「レインボーブラックの件」


 久しぶりの更新になってしまった。忘れていたわけではないし、面白い話がなかったわけでもない。ただ単に、忙しかったのと執筆活動からちょっと離れて別のことを淡々と行っていた。

 なんだかんだで細々とこのエッセイも続いており、いくつかの記事は検索で順位がかなり上に来るのでやたらと読まれており、ちょっと怖い気持ちもある。が、そのまま変わらず感じたことを綴っていきたい。



***



 今回考えたいのは、「LGBTと慈善活動」に関してだ。

 LGBTというテーマで活動をするとき、なぜか人はボランティアベースで活動をすることが多い。この業界は、ボランティアで成り立っていると言っても過言ではないと最近ひしひしと感じる。

 いくつかボランティアを経験する中で、大きな疑問が生じたのでそれはなぜかを考えたい。


 そもそも、LGBTは自分たちを商業的な目線で見られることを嫌う傾向にある(かなり人によるが)。自分たちを一つのセグメントとして見られることを嫌い、ターゲッティングされることを嫌い、マーケット化されることを嫌う。

 私たちは、たとえば日本人というセグメントに分かれ、性別というセグメントに分かれ、年齢というセグメントに分かれ、趣味というセグメントに分かれ……、つまりはかなりのセグメントに属している。

 私たちは、生まれながらにして消費者だ。何かを消費しないと生きていけない。赤ん坊だったらミルクを、老人だったら薬を、というように。そこには必ずカネが伴う。つまり、私たちは消費者であることを生きている内はやめることができない。だから、セグメント分けされるのは当然であり、ターゲットとして狙いを定められるのはごくごく自然のことである。


 しかし、LGBTは自分たちを“搾取”しようとする人を好まない。

 それはなぜなのだろうか。


 原因の一つに、LGBTの慈善的側面があると思っている。彼らは自分たちのことを“弱い立場だ”と考えていること多い。もちろん、人によって差はある。LGBTの人たちの中には、自分のセクシュアリティを気にしていない人も沢山いるし、生活が便利になるし自分たちをマーケットとしてみなしてもらっても構わないと思っている人も沢山いる。

 しかし、声を大にして活動をしている人の多くが、自分の悲しい過去を語り、それをほかの人に経験させてはいけないと主張をしている。そして、それを受け取る側のマジョリティも、彼らはつらい経験をしてきたのだから、彼らそのものを「理解」し「手を差し伸べ」なければならないと思い込んでいる人が多い。

 声を大きくしている人の声が届きやすいのはいつの時代も同じだ。そして、マジョリティはまた「みんなつらい経験をしている」とバイアスをかけてしまっている。決して皆がみんなそうではないのに。近年、LGBTの中でも意見が割れているが、このイメージの差こそが原因だと思う。

 このことによって、活動している人自身もマジョリティも、LGBTは“弱い立場だ”と考えるようになる。その結果、LGBTとは“助けるべき人”という概念が出来上がり“困っている人”は“無償”で助けるべきという考えのもと、数々の活動がボランティアで賄われるようになった。つまりはLGBT活動=慈善活動という概念ができあがってしまったのである。

 “弱い立場”だから、その社会的躍進や認知にはカネは伴わないのが当たり前だ、という考えには、沢山の活動家やイベント運営者が困っている要素の一つだと思う。

 しかし、本来、サービスは対価が伴うものなのだ。


***


 一つのおとぎ話として聞いてほしい。

 とある団体のイベントの運営スタッフは、一人を除いてその団体には関係のない社会人ボランティアだった。その団体は、かなりの資金力を持っていた。ボランティアスタッフは、毎週末6時間のミーティングを行った。かなりの仕事量だった。イベントでは、数々の企業が参加した。利益も出た。しかし、ボランティアスタッフはあくまでもボランティアであり一銭も出なかった。ボランティアスタッフは疲弊した。

 LGBTコミュニティでのイベントは、大きなイベントにも関わらず、ボランティアベースで動いていることが多い。この状態を「レインボーブラック」と呼んでいる。

 慈善的な内容に近いからといって、労働力を対価なしで酷使するのはどうなのだろうかと疑問に思ってしまう。加えて、このイベントは就労に関するイベントだったこともあり、「先に働き方を考えた方がいいのはLGBTコミュニティのほうじゃ……」と感じてしまった。

 いや、あくまでもおとぎ話であり、現実の世界での話ではないのだが、いつまでたっても慈善的なやり方で物事を進めていっても、仕方ないのではないのかという疑問を投げかけたい。いつかはきっと法人としてやっていくことが必要だ。その活動を持続的可能なものにするためにも。


 LGBTがマーケットとしてみなされるということは、決して悪いことばかりではない。マーケットとしてみなされるからこそ、商品やサービスが充実する。例えば、同性カップルでも保険適用が成されたり、トランスジェンダー向けにサイズを広く取りそろえたりといったサービスや商品が登場した。それらは、マーケットとしてみなされなければ存在しなかっただろう。

 ただ批判をするだけでなく、もう一度立ち止まって考えてみるのはどうだろうか。

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