Social parasitic
「なんです、コレ」
調べてくれと依頼を受けた男はそれを見て呆けた返事をしてしまった。
「種……だそうだ」
「種って……植物の? でも、これはどう見ても肉片ですよ。アボミネーションの」
「そのとおり。だが、分かるだろ? バクテリアが葉緑体とミトコンドリア共に共生しているんだ」
細胞内共生説を唱えた依頼主タバサに、男は信じられないという顔をしたが、その瞳の奥は探求心に煌めいていた。
「分かりました。でも……あなたの会社で調べてもらえばいいんじゃないですか? なぜ僕に依頼を?」
「……きな臭くなってきたんだ。フェニアック・レクタングルという会社――」
そう言って取り出したファイルを男に手渡したタバサは、冷たい眼光をしていた。
受け取った紙媒体の資料は、とある男性の健康診断結果だった。
「誰です、コレ」
「誰かはどうでもいいんだ。カルテをよく見てくれ」
「はぁ……、……え……?」
促されて診断結果のカルテを覗きこんだ男は先に見せたものよりも更に信じられないという顔をした。今度は本当に驚愕した顔をしていた。
「こんな、ばかな」
「ありえない?」
「いえ……あり得ます……。例えばトキソプラズマなんかが有名です……。しかし、これは……」
見知らぬ男の健康診断結果に、とんでもない事が記載されていたのだ。男はその健康診断結果の詳細と、種と呼ばれた『肉片』に、一つの仮説が組み立てられていく。
「分かりました。調べます」
「なるべく早くお願い」
タバサに依頼を承諾した事を告げ、男は早々に検証を行うために動き出した。タバサはその男の反応に頷いて、気配を殺すようにその場から立ち去る――。
(……フェニアック・レクタングル――。裏の裏の、その顔は一体……)
タバサは、嫌な予感を持ち始めたのだ。きっかけは、自分の隊員のガロッシュという男の健康診断結果だった。
そして、ヴァコ・ダナの実験コロニーで巡り会ったドナー・ベビー。
危険だ、と自分の中の感性が信号を発していた。
自分の所属しているフェニアック・レクタングルという会社の中枢であるユグドラシルプラン。
(ユグドラシルは寄生する。種は細胞を弄ったドナー・ベビー。最初の一輪を見付けたガロッシュ。そして、彼の健康診断結果……)
フェニアック・レクタングルは何かを隠している。
いや、より正確に言えば、その社長であるダンという男が、だ。
社長という人間であるためか、その姿はいつも隠されていて、タバサもどんな男なのか見た事は一度もない。おそらく、見たことがあるのはその秘書を務めるチェルだけだろう。
(ダン社長……もしくは、チェルを調査しなくてはならない……。私の杞憂であればいいが……)
タバサはその考えが楽観的なものであると自覚している。杞憂ではない、確実にやばい何かに足を踏み入れているぞと、勘が告げるのだ。その勘は外れたことがない。
違和感が、冷たい舌で背筋をねっとりと舐め上げてくるような、おぞましさがあった。それを割り出す最後のピースが欠けているとも考えられた。
だから、彼女は密かに持ち帰ったドナー・ベビーの肉片とガロッシュの健康診断結果を盗み出して、信頼のおける生物学者に調査依頼をしたのだ。
(誰なら信用できる……? ガロッシュはもうダメだ……。レツとカガミか……? 若しくはリリナ……)
仲間を作る必要があると思えた。フェニレクの暗部を探ってくれる仲間が。
事情を呑み込み、協力してくれるであろう人物を選定しなくてはならない……。
彼女の頭に最後まで残ったのは、以前リンクを共にした男性の顔だった――。
――それから一週間が経った。
カガミはタバサに呼びつけられて、プライベートルームで二人きりとなっていた。
若い女性と二人でプライベート空間にいることは、信頼の表れなのだろうかとカガミは考え、薄着のタバサの前でどうした反応をすべきなのか悩んでいた。
「あー。なんでしょうか、隊長殿」
とりあえず、無難な挨拶をした。
