男と女と人間性
ジャックと豆の樹という童話があったらしい。そこから命名された軌道エレベータ『ビーンストーク』は巨大な一本のケーブルを昇降機を使って昇っていく。
昇降機内は一機につき一部屋、個室状になっており、パスポートと金があれば乗ることができる。最も、このご時世で観光といった概念もなく、利用するのはビジネスマンばかりだ。
カガミとタバサは昇降機の一機に乗り、まずLDをロッカーに入れて除菌を行う。
そして共有スペース内に入る前にLDを脱ぐ事となる。あれからビー・ハイヴでの移動中、ずっとLDでリンクされていた二人は奇妙な感覚で一体化されていた。
最初は男女が肌を重ね合わせているような感覚が自分の精神を緊迫させていたが、丸一日それを続けると、シンクロ率は上がり、気持ちも慣れて落ち着き始めた。
ビーンストークに到着した時にはもうシンクロ率は75%を突破していた。ほぼ、二人の肉体は一心同体そのままの意味を成すようになっていたのだ。
カガミの嗅覚とタバサの視覚、男の味覚と女の聴覚、そして触覚を共有させた二人は、肉体が溶け合って一つになったような感触を持てるようになった。
とは言え、これを長時間続けていては神経が誤解をして徐々に脳が幻惑されてしまうため、昇降機内ではLDを脱いでリラックスをしようとなっていた。
パーソナルスペースがほとんどゼロになってしまうリンク状態は、人によってはストレスを生む。互いが離れる事で改めて互いが他人だと自覚することも精神衛生上必要な事だ。
「ふう……」
LDを脱いだカガミはLDロッカーで一息吐き出す。深呼吸をして自分の身体の中に空気を取り込むことで、自分の身体が自分のものなのだと実感をもたせようとした。
そのすぐ隣にはタバサのLD『スティンガー』もハンガーにかけられ、バックパックを外した背中から、まるでサナギから脱皮するかのように白く瑞々しい裸体がするりと現れた。
LDは、神経リンクを行いやすくするため、できる限り肌をインナーに密着させる必要があるため、LD装備時は大抵裸になっている。
会社のLDロッカーは男女で区画が分かれていたが、この昇降機のロッカーは一室しかなく狭かった。
そのため、タバサがLDを脱げばその若々しい裸身をカガミの前にさらすしかない状況ではあった。
カガミはそのタバサの裸身を見て、リンク中の感覚を思い出してしまった。
自分の身体がタバサになるような感覚は、奇妙なものだった。リンク相手が同性ならばこうも奇妙な感覚は湧かなかっただろうが異性の身体につながり感覚を共有することは、疑似的な性行為を想像させてしまうらしい。
自分の肉体でありながら、女の身体を感じ取れたあの感触により、カガミはタバサの身体を見たこともないのに、実感させられてしまった。それはタバサも同様だろうからお互い様ではあるが、こうして、実際にタバサの胸や下腹部を見ると、リンク中の違和感を伴っていた箇所の整合性を脳内で整理できる。
「クール・ビズですか」
タバサは上半身も下半身も共に何も着けていなかった。カガミは変に意識をそらすより、堂々と向き合ったほうが恥じらいが無くなるだろうとタバサに率直に訊ねた。
カガミは下にパンツを履いているが、タバサは完全に全裸だったので彼女の全てを確認する事ができてしまう。
「ああ、スティンガーは高機動型だから、感度を出来る限り高めておきたくてな。私は基本的には……何もつけないで装備している」
すぐれたLDスキルを持つものはLDの感度を更に高感度にするため、全裸で着込むものもいる。クールビズスタイルと言われるそれが、超スピードと反応を実現するための条件になるため、タバサは実践しているのだろう。
「そうなんですか」
タバサも変に恥ずかしがるのは、余計に意識してしまうと考えてかドライに応対した。そのままロッカーに備え付けてある部屋着を着込み、ラフなシャツとパンツの姿となる。
リンクによって、互いの身体を自分の物として感じ取っている二人には、裸を見られる以上の行為とも思えたため、今更と言えば今更なのかもしれない。
ロッカーの扉を解除して、共有スペースに異動すると、そこは過ごしやすそうな憩いの空間となっていた。
備え付けられたソファ、ベッド、映像モニタ。バスルームとキッチンもある。
「オレの部屋より立派だ」
「ビジネスクラスの席を手配してくれたからな」
「これ、経費で落ちるんだ」
「そりゃ、そうさ」
快適なソファに身を沈めながらカガミは正社員の恩恵を味わう。
タバサがキッチンの冷蔵庫からコールドドリンクを持ってきてカガミに手渡すと、隣に腰かけた。
「上につけば、ヴァコ・ダナのユリカゴに向かうための作戦が開始される。しっかりと休養しよう」
「乾杯」
ペットボトルのドリンクチューブのため、グラスを合わせるようなことは出来ないが、二人は目配せをして二人きりの潜入任務の前の最後の休息を愉しむことになった。
「緊張しているか?」
「そうだな……二人きりという処には気を遣う」
