ユグドラシル

 派遣会社『フェニアック・レクタングル』。

 これがカガミが所属する派遣会社の名前である。この荒廃世界において、派遣社員というのは、いわば傭兵だ。企業に不足している人材を派遣する会社は、実力者を採用し、企業に対して絶対の成功を約束することをモットーにビジネスを成り立たせている。

 そのため、他企業への支払いは少々高額設定されているのだが、派遣社員として登録している人材はその分、雇った会社から重圧を受け、少しでも落ち度があろうものなら、その料金を減額されてしまうのだ。

 結果、派遣社員は生半可な実力を持った人間では生き残ることができず、大体は鉄砲弾のような扱いをうけながらも生還を果たして成果を得る。


 かつて文明が栄えていた時代は天高くビルを塔のように建てていたが、今は逆となり会社は地下に伸びていく。フェニアック・レクタングル、略称『フェニレク』は地下深くにその居城を埋もれさせていた。

 今日、カガミはそこに呼び出しを受け参上したわけだが、これは滅多にない事であった。通常は電子通話やネットチャット、メールでやり取りをして仕事を斡旋してもらうのだが、名指しで会社に出向く事を命令されたのだ。


「デュビアス・ソウル、カガミ。ID20166」

 フェニレクの入口までやってきたカガミはLD登録を照合させて中に入る許可をもらった。厳重なシャッターが開き、デュビアス・ソウルはゆっくりと中に入り込む。そのまま奥に進むと除染区画に到達し、そこでLDに除染シャワーが浴びせられる事になる。これでようやく地下に下ることができるのだ。


 地下に下りきると、まずLD収納ハンガーが並ぶロッカー部屋に通され、そこでLDを脱ぐ事になる。


「ID20166、デュビアス・ソウル。こっち来て」

 カガミに声をかけてきたのはまだ幼さが色濃く残る顔立ちをした少女だった。年のころ十四か十五といった具合だろうか。かつての時代であれば十四、十五は学生であり子供と認識される年齢になる。社会に対して関わるようなことはあまりない話だが、この荒廃世界となった現状ではティーンエイジャーが働くのは極普通の事となっていた。

 それに、家庭を持ち、子供を産むのすら十代前半で行う事もある。なにせ、平均寿命自体が繁栄期の半分と下がっているのだ。五十代まで生き抜くことができればそれはもう、長寿と呼んでおかしくないのが現状なのである。人々は早々に子を作り、世代を繋げなくては種としての危機に陥る。


「ここがお宅のロッカー」

 つなぎ姿の赤毛の少女が通常ロッカー室を通り過ぎた先の上質な区画でカガミを案内した。

「随分、立派な……個室型だな?」

「だって、デュビアス・ソウルなんでしょ」


 案内をした少女はIDを改めて確認するようにそう言って、通常の社員が扱うロッカー室とは別に設けられた特別製の個人用ロッカー室の扉を開いた。


「あ、アタシ、リリナ。ユグドラシルの専属整備。よろしく、カガミさん」

「ああ。……ユグドラシルって?」

「話は後で。さっさと脱いでよ」


 リリナから出てきた『ユグドラシル』というのが理解できなかった。今回呼び出された事と何か関連があるのか分からないが、カガミは言われるまま、リビング・ドールを脱ぎ、ハンガーにかけた。


「へえ、インナーがヴァコ・ダナ製じゃん。……え、いや違う。これ、ダナインの時のじゃん」

「その若さで良く分かるな」

「若いからって何も知らないと思い込むのは、年寄りの証拠だよ」


 デュビアス・ソウルのインナーは、今大企業として栄えているヴァコ・ダナの前身、ダナイン社の時に使用されていたものだ。ヴァコム社とダナイン社が合併してできた大企業は今、この世界で名を知らぬものはいないという一流企業だ。

