第9話 春草とともに命もえ

 タキイチは縁側に腰をかけ、のんびりと茶をすする。

 かなり熱いはずなのだが、からだの内が既に焼けているからかそこまでつらくない。

 縁側からは、ほどほどに落ち葉を残すように掃除された庭をのんびり見渡すことができる。

 四季折々の植物が植え、豊かな濃緑を茂らせる庭園は見ていて心が落ち着く。


「タキイチ殿、茶菓子を持って参った。桜餅だ」


 目覚め以降、火傷の痛みを除けば恐ろしいほど穏やかな日々を送っている。

 こうして悠久の時の流れを味わえるとは、数か月前には予想もしていなかった。

 振り返れば、黒い女天狗の姿が目に入る。


「ああ、ありがとうございます。しかし桜餅となりますと」

「先日西にいく機会があってな。手前が運んだものだ、鮮度は悪くないぞ」


 西は文化の中心地だ。菓子も数多くの文化に漏れない。

 心配で天狗:カルラの顔をみやるが、彼女の表情はひょうひょうとして本音がみとれなかった。

 これからまた出かけるのか、天狗:カルラは山伏の服装をかっちり着込んでいる。


「ところで調子はどうだ」

「起きた時に冬が終わっていた時は焦ったが、今は落ち着いている」

「それはよかった」


 シセイから譲り受けた命の火。どんなの許しあっていても異なる存在のちからはそう簡単に相容れるものではなかった。

 思考できる程度になじんだのは雪が解け、青草の匂いが漂い始めた頃であった。

 タキイチはシセイを描こうと決めた時、既にその題材を決めていた。


 雪月花、鳥と蜘蛛である。

 雪を直接この目で見る機会は、死が訪れる次の冬まで持ち越されてしまった。

 最初はそれに恐慌に近い混乱をきたしたが、今は逆に幸運に恵まれたと思っている。


「雪月花の時はそれぞれの景物の美しいとき、すなわち四季折々を指す語。季節折々に想うこと――実物があるのは確かに心強いですが、描く前に味わい直す機会を得られたことはとても幸運だったと思います」

「そうか。いや、よかった。くれぐれも御身を大切に。くりやでシセイ殿が七草粥をつくっておられる、少ししたら昼餉になされよ」

「そうします。この時間、無駄にはしません」


 生にしがみつき死に抱かれるような瞬間を描く。

 その望みは変わらない。今もタキイチのなかには生と死が隣り合って渦巻いている。

 これは一生の絵だ。

 タキイチという絵師の魂そのものとなる絵。

 恐らく一枚が限界だ。描き上げてから納得いかないなどという事態は絵の未完を意味する。

 題材は決まっている。だが、どう描く? 

 少なくとも焦っている今では描けないことははっきりしていた。


「そうだ、手前はこれより少々届け物に向かう。今日一日は伽藍からの外出を控えて頂く」

「なん……はい」


 思ったことがすぐ口に出そうになるのは悪い癖だ。

 タキイチは絵にだけ集中していればいい。

 カルラは安心したようにこっくり首を縦に振る。

 そして何かに気づいたように伽藍前の階段を見やって目を細めた。



――ヒユウ殿は物の怪に魅入られておられる。


 部下がそうこぼしているのを何度か耳にした。

 誇り高き西の者が嘆かわしい。

 後ろを振り返れば二人の男が暗い面持ちで着いてきていた。


「土蜘蛛をひっとらえよとの命を反故にする気か」

「しかし、」


 階段を登りながら汗を流す若い男が渋面でヒユウを睨む。

 いいたいことがあるならはっきりいえばよいものを、身分の差を理由に口をつぐむ。

 おろかしいことこのうえなかった。


「土蜘蛛の織る布は貴重品だ。いい商品になる」


 西は他のどの土地よりも優れた文化を育んできた。

 しかし文化とはひとのわざ。文化の隆盛は人の隆盛、そして神秘の存在たる物の怪の衰退を意味する。

 武力においては余所に比べると不安があるのは、遺憾ながら事実であった。

 文化と経済では最優でなければならない。

 そして西が人の土地である限り、物の怪は脅威であり侮蔑の対象でいてもらう必要がある。


「ヒユウ殿」


 シセイという土蜘蛛はとても美しい女の姿に化けられるという。

 本性を知らぬ男を使えば、繁殖させて多少は量産できるかもしれない。

 商業と慰安を兼ねられて一石二鳥だ。

 改めて己の役目を言い聞かせると、昔からヒユウの面倒を見て来た老人が叱責した。


「たかが一匹。しかも二度に渡って任務は失敗し、既に伽藍に逃げ込んでおります。おかみもさして彼の者を重視しておりません」


――あくまで土蜘蛛を追い、あえて苦しめる方法をとったのはヒユウの個人的な感情である。


「何が言いたい。たかが物の怪だ」

「ヒユウ殿」


 なお言葉を連ねようとする老人の言葉を、先程口をつぐんだ男が遮る。


「あの、やはり帰った方がよろしいのでは? 協力も望めませんし、もう中腹を越えたはずなのにいくら進んでも、その、前にいっていない気が……」


 怯えて視線を右往左往させる男に舌打ちしてしまう。

 突如黒い影が地を走ったのは、その時だった。



「この世に善悪なし。人にとっての善あらば、生にとっての悪がある。所詮すべては自我のなすこと。何が善悪か定めるとは。神にでもなったつもりか、愚か者め」


 春のうららかな日差しに低い女の声が響く。

 見上げれば黒い翼を持ったひとりの山伏が三人を見下ろしていた。


「天狗か」


 嫌悪がにじむヒユウの問いを無視し、天狗は空にたつ。


「下賤の東夷が我らの頭上を覆うとは、無礼者!」

「その威勢は評価しよう。あまりに無駄な装飾が多過ぎるが。哀れだな」

――


 怒りより先に浮き上がった感情は図星をつかれた恐怖だ。

 そんなはずはない。土蜘蛛といい天狗といい、このような感情は物の怪の妖術に決まっている。


「私にはやらねばならぬことがある。あの女を手に入れ、我らにますますの繁栄を!」

「……手前らには手前らの正義があるのだろう。しかし命には命をもって、覚悟には覚悟をもって、悪辣には悪逆を以って相対あいたいする所存」


 天狗は錫杖をしゃんとふるう。

 途端、真夏のような熱気が一帯に満ちた。


「燃え尽きた三分の二。無為にはせん、無為にはせんぞ。お二方の悲願を妨げる雑音にはお帰り願う。安心しろ、殺しはしない」

「矢をつがえよ!」

「このカルラ、御剣とまかり成る!」



「お前さま、粥を持ってきたぞ」

「至れり尽くせりだな」

「ふふ、本当に」


 微笑んで膝を折るシセイは膳を両手で持ち、上品に笑む。

 腹は初めて会った時よりやや膨れて見えた。

 最初は実感はわかなかったが、最近は目にする度に不思議と暖かな気持ちが全身を満たす。


「ふふ、昔と比べると随分優しい目をするようになった」

「昔って」

「あてにとっては十年にも等しい時よ。さ、せっかく作ったのだ。食べておくれ。少し火加減が強すぎたかもしれないのが心配だが――」


 そういった時、伽藍の階段のあたりから一本の火柱があがった。

 のんびり庭を眺めているところにこの世ならざる火を見て、思わずあんぐり口を開ける。


「……まさかあれか?」

「いや、厨の火は消した……消したはずだよな?」


 そう聞かれても困ってしまう。

 考えても仕方がないので、タキイチはまず粥に手を付けることにする。

 少し苦いが、美味かった。

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