第7話 冬の北山

 伽藍とは僧侶が集まり修行する清浄な場所である。

 彼らは暮らしのなかにさえ修行を求める。つまり用意された道のりはあえて険しくつらい。


「何故このように一段が高く、次の一段が遠いのか」

「簡単に通れないようにだろう。色々変わった場所らしいし」


 中腹まで登り、足を止めて遥か下方になった町並みを見下ろす。

 小さな家々の瓦が小豆の豆のようであった。雪が厚くつもって大福のようでもある。


「ふう、流石に疲れたなあ」

「大丈夫か」


 人であるタキイチはともかく、物の怪のはずのシセイまで額に汗を浮かべている。

 階段が幾段も重なり傾きも大きいのは事実だが、近頃のシセイは少し体調が悪い。

 そんな彼女に無理はさせたくない。しかし首を振られてしまう。

 追いつかれてこそいないが、追っ手が来ていた。

 親切な町人が教えてくれたのだ。

 早く伽藍に逃げ込みたいと思うのも当たり前だった。


「伽藍にさえつけば何もかも解決するのだ。お前さまは絵が描ける、あてはお前さまと生きられる」


 じっとりとした嫌な汗をぬぐい、無理に微笑む。

 お互いの本心を確かめ合ったあの町を出た頃から、シセイも北の伽藍を目指すことに積極的になっている。

 熱に浮かされた夜が明けるとふと疑問が浮かび上がった。


――どうして天狗が派手に川を下っても誰も異を唱えないのか。


 それが自分たちに光明をもたらしたのだ。

 東――正確にいえば西以外の土地では、物の怪と人は共生しているのだという。

 知ったのはシセイが腰を痛め、一日寝込んでいた日の昼のことである。

 一人の町人がこっそり訪ねてきた。

 天狗の計らいにより遣わされた協力者だった。

 北の伽藍とは元々物の怪の血筋のものによって管理されてきた宗教施設であった。

 同時に近日は西から逃げてきた物の怪たちの駆け込み先でもある。

 あの町はそうしたものを見つけると天狗に報告する。

 天狗は、相手が招いてよいものか素質を確かめる裁定者なのだという。二人はお眼鏡にかなったわけだ。

 階段は横にはそう広くなく、何人も登ることはできない。なにより目立つ。

 二人で来るしかなかった。そして、ここを抜ければ穏やかな未来が待っている。


「焦るのはわかる。だが無理をしても動きは鈍りつらいだけだ。休め」

「しかし」

「それに少しこの景色を見てみたい。そこに座ってくれ」


 もう自分のためにしてしまった方が早い。半ば本音もあった。

 渋々「それならば」とシセイは階段に腰を下ろす。

 強がっていたが、表情に隠しきれない疲労が覗く。

 階段は左右を森に囲まれ、まっすぐに階段が続いている。

 しかしそれは偽装だ。この中腹を突破できれば、迷路のような隠し通路が待っている。

 行き方は町人が教えてくれた。幸い絵を描く一環でタキイチは記憶力に自信がある。

 入口はすぐ目の前のように思われた。


「こちらの雪は深いな、それに白い」


 やや離れて山の森を背景にしたシセイを見つめる。

 行儀よく膝に手をおいておみ足を斜めに腰かける姿は、貴族の令嬢にも劣らない。

 階段は綺麗に除雪されている。

 だからか積もって純白を保つ雪がますますまぶしい。勢いのない陽光を浴びて無垢にきらきら輝いている。

 じっとしていれば雪焼けしてしまいそうだ。

 自分はいいがシセイにそれを強いるのは気がひける。

 早く記憶に焼き付けようと目をこらした時だ。

 緑色の葉に隠れて、不自然な位置が銀色に輝いた気がした。


「シセイ!」


 身体がこわばり、焦りが叫びになって山の静寂を裂く。

 きょとんとシセイは首を傾げた。その首元をすり抜け、黒髪を舞い上げながら銀の線が走る。

 実体を持たぬ硬質の銀糸が、真っ直ぐにタキイチの肩に貫く。


「お前さま!?」


 シセイはとっさに振り向く。木陰から飛び出し音を立てて走り去る人影が目に入る。

 反射的に足が動きそうになるのをこらえた。

 タキイチに近づき、上着をはだけさせて傷を見る。

 不幸中の幸い、矢はかすっただけらしく傷口はそう深くない。ほんの少し肉が削げた程度だ。


「これぐらいなんともねえ」


 襟を引っ張って上着を着直し、うめいて立ち上がろうとするタキイチにシセイは肩をかす。

 今日は髪を結いあげてうなじをさらしている。それが間近に目に入り、「いいながめだな」と茶化した。