 カガミはかつて、そのダナイン社の正社員だったのだが、合併を機に辞職したのだ。その後、このフェニレクにて派遣社員として登録をした次第だ。


「どこに行けばいい?」

「すぐ、マネージャーが来るよ。そっちのスタッフユニフォームに着替えて待っててよ」

「変に弄るなよ」

「メンテチェックしかしないよ」


 というリリナだが、ダナイン時代のLDインナーに興味津々らしく、カガミの汗が染み込んだそのインナーに頬ずりでもしそうなほどに目を輝かせていた。LDのインナーというのは、人体のプラスミドを刺激させ神経リンクを行う単なる防御服とは言えないバイオニックテクノロジーを駆使した技術品なのだ。それを脱げばほぼ全裸と言える姿になる。下着は恥部隠しと呼ばれる程度のものでしかない。

 裸のカガミは言われるまま、スタッフユニフォームを着込み、近くのベンチに腰を下ろしていた。左腕の端末で操作し、『ユグドラシル』を検索する。


 ――『ユグドラシル』。北欧神話に登場する架空の樹であり、世界樹を体現する巨木のことだとデータベースに表示されていた。

 おそらくその名を冠した部署名のようなものだろうか。もしくはプロジェクト名かもしれない。

 この荒廃世界には植物など生えない。汚染された大地には巨木など存在するはずもなく、夢見がちな命名だとカガミは皮肉に笑った。


 カガミが待機していると、ロッカー室にウェアラブル型の眼鏡をかけたスーツ姿の女性がやってきた。こちらはリリナと比べずとも大人びた風貌をしており、おそらく二十台半ばほどかと推測できた。


「ID20166か」

「ああ、カガミだ」

「私はユグドラシルのマネージャー、チェルだ。早速だがついてきてもらおう」


 随分と偉そうな物言いをする女だ、とカガミは独り言ちて、冷血そうな印象のチェルに大人しく従う。

 チェルに続くと、会社の地下に続くエレベータに乗り込むことになった。チェルが基盤パネルに手を押し付けると、静脈センサーで認識したのか、『Pi』と短い電子音が響いた。すると、エレベータが動き出し、地下深くに進んでいく。最下層に近づく程重要施設となっている会社のつくりは、カガミがこれからそれなりの場所に行くことになるのだと教えている。


「お仕事の紹介の話じゃないんですかね」

「いいや、仕事の話だ」

「ふーん、ユグドラシルってのがそれですか」

「そうだ。我らフェニアック・レクタングルの本来の仕事だ」


 単なる派遣会社じゃなかったのか? と訝しむカガミだったが、そこでちょうどよくエレベータが止まり、ドアが開いた。チェルはツカツカと抗菌床の上を進み、真っ白な通路が続く清潔な空間の奥へと向かい始めた。


(こいつはいよいよ、正社員登用ってことかね)

 派遣会社スタッフとして登録の折、実力を示せば正社員として登用する旨が伝えられた。

 カガミはそこまで、正社員登用に興味がなかった。なにせ制約が嫌いな性格をしていたからだ。自由気ままに生きる事を好としていた男には、正社員というのはあまり魅力ある立場と思えなかったのだ。

 だから、今回の面接が正社員に対する説明会なのだとしたら、カガミは断ろうかとも考えた。


「入れ」


 チェルが大きな扉を開き、カガミを促した。そこは中規模の会議室という具合で、中央にテーブル、その周りに椅子が並んでいた。

 席を指定され、そこに腰かけろと言われたカガミはドッカリと腰を下ろして、そろそろ説明が欲しいと少しばかりイラだちを見せた。


「何がはじまるんですかね」

「雇用面接だ」

「ああ、やっぱり。オレは、別に正社員登用に興味はないぞ」

「キミに興味がなくとも、こちらはキミを必要としている、カガミ君」


 不意に部屋の四隅に設置してあったスピーカーから声がした。どこかと音声通話でつながっているようだった。


「こんな形で済まないな。何分多忙なもので、直接そこに出向くこともできない」

 詫びる声は落ち着いた男のものだった。聡明そうな声色でできる男の余裕、という感じを受ける。


「私の名は、ダン。このフェニアック・レクタングルの社長だと言ったほうが分かりやすいか」

「なんだってオレに」

 もしやとは思ったが、社長直々の面談に、カガミはいよいよ状況が特殊だと身構えた。

「君の経歴を見せてもらった。かなりの実力者だ。おそらく今ウチに在籍する登録社員の中でもトップエースだろう」

 カガミの実力はランカー上位に匹敵している。前回のアリの巣を利用した作戦も、カガミの腕があればこその作戦であり並みの実力者では、アリの巣に突っ込んだ時点でM1に食い殺されてしまうはずだ。

