実験施設

 宇宙から見下ろした地球を美しいと言う人物はいない。

 かつて、青かったと言われたその星は、こうして静止衛星から見てみれば病んでいると一目でわかる。腐食した母星は見ていられないほどみすぼらしかった。

 だが、かつて若く美しい女神のようなその地を汚したのが人間だ。

 疲弊した女神はそれでも健気に生命の循環を続けようとしてくれていた。だから、カガミはこの濁り腐った星へどうしても恩返しをしたかった。いや詫びを入れたいと言うほうが適切か――。


 ビーンストークが静止衛星までエレベータで運んでくれた後は、各ユリカゴへと向かうシャトルで移動する。

 しかしそれは通常の、ユリカゴへの入港手続きがおこなれている場合に限りであり、カガミとタバサは今回潜入任務のためにやってきているのだ。

 ビーンストークから降りた二人は直ちに行動を開始した。LDを着込み、予定通りに衛星の内部から監視員の目を盗んでは港から宇宙空間へと飛び出していく。


「アポジモーターの調子はいいな」

「はい。問題ありません」

 カガミがミラに宇宙空間での活動に異常がないかを確かめさせたが、リリナの整備のおかげもあり問題もなく姿勢制御スラスターが動き、単独での宇宙遊泳を可能にしていた。


「カガミ、ヴァコ・ダナのユリカゴへと向けてくれるシャトルを手配している。ついてこい」

「了解(ラジャ)」


 港から離れ、LD二体はスペースデブリが乱雑する宙域まで移動すると、岩塊の影に小型シャトルが隠れるように停泊していた。

 正規のルートからはずれたこの位置にいるシャトルは真っ当な運搬会社のものではなく、いわゆる『運び屋』稼業の裏の社会の組織であると分かる。

 カガミとタバサはそのシャトルにライトを使った信号を送るとシャトルのハッチが開き二人を招き入れてくれた。

 中に入ると、運び屋の男がタバサと会話して、商談が成立しているらしい事を窺えた。


「手際がいいですね」

「派遣会社は伊達ではないという事だ」

 フェニレクの表の顔が派遣会社という事もあり、色々なツテがあるというのだろう。なにせ金さえ払えばならず者にも派遣社員を寄越すのがフェニアック・レクタングルという会社なのだから。


「ヴァコ・ダナのユリカゴ付近の宙域まではこれで移動する。ポイント21でシャトルから離脱。コロニーに取りつくぞ」

「分かった」

「リンクを開始する。身体を慣らしておけ」


 タバサの命令で、またリンク・システムが動き出しカガミとタバサの共鳴が開始される。ここまで来る途中に事前準備をしていたこともあり、今回はかなりスムーズにシンクロ状態を高く保てている。

 おそらく、それはエレベータ内での互いのコミュニケーションがプラスに働いたことも影響の一つだっただろう。


「シンクロ率は80%台で安定。作戦行動に支障なし」

「よし、サポートを頼む」


 やがてシャトルが作戦宙域付近に接近したことを報せると、二人はここまで送ってくれた運び屋に簡単な礼を述べ、またハッチから飛び出した。

 隕石を利用して隠れながら移動を行い、徐々に目標のヴァコ・ダナのコロニーに接近していく。

 ベビー・ベッドのような外見のスペースコロニー、ユリカゴの外壁に到達した二人は、もう言葉を介する必要もない。リンク状態が生み出す身体の感触で何を伝えるべきなのかは把握できる。

 カガミは外壁で待機するため、デュビアス・ソウルを屈ませて周囲警戒を行う。一方タバサのスティンガーは港ではない侵入経路の汚染物質廃棄ダクトから侵入を開始する。

 地上のコロニーも、宇宙のユリカゴも、運営のための炉心では核融合エンジンが動いている。それらが生み出す汚染物質はもちろん人間にとって危険な放射性物質であるため、破棄する必要がある。

 汚染物質は基本的には宇宙に垂れ流し状態であり、地球上の汚染物質も、エレベータで宇宙まで運んでから捨てるというやり方を取っているために、地球圏は人の作ったゴミダメのような状況になっている。

 もちろん、殺人的なRAD値を放射しているので、これを生身で浴びれば髪の毛が抜け、皮膚が爛れて内臓は溶けて死ぬだろうが、LDを着込めば放射能対策は問題なく活動できる。

 それでも廃棄物を外に捨てているダクトを通っていくのは危険な事に変わりない。いくらLDを着込んでいても長居はしたくない場所だ。


 タバサのスティンガーが細身の軽量型LDであればこそ、侵入可能とも言える作戦経路である。今回は潜入任務のため、大きく目立つ武装も持ってこれなかった。

 スティンガーは拳銃を装備しているだけの状態であるし、周囲警戒と退路確保のポジションについているデュビアス・ソウルもピストルと火炎剣だけの武装となっている。


 タバサが見たもの、触れたものをカガミを感じ取れ、カガミが聴いたもの、嗅いだものをタバサが感じ取れるこの状況は、その反応を直感的にダイレクトに行わせることが出来るので、とっさの判断で多様な選択肢を選びやすくできる。

