第15話 錬金獣シュノー

 わらわが目覚めたのは、透明な器具の中に満たされた液体の中だった。

 その器具の外には、歪んで見える寝癖まみれの白髪のマヌケな男。頬杖をついてずり落ちた眼鏡に居眠りしたアホな顔が、妾の最初の記憶となった。


「ええ~、なんてものをはじめに見ちゃったんじゃ……妾ったら」


 その声が聞こえたのか、そのマヌケ男は目を覚ます。目の色が片目ずつ違っているのにびっくりした。赤と青の色だなんて正直、気持ち悪い。

 そんな妾の気持ちを知ってか知らずか、そのマヌケ男は妾を見てにっこり笑った。うん、キモいな。


「完成した~! ティファニーさぁん」


 目覚めたばかりのろれつの回らない口調で、マヌケ男は誰かを呼びにいったようだった。これから妾になにが起こるんだろう。

 妾も目覚めたばっかりなので、そのままおとなしく待つことにした。


「出来たのね。いいわ。触ってみなきゃ分からないけど、きっとこの仔はふわふわよね。楽しみだわ」


 キラキラした紫の目で妾をみる……あれ? 大好きなティファニー様?

 妾の胸の奥できゅーんと甘えたくなる気持ちが芽生える。ティファニー様に抱きついてゴロゴロしたいっ。

 そんな気持ちにちょっとだけ悶えていたら、そのあとから緑色した男の人が出てきた……あれ? ひょっとして?


「ティファニーさんのある程度の知識とスフェーンさんの戦闘能力をある程度加えてある猫が完成しました。希望通りの真っ白な猫ですよ」


 ほ――妾は猫だったのか。

 まあそんなことはどうでもいい。とにかくここを出て、ティファニー様の胸に抱きついてゴロゴロ甘えるのだ。早くっ。


 待ちきれなくて妾はゆらゆらと液体をかき分け、透明な壁をバンバンと叩く。

 それに気づいたのか、マヌケ男はゆっくりと液体を抜き、器具のフタを開けて挨拶をするが、妾はダッシュしてティファニー様の胸に駆け寄る。


「はじめまして。えーと……」


「名前ね。もう決めてあるわ。シュノーよ」


 ふわっと妾を抱き上げて、ティファニー様は丁寧に撫でてくれた。

 そこは暖かくてむにゅむにゅと気持ちよくて、さっきいた器具の中よりも安心できる、夢の世界のようだった。



 *



「猫タイプのホムンクルスを作るのは初めてで楽しかったです。属性付加という新しい概念とか、記憶まである程度移植すること、それに食餌についてまで細かく練って作成するというのは重要な部分だったのですね。今まではフラスコの中でしか生きられないモノばかりでしたから。ものすごくはかどりましたよ」


 そのあとも長々とマヌケ男が話している。あぁ、マヌケ男はヘミモルっていうちょっと情けない名前のいけ好かない錬金術師だったなぁ。そもそもティファニー様と意気投合して研究開始するなんて気に入らないな。


 と、そんなことを考えながら妾がヘミモルを睨んでいたとき、隣でスフェーンも同じ顔をしてヘミモルを睨んでいた。

 そっか、この感情はスフェーンが持っているものと同じものなんだ。



「あんたはもうすこし色々なものに興味を持って、それがどういうものなのか見るということが少ないようね。研究所にこもりきりでは仕方がないとは思うけど」


 ティファニー様は妾を膝の上に乗せてゆっくり撫でながらヘミモルに話しかけていた。会話するのすら妬けるけど、妾はティファニー様の一番近くだからいいや。


 そのとき、扉をコンコンと叩く音がした。


「僕が出てきますね」


 颯爽とスフェーンが扉の前へ行って開ける。と同時に一人の男が押し入ってきた。


「ああああの、ここにおかしな錬金術師の先輩が来ていませんかああ?」


 ……ものすごく動揺しているヘミモルによく似た白衣を着た、これまたモッサイ男がズカズカと部屋に入ってきた。


「あ、ボージー。元気だったかい?」


 やっぱりマヌケな返事をするヘミモル。そのヘミモルを見て、ボージーと呼ばれたモッサイ男はダーッと涙を流す。


「よ、よかったああ。僕てっきり先輩が行方不明になってモンスターの餌にでもなっちゃったかと心配してたんですよおお。だって先輩ってどうみてもドジを踏みますからああ。研究ではまともなのに先輩は普通の生活は駄目駄目なんですよおお」