「ちょっとな、相談があって」
なるほど、とカガミは少し身構えていた精神を寛げた。自分が元々ミツバチ隊に参加したのは、隊員の経験不足からくるアドバイザーとしての役割だった。隊長自身からも、教示を求められる事は伝えられていたので、今回もそういう事なのだろうと思ったのだ。
「実は……健康診断結果が、な……その……」
と、タバサが曇った顔をして言ったので、カガミは戦術や戦略の話ではないのかと、また思考を彷徨わせることになった。
「どこか悪かったんですか」
「いや……。悪かった、というよりも、好調でな……その女性として、ピークだと」
タバサが少し恥じらいで赤くした顔でもどかしく告げた。どうも、彼女は今、子を宿す適齢期であると診断されたようだ。ピークを過ぎれば一気に生殖能力が落ちていく。正常な赤ん坊を生みたいのなら、体内の汚染物質がボーダーラインを超える前に、出産をするべきなのだ。
カガミは、緩めていた緊張を、固めなおす事になった。
「あ、いや。別に、変な意味はないんだ。わ、私は……こんな仕事をしている以上、子供を育てるなんてできないと覚悟をしていたからさ」
「は、はあ」
「ただ、カガミはどうだったのかと気になってな」
「オレの? 診断結果ですか? オレはまぁ……意外にも健康体でして、生殖機能に異常はないですが」
カガミは自分の健康診断結果を思い返しながら、残り寿命の年数や、身体の異常が特にないことを打ち明けた。しかし、タバサはそれを聞いたのち、間を作ってから「そうじゃなくて、だな」と歯切れ悪く反応した。
普段の彼女らしくなく、揺らぎと個をみせるのでカガミもどういう事なのかもどかしくも反応に困る。
「カガミは……、……いや……すまない。なんでもない」
「なんなんですか。気になる訊ね方をされたら、なんでもないでは済まないでしょう」
「……いや、カガミにとっては、あまり良い話にならないなと、思い直したのだ……ウカツな私を許してくれ」
タバサがそう言って謝ったので、カガミはそこから推察して、タバサが何を訊ねたかったのか答え合わせをしてみた。
「……ミラのことですか?」
自分がされていやな話はそれしかない。
おそらく、タバサは子供を持つという事に関して、カガミに人生の先輩としてアドバイスや経験談を聞きたがっているのだろうと思えた。
カガミの言葉に、タバサは小さく頷いて、「言いたくないだろう。言わなくていい」とまた謝った。
「まぁ……言いたくないというよりも、そっちの事は参考になる話ができません。親と言えたものではなかったですから」
「そうか……。しかしミラちゃんを、愛していたんだろう?」
「……ええ、何よりも」
「知っているか、カガミ。何かに名前を付けるというのは、愛情表現なんだ。AIにミラと名付けた君の感覚は、確かな愛情あってのものなんだ。だから……辛くても自分を卑下するような考えをしないでほしい」
タバサが身を寛げて、暗闇を覗き込んでいるようなカガミに光を見てもいいのだと慰めを伝えた。
カガミは、そんなタバサに「ありがとう」と返す。それしか言葉が見つからなかったのだ。
ミラへの愛情を誰かが理解を示してくれたことはない。
人は自分自身が生きる事で精いっぱいの世である。ミラが自分の命よりも大事だと言うカガミの感性は、他人から見れば理解できないものだろう。だが、タバサがその想いは尊いものだと言ってくれたのは、冷凍されていた血液に熱がもどるような感覚を与える。
「愛情を知っているカガミだから、頼りたい」
不意に、タバサの言葉が硬質の透き通る杭のように、カガミに放たれた。柔らかく包むような母性から、信頼という強い糸を繋いできたような感触があった。
ここからが本題だな――、とカガミは心をニュートラルに、思考をクリアにして彼女の言葉を自在に受け止めるため、内側を身構える。
「カガミ、ユグドラシルプランを調べよう」
「……どういう意味ですか」
