「同性愛と宗教」


 またまた久しぶりになってしまった。最近は色々と忙しい毎日を過ごしていたため、考えることは沢山あっても書くことができなかった。


 ごく最近、宗教と同性愛について考える機会があったのでなぜ考えることになったのか、その経緯を少し話したい。




 私はフランスに留学していたことがあり、SNSのアカウントで海外の人たちとコミュニケーションを取るためのアカウントがある。フォロワーの8割が日本人以外の人たちだ。

 そこで、台湾プライドに行ったとツイートをしたら、とある人が私にツイートしてきた。


「オープンマインドでいいね!」


 そしてそれにまた返信がついた。


「聖書を読んでいないからだよ。世界に影響されないで、あなたのエスプリを取り戻しなさい」


 キリスト教の人だった。

 しばらく無視しようかなーと思い返信はしないでいたのだが、他の人が返信していた中でどうしても気になってしまったことがあった。


「神は同性愛嫌悪ではない。いいことと悪いことを私たちにただ教えてくれるだけ。神を信じないならバイバイ」


 私は宗教に関してはその人の自由だと思っているし、考え方が多様なことは様々な場面で知っている。加えて、宗教を信じている人も最近ではLGBTに対する活動をしている人も増えているし、特に嫌だと思ったこともない。

 LGBT側に立つ人たちがいる一方、初めて自分に飛んできた宗教観からの嫌悪にどう対応すべきなのかと困惑した。しかし、私はやっぱり色々な考え方を大切にしていきたいと思ったので「多様性を理解すればもっと人生は色づくよ!」と返信したら「LGBTには人生も色もない」と返ってきた。

 正直もうこの時点で「この人には何を言っても伝わらないなあ」と思ったのだが、とりあえず様子を待つと今度は宗教が嫌いな人が登場し、何やらとやかく言い始めた。


 最終的にこの宗教の人は、「嫌悪を持ち悪いことをする人はいつも恐れと病気の中で生きるだろう。お前らには平和は訪れない」と言い放ち私をブロック。

 ……一度も宗教が悪いなんて言ってないし、嫌悪を出しているのはあなたでしょ。と思いつつ、なんだこれーと思いつつ。やるせない気持ちが心をどんよりと暗くさせた。



***


 こんな経緯があり、私は宗教からのホモフォビアと同性愛について考えることになった。

 神様を信じることは別にいいと思う。それは人の自由だ。けれど、自分が信じることを人に押し付けるのはまた違う話。彼らはなぜ人の考えに口出しできると思っているのだろう。なぜ人の考えを悪意のある言葉と共に捻じ曲げようとしてくるのだろう。

 同性愛が悪いという考えを持つ宗教はたくさん存在するし、未だにアジアを中心に刑罰の対象になってしまう国もあれば、死刑になってしまうこともある。

 ただ、人を好きと言っているだけなのに、なぜ刑罰になってしまうのだろうか。とても不思議である。

 

 そして、その後にこんな宗教なんて話を聞くな!惑わされるな!といった宗教反対派みたいな人がつらつらと長いメッセージを私に送ってきたのだが、それも違うと思うのだ。それは同性愛嫌悪と同じだと感じてしまう。

 否定はされても、否定はしたくない。それだと、私も彼らと同じになってしまうから。



 でも、宗教を信じている人たちにもいい人はたくさんいることを、身を持って知っている。様々な面から、多様性を尊重できる世界であってほしい。



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