 なるほど。

 妾を作ってくれたのはヘミモルなのか。でももしヘミモルの性格が混じっていたなら、妾もドジっ子になってしまうのだな。

 少し不安になって尻尾をパタパタと無意識に動かしてしまう。


「妾って大丈夫かなぁ……ドジじゃないよね」


「ん、シュノーは大丈夫よ。って喋れるの?」


 驚いた顔をしてティファニー様が妾に問いかける。


「うん。喋れるけどそれが……」


 かわいいっ! とティファニー様さまはほっぺを妾にすり寄せてくる。なんかものすごく気持ちいい。そんな妾とティファニー様をジトッとした目で見ているのはスフェーンだった。


「あの、僕にもシュノーを触らせていただけますか?」


 なんていうことなのじゃ!

 そのあとティファニー様とスフェーンに交互に抱かれた妾はモテモテであった。



 *



「ということで、ヘミモル先輩は研究所につれて帰りたいと思います」


 ボージーが一方的に宣言するものの、ヘミモルは帰りたくないという顔をしていた。そりゃティファニー様のそばは魔力がぽかぽかしていて気持ちがいいもん。


「あのさボージー、そこの猫なんだけど、ボクが作った動物型のホムンクルスなんだよ。見ての通り――フラスコから出て自分で呼吸し、生きているんだ」


 得意げな顔をして、ティファニー様に抱っこをしていた妾を指差すヘミモル。そしてモッサイ顔をしたボージーも妾に注目する。目を大きく見開いてもやっぱりモッサイけれど。


「すすすごいですよ! これ! 持って帰って研究素材にしましょう!!」


「駄目よ」

「いやなのじゃ」

「無理です。まだ僕スリスリしていないですから」


 ヘミモルも妾をここに置いておくというのは約束だったらしく、ボージーの言葉を否定していた。ふふん。


「とまあ、諦めるのじゃ。ボージーとやら。それとそこのマヌケ……ヘミモルはどうやら研究所には戻らないらしいのじゃ」


 妾がボージーにとどめを差す。

 猫が喋ったああ、とかなにやらモッサイ癖にうるさいな、コイツは。


「あのさボージー。研究所にいてはボクたちは駄目になる。これからはいろいろな世界を見て見聞を広げ、それを研究に活かすようにしなければいけないんだよ」


「そ、そうだったのですね! 先輩の教えはすごくためになります」


 目を輝かせてボージーはヘミモルを見る。あ、茶色の髪は巻き毛じゃなくてただの寝癖だった。薄汚れた白衣も、丸い眼鏡もモッサイ度を高めているのじゃ。



「お待たせしました! レストラン、ホースチェスナットの出前でーす!」


 ガチャと扉が開いてメイドが顔を出す。その手にはお盆の上に銀のフタクロッシュをかぶさっていて、そこからとてもいい香りが漂っていた。


「あ、ちょうどいいところに来たわね、ヘリオトロープ。でも……」


 まずは食事にしましょう、とティファニー様が言った。

 クロッシュを外すとそこには美味しそうな角切りステーキとパン、サラダが乗っていた。


「ティファニーさんに言われたように飴色になるまで炒めた玉ねぎのソースをつけてあります。だけど三人前しか持ってきていません」


「ああ、いいのよ。あっちの白衣は簡易麺にするから。それでヘリオトロープも食べていって頂戴。そのあと頼み事があるから」


 美味しい香りにも負けずに、白衣組は妾のいた器具の周りで色々話している。

 妾はスフェーンからお肉の角切りソースなしをちょっとだけ貰って食べた。牛って美味しいんだな。


「スフェーン。なんでシュノーにはソースをつけてあげないのよ」


 ティファニー様がスフェーンに問いかけると、思いっきり首をブンブン振ってスフェーンは答えた。


「駄目ですっ! 猫に玉ねぎとかぶどうは猛毒ですからね! ティファニー様も猫を飼うのならしっかり知識を得てください」


 そのあと猫に必要なのはボールと猫じゃらしなんです、とかなんとか言っていたが、妾はそんな低級なおもちゃでは遊ばないのじゃ。

 むふんと鼻息を鳴らしつつ牛の角切りを妾は完食した。


「おお、いい子でしゅねぇ」


 スフェーンに抱き上げられ、妾は不服ながら膝の上でくつろぐことにした。少し筋肉が硬めでティファニー様の寝心地には敵わないけど、ティファニー様はメイドと忙しくしているからな。