 気持ちを和らげるつもりだったのだが、逆に顔をしかめられてしまう。


「本当、お前さんが気に病むことはねえよ」


 絵師とはいえ男、それなりにたくましいからだは、ただの矢であれば命に別状はないはず。

 だが足が上手く伸びない。立とうとするとふらふらしてしまう。

 シセイははっとして後方に落ちた矢を拾う。そしてらしくなく舌打ちした。


「矢に毒が塗られている。しかも、これは」

「毒?」


 病は気から。聞いた途端、膝からちからが抜けて倒れ込む。

 脂汗がにじみ、心臓がおかしな動き方をしていた。

 規則正しい仕組みが壊れていく感覚。悪意と終わりが血に這入りこむ悪寒。

 死の気配だ。


「タキイチ! 大丈夫、大丈夫だ」


 動揺して声が震えている。

 シセイは真っ白になりそうな自分を叱咤して、胸元に手を差し入れた。

 一度は整えた上着を奪って、胸板に手を這わす。

 そして狙いをつけると口づけする。

 驚いていると焼けるような痛みが走った。


「いてぇ!」

「あての毒だ。血の巡りのいいところに流し込んだ。この毒の性質たちはあての毒とは真逆ゆえ、これで中和できるはず」

「そうか……ありがとよ」

「礼をいうのはまだ早い。毒は毒、身体が弱ることに違いはない。あてだって毒を使い慣れているわけでもなし、いつ壊れるか。早くなんとかせねば。それに」


 わざわざこの毒を選んだということは――そこまで続けて口をつぐむ。

 シセイは誤魔化して「伽藍にいけば手立てがあるかもしれん」とタキイチを引っ張り出す。

 だがそこまで聞けば理解できてしまった。

 シセイに効きにくい毒を使った。あれだけ巧妙に気配を隠すものが打ち間違えるとも思えない。

 恐らく矢の主は西よりの追っ手。狙いはタキイチ。


「いけすかねえやり口だ」


 かつては住んでいた土地を思い出す。詰まった思い出と出てからの印象の差に肌が泡立つ。


「あても西で長らく暮らしていた身。すべてが悪とはいわんが、恐ろしいものよ」


 軽い口調で吐き捨て、ぐんぐん階段をかけあがっていく。


――なんだ、余裕じゃないか。


 そういえば彼女はタキイチよりずっと力持ちなのだった。



 目的地と思われる門が目に入り、シセイが歓声をあげる。


「タキイチ! 門だ、門が見える。おおなんと立派なものよ、荘厳とはまさにこのこと。こんなところにあるのだ、伽藍に違いない!」


 喜びからか目の前のものがやたらに素晴らしいものに見えているようだ。

 だが呼吸も苦しくうつむいていた顔をあげると、木目をそのままにし、自然と調和しながら堂々とたたずむ門が目に入る。

 造りはシンプルだが、だからこそ大木のような威風があった。

 腕のいい職人が作ったのだろう。時を経て焼けた色がまたどれほど頑丈に精緻に作られたかを示している。


――ようやく、ここまで。


 全身をむしばむものも忘れ、こみあげるものを呑み込む。

 二人が門の前にたったところで、突然空からさす光が奪われる。


「よくぞここまでこられた。しかし色惚けに八方美人、なにゆえそのように支えあっている?」


 重い翼の音を響かせて、門の屋根に天狗が足をおろす。

 以前は見えなかった翼は鈍い黒色で、周囲の明かりを吸い取るようだ。

 彼女の姿をみとめ、シセイの声がまた一段と明るくなった。


「天狗殿! ああ、よかった、すぐに会えなかったらどうしようかと」

「落ち着け。なんのことだかわからぬ」


 天狗がこちらに視線を向けたのがわかった。

 ちりりと肌が焼ける感覚がする。

 彼女はしばらくタキイチを観察して、やがて深い嘆息をもらす。


「……シセイ殿。手前はタキイチ殿と添い遂げることはできない」

「何を突然! 今更だろう、そんなことより目の前に弱っているものがいるのに」

「違う、違うのだ。人と物の怪などということをいうわけではない、ここはまさにそのためにあるのだから。だが――生者と死者となれば話は別」


 天狗はタキイチの胸をさす。

 今は落ち着きを取り戻した心臓を。しかしその鼓動は矢を打たれる前より弱っていた。


「手前には命の灯がみえる。恐らくシセイ殿の前でゆっくり死に至らしめたかったのだろう。数日のうちに死神がろうそくの火を吹き消す」

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