「ふふ、作戦自体には余裕があるという事か。頼もしいな」
タバサは個性を表に出さないしゃべり方をする。だが、今は少しばかり様子が違って聞こえた。それは二人がリンクを使ってシンクロを行ったための親近感がそうさせるものなのかもしれない。
今は上司と部下という感覚よりも、仲間、友人といった感覚が響く声色を紡ぎだしていた。
「潜入任務は……慣れているんですか」
カガミがあえて敬語で訊ねたが、タバサは柔和な笑みを浮かべ、「崩していい」と言ったので、カガミは口調を取り繕うのを辞めた。
「私は元々情報屋をしていた。単独行動が多かったし、ネタは奪い合いだ。女が独り生きていくのには強かさが必要だった。自然に身についたスキルだよ」
「どういう経緯でフェニレクに?」
「何の変哲もない就活さ。フェニレクのリクルートで採用された」
「エリートなんだろ」
女だてらに特務隊隊長を任せられている以上は彼女がその人事で高評価を得ているという証拠だ。
実際のところ、部隊指揮能力はまだ発展途上といった具合だが、LDの動きを見ていれば彼女がかなりの使い手だということは分かるし、リンクをして彼女の肉体をその身で感じ取ったカガミは、タバサの身体能力が完成されたものであるとも捕らえていた。
「……今回の作戦、カガミが私のサポートに入るとチェルから連絡を貰った時、どういう事なのかと訝しんだよ」
「なぜ?」
「プラスミドのリンク操作なら、レツが得意分野だから、彼を選抜するものだと思っていた」
――確かに前回の出撃の際、レツの『ラタトスク』から発せられたパルスの影響を受けたプラスミド検知はかなりの精度を誇ったレーダーになった。潜入任務サポートにおいて、レツが優れていると考えるのはカガミも同意する。
「で、まぁ……君の過去の話をチェルから聞かされてな……。気分は悪いだろうが……それを聞いて納得したよ。以前、似たような実験を目の当たりにしたんだろう」
「あぁ――。新人類を造る実験計画だな。ヴァコムもダナインも似たような研究をしていた。その二つが合併したというのは、色々と都合が良かったのかもしれんな」
「うん。今回は、カガミの知識と感覚が欲しい。ユグドラシルに関する繋がりが見えると良いが……」
タバサが不明瞭な言い方をするのは、カガミがあまりいい顔をしていないと考えたからだ。どうやら、この過去の事件はカガミにとってかなり大きなもののようで、未だ払しょくできていない問題のように見えた。
「カガミ……。リンクをしても、思考や心までは重なり合えない。だが、共に戦う仲間として、親睦を深め、知り合いたいと願っている」
「そんなにオレに気を回す必要はないですよ。年下に精神面をケアされるのは、情けないってプライドも持ち合わせます」
上司に対していう言葉ではないが、タバサが崩していいと言ったのだから、カガミは率直な言葉を口に出した。
だがタバサは、カガミが考えていたことよりも違う観点でつづけた。
「女が男を慰めようというだけだよ」
「……それは、お前の乳房に吸い付いていいって意味に聞こえる」
「それで慰みになるほどの苦しみじゃないんだろう? 家族を亡くしたんだ」
タバサが少しばかり、踏み込んだ。それはカガミにとって大きなトラウマになっていると、彼女も知っている事だったが、そういう事をも抱き留めたいという態度を見せたのだ。その声は、彼女の色が見えたぬくもりある、女の、母性的なものを漂わせていた。
「カガミが……私の胸を吸いたいと赤子のように言うのなら、吸わせてもいいさ。家族を……愛していたんだろう」
「ああ。ミラは、まだ六つの女の子だった。あいつはオレの生きがいだった……」
タバサとリンクをしたためだろうか。奇妙に引き合う二人の感覚が、カガミの過去を口から零れさせた。あまり他人に語りたくはない過去。凄惨な体験談。愛する者を亡くした悲しみと怒り。それは未だにカガミの奥底にこびりついている。油断をすればそれが噴きあがって心臓を潰すような感覚に襲われて息が出来なくなることもあるのだ。
大の男が肩を震わせて、嗚咽を堪えるような声で漏らした、短い言葉は、確かに彼の本音だったのだろう。
タバサはそっとカガミの隣に寄り添って彼の手の甲に自分の掌を重ねた。
リンクの時に感じ取った互いの体温を改めて自分の身体で直に感じ取った瞬間だった。
「私は……今回の任務、パートナーがカガミで良かったと思ってる」
「なんでです?」
菩薩のようにすべてを包む優しさで寄り添うタバサに、カガミは素直な気持ちで訊ねていた。タバサはカガミを見つめ、柔らかくはにかんだ。
「チャーミングなヒューマニズムを持っているから」
カガミはその言葉に何も言葉を返せなかった。もう彼女の顔をまっすぐに見ていられないと思ったからだ。
年甲斐もなく、年下の小娘に慰めてもらうなど、やはりプライドが邪魔をするのが男なのだとカガミはドリンクを一気に飲み干した。
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