 不測の事態に対処しやすいシンクロ状態は、まさにこの作戦において要ともいえた。


「ミラ……周囲の反応に気を配ってろよ。オレはタバサの感触に集中する」

 カガミが周囲索敵をミラに任せるが、AIのミラが直ぐに返事を返さなかったので、カガミはもう一度「おい」と呼びかけた。


「了解し・ま・し・た」


 ミラが不満足という態度で答えたので、カガミは更に重ねて「おい、ミラ」と窘めるよう呼びかける。

 しかしその声に反応を返したのは「くすくす」と笑うタバサだった。


「妬いているんだろう。ミラちゃんは」

 何をバカなとカガミは呆れた顔をする。ミラは人工知能だ。データ上の人格であり、特殊水平思考型と言われる存在が、嫉妬をするはずがない。

 ……するはずがないとは言え、このAI『ミラ』は成長をする。

 経験を積み、言葉を覚え、マスターに対して慣れていき、自己判断を行うこともある。データ上の存在であれど、それはもう立派な一つの個性でもあると思えた。

 カガミはこのAIに名付けた『ミラ』の名に並々ならぬ愛情を注いでいたこともあり、ミラが人間味を帯びた反応をすることがあるのをすでに何度か体験もしている。おそらく、カガミの愛情がAIである『ミラ』に移った事でコミュニケーターとして必要な人間性を生み出しているのかもしれない。


「本当に、親子のようだな」

「隊長、無駄口を閉じましょう。ミラも対処をしろよ。仕事中だ。家庭の問題は後で聞く」


 カガミの注意に、タバサとミラは黙ったが、やはりその関係性はタバサが評したように親子のように見えた。父親を取られるとでも思った幼い娘が、義母に嫉妬するような感覚だろうか。

 タバサは、カガミがAIに『ミラ』と名付けている事からも、カガミのかつての娘への愛情を大事に残しているのだと知り、そのヒューマニズムにキスをしてやりたいとも思った。

 タバサはこの荒んだ世界で、希望を捜していた。

 それが他者への愛情だと自覚した時、彼女は人を愛するという美しさを大切に守りたいと願ったのだ。


 スティンガーがダクトを抜け切り、ユリカゴ内部まで到達した。出た場所は工場区画だった。3Dプリンターが忙しなく動き、コロニーの建材を作り上げている。

 LDを着込んだまま街中に入れば、あっという間に住人に通報されるだろうから、タバサは適当な身を隠せる建物の影から様子を窺った。

 ユリカゴ内はおよそ五百人が暮らす居住施設となっており、一つの小さな村か町という作りをしている。

 港があり、商店があり、学校があり工場がある。基本的には、コロニーの住人は一生をそのコロニーで過ごす。運営している会社に貢献するために働き、生活のための賃金を得て一日を繰り返す。

 それらは企業側からすると貴重な労働力であり、人材確保のための施設である。コロニーは数多の会社が運営し、その運営する会社次第でルールは違ってくる。

 望遠カメラで確認したタバサの目に移ったヴァコ・ダナのコロニーは特異性を感じない『普通の街の見本』といった印象だった。


(似ている)

 カガミはタバサの網膜から通して自分の視覚に移った街並みを見て、かつて自分がダナイン社のコロニーで生活していた街に似ていると感じた。

 その事からも、このコロニーがヴァコ・ダナ――。ダナインの息がかかった街であると判別できる。そうなると、自分の経験から、このコロニーの施設がどういう位置に置かれているかも参考にしやすい。

 カガミの経験がタバサを支援し、タバサは目標にするべき建物を選別しやすくなる。

 すぐさま行動に移し、タバサは任務に取り組んだ。このコロニーの実態を調査するのだ。居住区や商業施設はそれなりの光景であったしそこにはこのコロニーが特殊な新人類を造りだすための実験施設という痕跡は感じられない。そう言った施設があるとすれば重要機密となっているだろう。


「プラスミド反応」

 不意に耳に響いたミラの声に、タバサとカガミは動きを止める。

「数は?」

「2――」

 ミラの報告にカガミは顔を上に向けた。上空を通過するLDを二つ確認できた。

 こちらは気が付かれないように祈るしかない。


(警備員か……。こんなゴミ捨て場まで来たくはないだろ……、来るなよ)

 排気ダクト付近で身を隠しているカガミは相手がこちらのプラスミドを感知しない事を祈るしかない。

 ジャマーを発動させればいいかもしれないと考えもするが、ジャマーが発生した違和感のほうが、相手に異常を感知される恐れがあるため、ジャマーは使っていないのだ。

 どうにか、こちらには気が付かなかった見回りのLDだったが、カガミはそのLDの装備を望遠で確認し、ハッとした。


(……ダナインのLD隊の装備……)

 その見回りのLDの装備はどこかデュビアスにも似ていた。それもそのはずで、デュビアスのインナーはダナインのものを利用している。

 かつてカガミが所属していたダナインの部隊と同様のLDが、警備に当たっているのに気が付いた。


「隊長。ユリカゴは実験施設の可能性が高い」

「分かった。調査を急ぐ」

 カバーとスプリントを駆使し、タバサは隠密行動を進めていく中、住人を見かける事もあった。

 数人、十数人と見かけるたび、タバサは一つ違和感を覚えた。


(……?)