「正確には、社長のダンが、ユグドラシルプランの先をどう考えているのか、明確にしたい」
当初聞かされたユグドラシルプランの目的は、地球環境の再生だったはずだ。
だが、タバサはそれに疑問が浮かんだというのだ。
「社長がどういう人間なのか、調査したいんだ。カガミ、お前だけが頼りだ……他はまだ、誰も信用できない……。ガロッシュは特に」
「ガロッシュ? なぜ?」
タバサは少々逡巡したが、ゆっくりと口を開き、ガロッシュの真実を語り始めた。
「ガロッシュは……ユリカゴの落下ポイント、サンクチュアリで最初のユグドラシルを発見した」
「ああ、確かどこかから任務を受けてそこにいたんだろ」
「ミュータント退治の任務だ。ガロッシュは当時、サンクチュアリに巣を作り始めていたミュータントの排除任務を依頼され、そこに向かった。そして、見事に任務を果たし帰還したが、その手にユグドラシルを握って持ち帰ったんだ」
そこで一度呼吸を整え、タバサは真っすぐにカガミに向き合った。
厳かな声色が冗談など微塵もないのだと告げるように、続きが語られた。
「……その時だ。ガロッシュは、ユグドラシルに、寄生された」
「……なんだと?」
「ユグドラシルは、宿主に寄生する事は分かったはずだ。そうして、自身を外敵から守ろうとする」
「ガロッシュがユグドラシルにゾッコンなのは……性癖の話ではないと言うんだな?」
「そうだ。人格を変化させるらしい。いつか、ハリガネムシの話が話題に出ただろう。あれと大差ない状態なのが今のガロッシュだ」
「証拠は?」
「これだ」
タバサが取り出して見せたのは、どこか別の研究者がまとめ上げたユグドラシルと、ガロッシュの関連に追及した論文だった。
そして、ガロッシュ自身の健康診断書に、こう記載されていたのだ。
――パラサイト・ディスカバー。発見者であり、寄生者。ガロッシュの体内にて、ミトコンドリアと共に葉緑体アリ、と。
「それと、ユグドラシルプランへの不信感はどう繋がるんですか?」
「ユグドラシルに寄生された人間は人格を変貌させられる。ガロッシュのように、植物に対して異常なまでの執着を見せるようだ。……もし、プランの発足人である社長自身もすでに寄生されているのだとしたら、どうだ?」
「フェニレク自体が、ユグドラシルに操られていると考えているのか」
「……まだ分からないが、あり得るだろう。だから、社長の……若しくはユグドラシルの真意を知りたいと思った」
タバサの考察は十分な証拠を伴い、頷ける内容ではあった。
カガミは暫し考えて、押し黙る。
「ユグドラシルに操られてしまっての行動だとすれば……このフェニレクのプランは、全人類を破滅に導きかねない事態を生む可能性がある」
悩むカガミに、この状況の危険性を理解してもらいたいとタバサは更に意見を推した。
「確かに、ユグドラシルプランで地球環境に改善が行われたとしても、その緑がヒトの人格を支配するのでは、文化というものが塵になりかねない。もっと不安に思っているのは、ユグドラシルの『人格を変えてしまう』能力を兵器に転用できたらどうだ?」
「凶悪な……マインドコントロールが可能になると?」
「人間性を吸い上げて育つ細胞なんだよ、種というのは」
タバサの懸念する事は最もだろう。ヴァコ・ダナから回収した薬品の調査結果も、そろそろ出てくるはずだ。それで情報の裏付けができたのなら、この件に関して調査をするのは重要だと思えた。
「分かった。タバサ、協力する」
「ありがとう、カガミ」
フェニレクの真実、社長の姿、ユグドラシルの意思。
二人はミツバチの巣の中に入り込んだ『スズメバチ』のように、フェニレクに対し、社会寄生を開始したのである。
――果たして、寄生者はタバサとカガミなのか、はたまた、ユグドラシルなのか。妙な皮肉を孕んだミツバチは『ホーネット』となって活動を開始した。
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