落款

 竹ぼうきで階段の落ち葉を払う。

 気を抜くとうっかりすべての落ち葉を片付けてしまうので、春の麗らかさに目を細めながら時折はっと意識を取り戻す。

 わびさびというものがある。自然のなかにあるものをよし、と感じる感性。

 ゆえに人の手によって完全に整えられた道よりも、落ち葉が残った道の方が風流である。それが上司の言だった。


「カルラ殿、お疲れではないですか?」


 狼面の男がそう声をかけてくる。

 いや、まだまだ――そう返そうとしたとき、カルラの鋭い聴覚をつんざく子どもの泣き声が耳に入った。


「すまん、残りやっといてくれ」


 竹ぼうきを放り投げ、黒い翼を広げて声のした方向へ文字通り飛んでいく。

 声は山のふもと、町へつながる橋からであった。

 空中で停止して見渡せば、橋のかかった川の前で二人の子どもが互いを叩き合っている。


「何をしてるんだ、莫迦者!」


 叱りつけたとたん、男児は手を止める。一方、女児の方はふんと腕を組んで開き直った様子だった。

 幼いながら整った顔立ちで、特に女児は花のつぼみもかくやという愛らしさだ。

 その美貌も不機嫌な表情で台無しになってしまっている。


「また喧嘩か」

「だって、あねうえが本ばっかり読んで遊んでくれない」


 腕が複数ある男児が女児を指さして非難する。

 遊び盛りの年頃だ。気持ちはわからないでもない。

 先に名を与えられたことから姉とされる女児に問う。


「どうして遊んでやらないんだ」

「絵本を読むのに忙しい」


 生まれてからもう五年、しかしまだ五年。それで読み書きができるというのはなかなかのことなのだろう。

 この双子の姉はいわゆる本の虫だ。

 伽藍におさめられた本も簡単なものは読みつくそうとしている。その記憶力は並みのものではなく、多少難しい語は既に理解し始めていた。

 やたらそれをほめるものもいるが、だからといって弟を粗雑に扱うのは頂けない。

 額に手を当ててカルラはうなる。


「思いっきり遊べるのは今のうちだぞ。遊びたいっていってくれるうちに遊んだらどうだ」


 可愛らしい言い方ができない自分がつらい。

 だが女児にとっては説得力のある言葉だったらしく、尖らせた唇をもとに戻してじっと見上げてきた。


「今だけなの? でも外にでなくたって、本には遊ぶこどものお話も季節のお話も載ってるよ」

「だが、本で見る桜とここで見る桜はまったく同じか?」


 川のそばに植えられた七分咲きの桜を指す。

 柔らかで瑞々しい色合いを見て、しばらく女児は黙り込む。

 そして抱えた巻物を広げ、しげしげと桜と見比べた。

 彼女の父親が描いた巻物だ。


「うーん、違うかも。どっちもいいけれど、うん、違うや」


 ひとまず納得したようで胸をなでおろす。

 少し言葉遣いに品がないのは、自分のせいだろうか。もしそうなら顔向けできない。

 子どもの面倒を見ているとカルラもまた日々勉強させられる。


「ならよかった。しかし、手前は本当に絵本が好きだな」

「好きだよー。見てて楽しいし、わかりやすいから。いつかおそとの本も読む。楽しいって意味じゃ桜も好き。多分別の楽しいだけれど」

「おそとの本?」


 おそらく外来本のことだろう。物好きな伽藍の主が気まぐれに買い求めた希少本だという。しかし誰も読めない文字で書かれた本だ。

 それすら楽しいのだろうかと思うと、女児は首を横に振った。


「わかりやすいんだって。だって、絵にやじるしで名前書いてあるじゃん。だからいっぱいよめば、わかるぶぶんからほかのぶぶんもわからないかなーて。わっかんないかなー?」

「あねうえ、なにいってる? あたまうった?」

「ものぐるいあつかいしないでくれる?」


 再び互いに挑発を繰り返し出す双子に嘆息する。

 だがなるほど。女児がいうことにはほんの少しだが未来があった。

 無謀なことでもそれを目指そうという心意気には感心してしまう。


「やるったらやるからな!」

「なんでそんなことするのさ!」

「にしからくるひとを助けられるくらいあたまよくなって、よのなかをもっと楽しくするの!」

「いまだってあたまいいよ、遊んでくれたっていいじゃない! あねうえのばぁか! ばあか!」

「うるせー!」

「まあまあ。ベンレイはなにかやりたいこととかあるのか」


 自分と違って弁舌爽やかによく話せるように、礼儀正しくあれるようにと名付けられた男児は、とたん恥ずかしそうに頷く。

 どうにもよく褒められる姉への嫉妬に見えたから突いてみれば、案の定だ。


「えっと、ぼくたちのへや、掛け軸あるでしょ」


 そういいながらもぞもぞと懐を探る。目当てのものを見つけるとぱあっと顔を輝かす。

 取り出したのは真新しい筆だ。そういえば、絵を描くのが好きなようだから狼面が買い与えていた気がする。


「あの、おんなのひとのせなかがね、とってもきれいだから」

「いれずみな」

「そう、あねうえのいういれずみがすごくて、だからいれずみしになりたいなって」


 刺青師。幼い子どもにしてはなかなか強烈な趣だ。

 他が聞けば渋面をつくるかもしれない。

 だがカルラの口元には自然と笑みが浮かんでいた。


「そうか、刺青師になるか」

「うん。生きてて、やわらかくて、とってもきれい。絵もいっぱいかく」

「あたしのこと、きれいにかけよ?」

「あねうえもかくのか。ひらたいいたをかけというのか」

「おう、ごきげんじゃないの。よほどけんかをうりたいらしい」


 年齢に見合わずよくまわる口二つに目がまわる。

 すぐにはじまる喧嘩の種を、力づくでごしごし頭を撫でることで黙らせた。


「いたいー!」

「くすぐったいー」


 二人はカルラを責めながらきゃあきゃあと歓声をあげて笑う。

 時たま顔を見合わせ、何がおかしいのかそのたびくすくすと破顔した。

 カルラに撫でられて首でも痛くなってきたか、突如その手を潜り抜けて町に向かって走り出す。


「カルラー、こっちこっち!」


 そう手招きしながら、空いた手はしっかりと繋がれている。

 ある絵描きの手が残したものが、そこにはあった。

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