 最初はたまたまそうなのかと思った。

 身を隠しながらの観察となるため、偏った人間しか目に入っていないのだとも思った。


「隊長。学校へ向かってくれ」

「了解」


 カガミの勘がタバサを学校へと導いた。タバサが見ているものをカガミも見えているから、同様の違和感と、そしてそこから予測されるものを推理した。


「……やはり……? このコロニー……女がいない?」

 タバサは違和感を確信に変え、確かめるように零した。

 その反応に、カガミも肯定する。

「……おそらく……予想が当たっているのならば……女がいないというのは間違っているかもしれん」

 タバサが学校に到着した。学校と言ったが、ハイスクールやジュニアスクールというものはこの世界にはない。研究所がまさに学校の役割を担っているからだ。

 内部には職員がいる。その誰もが男だ。女性の職員は見かけない。

 

 タバサが潜入を進める中、端末を発見した。ここから何か情報を得られるかもしれないと、LDのライトニングケーブルを端末に差し込み、データを盗みだしていく。

 その送られてきたデータをカガミが受け取り、解析をミラに任せる。

 すると、カガミの予想していた通りの回答がそこに記録されていた。


 実験コロニー『ユリカゴ02』。

 本コロニーは居住者を募り過酷な地上生活からの脱却をうたい楽園のようなコロニー生活を約束する。

 集めた居住者を実験体とし、新人類開発に向けて薬品を投与すること。男と女は分ける事。

 女は数名で構わないが、できる限り若く健康な者を選出すること。

 男は多種多様取り入れて構わない。女1に男9の割合とする事。

 こちらは逆の設定条件の『ユリカゴ03』と共に連携し調査報告を提出する事。


 と、データに連絡指示のようなものが表示されていた。


「……ビンゴッスね」

「どういう実験施設なのかは、想像できるが……。これだけではユグドラシルにつながるヒントにはならない。もう少し調査する」


 学校の内部を探索し始めたタバサは、慎重にスニーキングミッションをクリアしていく。

 独りでは気が付けないものも、カガミとのリンク状態のおかげで死角をサポートできるのが、功を奏した。


 施設内部にて重要区画と思しきロックされたエリアまでたどり着いたタバサは、ロックを解除するため、ハッキングを実行する。

 カガミはその手慣れた技に、タバサがやはりただの女性社員ではないという事を思い知った。

 物の十数秒で解除に成功したタバサは、重要区画への侵入を行う。


 そこには想像通りの実験風景が広がっていた。


 十名の女性が全裸で拘束されており、脊髄に直接チューブを挿入されているようだった。チューブから液状の薬物を流し込まれているようであるが、それが何かは不明だった。

 予想できるのは、それが実験の薬物であり、彼女たちは実験体なのだという事だ。


「データを取る」

「直接は無理でしょう」

「スキャンで取るしかない」


 以前カガミがアリの巣になってしまったコロニーの炉心を調査した時同様に、スキャニングでデータを手にしていく手段を選んだが、あまり正確なデータが取れる方法ではない。しかもそれなりに時間がかかるため、この場で暫し、実験の風景を眺め続けていなくてはならない。

 直接ライトニングケーブルを端末に入れることが出来れば詳細な実験内容も確認できるだろうがこの実験室には、職員が複数いて、潜入を気取られずにデータを盗むことは難しいと思えた。


「見えるか」

「ああ、人間牧場って感じだな」


 どうやら、新人類を誕生させるための養殖所らしかった。

 薬物投与された女性それぞれに、数名の男がまぐわい精を注ぎ込んでいるようだ。母体を弄り、その子宮から生まれた赤子を検査し、実験しているのだろう。

 先ほどのデータから察するに、このユリカゴ02では十人の女性を母体として実験材料にし、男たちにあてがい孕ませる様子だ。

 逆の設定を組まれているという03は、おそらく男が数名に対し、女性が複数というコロニーなのだろう。そこでも実験材料にされた男が、複数名の女性に性行為をしているのでは想像できた。


「……人間を実験動物にするなど……」

 タバサが外道の行いに胸を騒めかせるが、カガミは冷静に状況を観察していた。何がユグドラシルにつながるのか分からない。


「隊長、データを回収したらすぐ撤退だ」

「……そうだな」

「03も確認する必要がある」

 出来るものなら、この実験施設を徹底的に破壊してしまいたいとタバサは考えていたが、ここで騒ぎ立てたところで問題の解決には至らない。

 ただ、ヴァコ・ダナという一大企業の闇をひとかけら潰しても無意味なのだから。


 残念ながら実験のモルモットにされる住人達を救うことなどできはせず、タバサはユリカゴ02からの脱出を行った。

 出迎えたカガミと共に、早々に移動を開始し、次なるコロニー『ユリカゴ03』へと向かうのだった――。

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