 お腹が満杯になったのか、妾は眠くなったのでそのままスフェーンの膝の上で寝た。なにやらゾクゾクっとした感触があったけど、気にしたらきっと負けだ。



 *



「早めに届いたのね」


「ええ、仕立て屋さんに在庫があったので」


 がさがさと袋の音がして、妾は目が覚めてしまった。

 見上げるとスフェーンがとろけそうな顔をして妾を見ている。うっ、スフェーンの愛情は重いのじゃ。

 ヤバい気がして妾はトンっと床に降りる。ああっ、とか悲痛な声が聞こえたけどあえて無視することにした。


 そしてティファニー様のほうを見ると、なにやら立派な旅装束が二つ揃えてあった。


「白衣はしばらく脱いでこれに着替えなさい。で、話はまとまったのかしら?」


 ヘミモルにティファニー様は話しかける。

 寝ている間に簡易麺を食べつつ、ヘミモルとボージーはこれからのことを相談していたらしく、二人でいろいろな世界を見て回る旅をすることに決めたようだった。


「じゃああたしにシュノーをくれたお礼に、これをあげるわ」


「大変でしたのよ。仕立て屋さんであれこれ説明してちょうどいいものを出してもらうのに苦労しました」


 メイドが錬金術師二人分の洋服を仕立て屋さんから持ってきて、そこにティファニー様がいろいろな魔術効果をつけたらしい。

その特別な旅装束は、ヘミモルもボージーにも似合っていた。なぜならマヌケでモッサイ一般人みたいに見えたから。


 ちらりとスフェーンを見ると、


「まあこれから旅に出るのなら、いいんじゃないですかね。それまでに僕はもっとティファニー様と意気投合できるようにがんばりますし」


 とあさっての方向の努力をしようとしていた。まあいいか。放っとこう。



「じゃ、魔術については基本的な部分をまとめたものがあるから、それを持っていきなさいな。なにか困ったことがあったらすぐに連絡をして頂戴。あたしにはまだまだあんたたちに作って欲しい錬金獣がいるから、無事でいてほしいのよ。錬金術師の知り合いっていないからもったいないし」


「ありがとうございます。またここに戻ってきて研究しても、良いですか?」


 モッサイ感が少しなくなった二人は心なしかしっかりした気がする。これも魔術装備の効果なのかな。


「ええ、もちろん」


「むう、それまでに僕が……」


 ブツブツ言っていたスフェーンだけど、どうやら妾の毛の魅力に囚われた様子で、あまり反対意見を出さなくなっていた。



 *



「さあて、片付けでもしましょうか」


「ん、お願い。ヘリオトロープもありがとう」


「いえいえ、たまに猫ちゃんに会いにきますね」


 たぶんこれからずっと一緒にいるティファニー様お母様スフェーンお父様。妾はここに生まれて、よかったのじゃ。





☆今回のアイテム『ティファニーの旅装束』

チュニック(上着のシャツのようなもの)、ベスト、ショース(ぴったりとしたズボン)、マントに革靴というオーソドックスな旅装束にティファニーが魔術をかけ、あまり疲れないような効果と、矢で射られても跳ね返すぐらいの効果を付与している。ちなみに革靴はスフェーンの履き古したものでちょっと臭う。なにげにスフェーンは自身のあまり使っていなかった短剣をヘミモルたちに護身用として渡していた。


☆番外 錬金獣シュノー

シュノーは真っ白で少し毛の長めの雌猫。ティファニーの髪の毛とスフェーンの血を少しだけもらったホムンクルス。魔力はティファニーほどの量はないけど、それなりな魔法を使えて喋れる猫。スフェーンからは身を躱す能力と少しだけ心が読める能力を授かっている。




「……って前言撤回なのじゃ、助けて! ここには生まれとうなかったのじゃああ」


 ぎゅっと妾はティファニー様の抱きまくらにされている。

 話し合いで妾はティファニー様とスフェーンとで交互に寝るのじゃが、どうにもティファニー様が抱きついてくると痛気持ちいいから眠れんのじゃあああ。


 ああ、スフェーンのところで寝たい。

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