホを見ていた銘作の元に静香がやって来た。
あれからさして時間も経たないうちに瑠璃が落ち着いたと静香が呼びに来て、間も無く夢の中に入る許可が下りた。
そのまま詳しく話を聞いてみると、悪夢を見るのは夜、消灯時間の後に眠った時だけとの事だったので、夢の中に入るのは夜を待って行う事となった。
「そんな急がなくても大丈夫ですって、寝てすぐには夢は見ませんから」
銘作と静香は病院に瑠璃への付添許可を貰い、やはり眠るのが不安そうだった瑠璃に静香が眠るまで付き添って、寝入った所を見計らい外で待っている銘作を――流石に会ったばかりの男が部屋の中にいる状態ではなかなか眠れない様子だったので――静香が呼びに行く、という手筈だった。
「しかしとんでもねえ野郎っすね、今回の犯人は」
「矢作容疑者の事ですか?」
「そうそう、ここまで『こいつだったらやるだろうな』って思える犯人って今時珍しいんじゃないすかね。初めて逮捕されたのがちょうど二十歳の時ってのも出来過ぎでしょ?」
「……さっき調べてたんですか?」
流石に警察が具体的な疑問に答える事は出来ないようだ。まあそれはしょうがないと思うので追及もしない。
「はい。悪夢の原因がトラウマなのか野郎本人なのか確かめるために、野郎の事で彼女が知らないような事がないか調べてみたんすけどね」
「何も知らないと言っていました、瑠璃ちゃんは」
「何も……っつーと?」
「容疑者の事は本当に何も分からないそうです。せいぜいほんの些細な事で火が付いたように怒るとか、一度怒ると自分が疲れるまで暴力が止まらないといった事くらいしか知らないそうで、彼の名前も知らなかったそうですから」
「……名前も……そんなんでよく自分の彼女だとか言えたもんだな……」
呆れて呟く。
そんな会話をしているうちに瑠璃の病室の前に到着した。
「じゃ、とりあえず彼女の夢を覗いてみますけど、やばいと思ったらすぐ入りますんで、その後はよろしくお願いします」
「……よ……よろしく、と言いますと……?」
そういえば説明していなかったか。突然のお願いに静香が戸惑いを見せた。
「俺の意識が誰かの夢の中に入ると、俺の体は眠った状態になるんで。眠っちまった俺の体をお願いします」
「……ああ……そうなんですか……」
「あと万が一、俺の体に急に傷が付く事もあるかもしれないんで、そん時は止血とかお願いしますね」
「え……ええ!?」
理解に苦しむ説明に思わず声が出てしまったようで、静香は慌てて自分の口を両手で塞いだ。
「まあそうなるとは限らないっすけど、今回の場合万が一が起きないとも限らないんで。もしそうなっても慌てないで、くれぐれも起こそうとしたりしないようにお願いします」
「……は……はい……」
ちゃんと理解してもらえたかどうかは分からないが、戸惑われるのはいつもの事なので特に気にせずそのまま扉を開けた。
消灯された暗い部屋を足音を立てないように歩いてベッドまで行くと、暗闇の中で仰向けに横になっている瑠璃の姿をなんとか視認する事が出来た。
そのままベッド脇の椅子に腰掛け、右手を瑠璃の頭の上にかざして目を閉じた。
「……まだ夢は見てないっすね」
「……それで、分かるんですか?」
「覗くだけならこれで」
その会話を最後に一旦言葉は途切れ、部屋の中に静寂が訪れた。
そうやってどの位の時間が経っただろうか。やがて銘作がふいに口を開いた。
「……見出した」
「……っ!」
静香が息を詰める音が聞こえた。
頭の中に浮かんできたのは薄暗い部屋の映像。どうやらこの病室のようだ。ベッドの上で現実と同じ様に瑠璃が眠っている。
すると間も無く、足元側のベッドの下から黒い人影のようなものが浮かび上がってきた。
人影が左手らしきものを掲げると、その左手に五十センチ位の細長い影が握られた。
その影は次第に明確な形を成していき、手斧を握っているのだと分かった。掲げられたそれが瑠璃に向けて振り下ろされる。
「――危ねえ!」
思わず口から出た直後、意識を瑠璃の夢の中へと潜り込ませた。
「……え?ちょっ……!」
突然銘作が「――危ねえ!」と小さく叫んだので、静香は何が起きたのかと息をするのも忘れて様子を見ていたが、ほんの少しの間の後、銘作の右腕がふいにぱた、と瑠璃の頭の上に落ちた。
「何して……っええ!?」
慌ててその手をどけようとしたが、今度は上半身ごと瑠璃に向かって倒れこもうとしたので、咄嗟になんとか銘作の胸に手を回して支えた。
「……眠ってる……?」
銘作の顔を見ると、目を閉じたまま無反応になっていた。
誰かの夢の中に入ると眠った状態になる、と言っていたのはこういう事だったのか、と思い至り、静香はそのまま椅子ごと銘作の体を壁際に引きずっていくと(お……重い……)、その背を壁に寄りかからせた。
椅子を引きずった際に少し大きな音が出てしまったが、二人が目を覚ます気配は無い。
銘作はあまり楽そうには見えない姿勢ながらも身じろぎもせず眠っているが、瑠璃は気が付くとは、は、と苦しそうな息を漏らしていた。
「瑠璃ちゃん……!」
始まったのだ。そう思った瞬間、思わず瑠璃の手を握り締めていた。
自分には何も出来ないと分かってはいるが、それでも祈らずにはいられなかった。
「……お願いします……由芽乃さん……!」
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