「たまたま運が良かっただけです」

「いいや、運ではなく、経験が積んだ実力の賜物だろう。ダナイン社の元主任シュピーゲル」

「――マイナンバーも消滅したご時世で良くつかみましたね」


 カガミ――、いや、その本名はシュピーゲルという。彼はかつて、ダナインの主任として凄腕のLD使いだった。そんな彼がどういうわけか辞職した事は各企業に様々な憶測をさせたがその真意はまだ明確にされていない。


「話は聞きますが、カガミと呼んでいただきたい。シュピーゲルはもう死んでます」

「そうか。ではカガミ君、君の力をぜひともユグドラシルプランに貸してもらいたい」

「ユグドラシルプラン――」


 そこでチェルが会議室のモニターに資料映像を表示させた。

 ユグドラシルプランは、派遣会社『フェニアック・レクタングル』の企業第一目標なのだそうだ。

 フェニレクの『単なる派遣会社』というのは表の顔であり、裏の顔があった。


 企業の裏ビジネスは過去からも変わりない。どの会社も表の顔と裏の顔を持ち合わせている。ユグドラシルプランは、まさにその裏の顔――。


(いや、むしろ派遣会社が裏の顔、なのか――)


 フェニレクの真の企業理念は、このユグドラシルプランにあると資料は告げていた。

 派遣会社は、あくまで凄腕の人材をふるいにかける役割でしかなく、そこから能力のあるものを正社員登用し、ユグドラシルプランに加えようと言うのがこのフェニレクのやり方のようだった。


「ユグドラシルプランの目的はたった一つ、シンプルなものです」


 チェルが厳かな態度で口を開く。画面の映像が切り替わり、そこに可憐な一輪の花が映し出された。


「この一輪の花を守り、星を再生させます」


 その花の名は、『ユグドラシル』と表示されていた。その見た目は小さなダンディライオンに似ていた。


「花? 花だって? このユグドラシルという花が実際にあるのか?」


 カガミは驚愕の声を上げてしまった。花が咲くというのは、あり得ない奇蹟のような話だったからだ。

 この荒廃世界において、植物は何者よりも尊いものとして考えられている。それこそ、神や幽霊よりも存在しないものだという認識が当然のものであったからだ。

 もしもこの朽ち果てた世界に花が一輪でも咲けば、それは星が蘇る兆候であり、何者よりも優先度の高い保護対象だ。

 もちろん、花一輪は人命数億人よりも高い。最も、人命はこの世界においての価値としては最底辺なのだが。


 もし、この資料に表示されている『ユグドラシル』という一輪の花が実在するのならば、それはこの星に生きる生命としてなんとしても保護しなくてはならない。


「ユグドラシルは実在している。これを保護するのが我らの仕事だ」

「仕事……」

 仕事と呼ぶにはあまりにも気高いものだった。いわばこれは破滅の世界を救うために立ち向かう勇者の所業だ。英雄の戦いを『仕事』とは呼べない。それほどに一輪の花を守るということは大きな話なのだ。


「ユグドラシルを狙う者は多数いる。この世界の覇者として君臨するために私利私欲に利用するため略奪を狙う人間。植物の空気清浄を良しとしないアボミネーションなどだ」

「残念ですが、現在の他企業はどこもかしこも、刹那的な生き方を求め、星の存続の危機に気を回している者はいません。我が社のみ――」


 我が社のみ、かどうかはともかく、他の企業体が自らの保身のみで他社を食いつぶし、無力な市民を見殺しにするのは嫌と言うほど見てきた。ユグドラシルという珠玉の一輪を他の企業が強奪した場合、どう扱うのかあまり良い印象を思い浮かべる事が出来ないのは事実だ。


「ユグドラシルをどうやって守るんだ。この一輪から緑を取り戻せるだけの力があるのか?」

「現在はまだありません。ユグドラシルのこの一輪目がどうして芽吹いたのか不明ですが、植物を増やしていく為には最低でももう一輪の花が必要です。受粉させていかなくてはならないからです」

「もう一輪……つがいを捜すという事か」

「その通り。そのため、我らユグドラシルプランは現在の一輪を守りながら、もう一輪の花を捜しているところだ」


 この一輪の花から増産できないかと研究も行われたらしいが、それはことごとく失敗に終わったらしい。それも仕方ない話だ。現在、人間ですら生殖が難しい世界なのだから。現在、世界にたった一輪の花、ユグドラシルはなんとこのフェニレクの最下層にて厳重に保存されているらしいのだ。


「カガミ君には、そのもう一輪のユグドラシルを捜索する『ミツバチ隊』に加わってもらいたいと考えている」


 ――ミツバチ隊。かのアインシュタインの予言の一つに、ハチがいなくなれば人類は滅びる、というものがある。ミツバチは草花の受粉を助けるためだろう。まさにユグドラシルという花の受粉を助けるための部隊名にはピッタリだと思えた。


「やろう」


 カガミは即答した。もしこの会社が単なる金稼ぎのための他企業と同じならば、正社員など蹴ってしまうところだった。だが、少なくとも、目的があり、目標があり、先を見ている。

 それがカガミの内側を熱くさせた。ただ、生きて、理不尽に死んでいくだけの世の中だと思っていたカガミは、この世界に希望を抱いていなかった。諦めていたし、投げ出してもいた。

 それが今、小さなたった一つの花びらが、『人生の潤い』を教えてくれるように思えたのだ。


 生命をつなぐ事。その美しさを、カガミの命で賄えるとしたらそれはこれまで勝ち取ることができなかった『やりがい』を齎(もたら)してくれることだろう。


「そういうだろうと思っていた。カウンセリング診断は間違いないな」

 そう言えば、フェニレクに入る際に、簡単な心理テストのようなものを受けさせられた。なんの意味があるのか不明だったが、どうもフェニレク本来の企業理念にふさわしいかどうかを判断していたのかもしれない。カガミはこの派遣会社のしたたかさに内心舌を巻いていた。水面下でこまごまと動いていたのだろう。


 星への恩返し、そしてお詫びをしたい。

 それは親孝行をしたいと言う気持ちに似ていた。子供のうちはいつも親への不満で一杯だが、親元を離れて分かる苦労や、この世知辛い世の中で自分を必死に育ててくれた親への尊敬が露になるのは、その本人がやっと視野を広く持てたという証拠に他ならない。成長したということなのだ。

 人類はいつまでも親離れできない、スネカジリであった。その結果、生みの親である星をくたびれさせてしまった。

 フェニレクの心理テストは、人類として、そういう自立した精神と献身の心をもった人物を選抜していたのだ。いつまでも人類同士で争い続けている場合ではないと、それに気が付ける人物が必要な人材だった。そしてこの厳しい環境でも逞しく生きていける強さも兼ね備えた人材が――。


「では、あなたを正式な社員として雇用いたします。カガミさん」

「宜しく」

「ところで、これは個人的な質問なんだがね?」

 ダンが仕事の話はこれまでだと、少し砕けた調子で訊ねた。


「なぜ、ダナインを辞めたんだ?」

「個人的な質問なら、答える義務はないですね、ダン社長」


 カガミは姿も見えない相手に言うものかとキッパリと回答拒否を見せつける。チェルがぴくりと眉を動かしたが、特に何も言わず、スピーカーからの声もそれ以上は詮索をしなかった。


「そうか。まぁ、できればウチは辞めてほしくないと思っただけだよ」

「あんまりパワハラが過ぎると、辞めちまうかもしれません」

「留意しよう」


 こうして、カガミの新しいシゴトがはじまった――。

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