第10話 転移者マコト

 少なくとも俺はこの世界の人間ではない。


 最後に覚えているのは、プログラムコードを追いかけあっという間に終電を逃し、くたびれて会社の自分の机に突っ伏したこと。そりゃあもう三日連続徹夜じゃ意識もなくなるわな。それに無呼吸症候群で慢性的に寝不足だったし。


 そして気づいたときには、ちょっと良いなと思っていたコンビニの店員の女よりも数倍いい女が目の前にいた。ギリシャ神話に出てくる女神の格好をしたボン・キュッ・ボンな女で、俺を見て頬を紅く染めていた。


「こりゃあ夢だな」


 俺はひとりごちる。

 だって、周りは暖かいクリーム色の世界なんだぜ? 俺の手の甲もシミと脂肪に包まれたおっさんの手じゃなくて、若かった頃の骨の浮いた手の甲になってる。お腹を見ると、ウエスト九十センチを超えていた俺の腹はスッキリしていて、身体を動かしたりジャンプしてみても軽々飛べるし、慢性的な膝の痛みだって、ない。

 四十歳を超えた俺の身体はどうやら若返っているようだった。


「夢とは言えやたらリアルだな。それで、あんたは服でも脱いでご奉仕してくれるのかよ?」


 夢ならなんでもアリだよな。ちょうど目の前の女は俺に惚れているような顔をしているし、若返った身体でこんないい女をいたぶるのだっていいだろう。とは言え余裕の童貞だけど。


『それより重要なことをお伝えしなければいけません。貴方は先ほど心筋梗塞で死んだのですよ。向原むかいはら まことさん』


「え? は? どういうことだ?」


『心当たりはあるでしょう。過労に元々の病持ち。無理をすればあっという間に死ぬと言われていませんでしたか?』


 たしかに健康診断の結果はかんばしくなかった。嫌な結果に俺はさんざんしつこく来た健康指導をサボりまくっていた。それで、この結果なのか?


『今頃はブラックな会社の社員に見つかって、適切に貴方は処理されています。残念ですけどね』


「う、嘘だろぉ!」


 だって俺は身体だって意識だってちゃんとある。そりゃあおっさんの身体ではないけど、記憶だって欠けている部分は思い浮かばない。正確には思い出せないだけなんだろうけどな。


『で、これからの話です。幸運なことに貴方を別の世界へ送ることになりました。とはいえ気まぐれな神のことですから、転送先でも苦労はするかと思いますけど』


 さて、そろそろ時間です。とその女はいい、俺の意識は掻き消えるようになくなった。ちくしょう、あの女の乳か尻だけでも触っておけばよかった。



 *



 それから俺の呼ばれた先はどこかの学校で、そこで俺は拷問を受けた。具体的には身体の全てを調べられ、血を抜かれ、叩かれたり閉所に閉じ込められたりした。

 とある日に危うく目をくり抜かれる直前で、紫色の魔法使いに止められた。


「そんな珍しいものではないわよ。エルフやコボルトのほうが珍しいわ。だってこの男はただの人間だもの」


 そういうとその女はなにか紙束らしきものをあたりに撒き散らした。


「それはあたしが研究した召喚でよんだモノの詳細よ。全部で二千件分。秘蔵の研究書だから丁寧に扱いなさい。そしてこの男は残念ながらハズレの人間。勇者になる器でも魔王になる器でもない、さらにはここの世界で農民にすらなれないタダのクソ製造機よ」


「ティファニー様、それは言い過ぎでは……」


 隣に控えている手下の男……緑色の髪と緑色の目をしている超絶イケメンが、俺のことをこき下ろす女を止める。だけどその女のイライラは収まらないようで、そのあとは神を呪う言葉を吐いていた。



「……まったく、なんで夢で知らせるのよ。しかも直前で」


 俺はそれからティファニーと呼ばれた女に保護され、乗り合い馬車に乗っている。乗り合い馬車は空いていて、俺たちの貸し切り状態だったからぽつんと三人で座っているだけだった。どうやら城がある首都の魔術学校に俺は召喚され、この女に助け出されて、そこから田舎のどこかに連れて行かれるようだった。


「まあいいわ。この男にも利用価値はあるわね。向こうの情報、主に料理のことと便利で儲けられそうなアイテムについて教えてもらうわよ。あたしにエレスチアルまで足を運ばせた分の元は取らないとね」


「そうですよ。向原 誠さん。名前が言いづらいからマコト、でいいですか?」


 なんということでしょう!


 涼しげな超絶イケメンが俺の元の名前を言い当てる。そしてそのあと俺ですら惚れそうな笑みを浮かべて、テレビとかタバコだとかコンビニの女のことを語りだした。ほとんど心の中を覗き込まれるような気がしたが、超絶イケメンの顔を見るだけで俺はなぜか蕩けるような気持ちになった。丁寧にその超絶イケメンはスフェーンという名を名乗った。くそ、かっこいい。


 スフェーンが俺の心を覗き、それをティファニーはメモにさらさらと書き写す。それは警察で取り調べを受けている感覚だったが、エレスチアル魔法大学で受けた拷問よりは、だいぶマシだった。


「そう、言うのを忘れていたわ。もう向こうで聞いたかもしれないけど、あんたはどこへも戻れない。ここの生活に疲れようとなにしようと、ここで生きていくしかないの。それとあんたの生活の面倒は見ないから、自力でなんとかしなさい」


「ティファニー様はこう言ってますけどね、ちゃんとコンテ街にマコトさんをつれていくということは何か目処があるんですよ」


「う、うるさいわねスフェーン。情報をいつでも聞き出せるように傍でなにかさせるのよ。働かなくちゃメシは食えないってことを言いたいだけだわ」


 頬を紅くしてプーっと膨れたティファニーは、ちょっとツンデレに見えた。それはまるで超リアルな3Dアニメを見ているようだった。



 *



「じゃ、あたしは戻るわ。馬車で眠れてないからとっとと帰って寝る」


 ティファニーは馬車を降りて街外れの森のほうへ歩いていった。スフェーンは俺についてこい、と合図する。


「ちょうど男手が足りない家がありましてね。働く人を募集していたので、そこでとりあえず落ち着いて欲しいんです。母と子だけでリルベリー農場をやっているので、手伝う形でお願いします」


 と、森側とは反対の平地のほうにスフェーンは向かった。

 俺は都会に居て農作業だなんてテレビでしか見たことがないけど、出来るのだろうか……いや、今の身体なら体力はあるし大丈夫だろうな。幸いおっさんじゃなくて二十歳ぐらいの体感だし。

 それに女しかいないところなら、以前の仕事より天国だよなぁ。



「あっ! スフェーンさん。あのときはありがとう」


 スフェーンにヒルデと呼ばれた女の子はそばかすが特徴的な茶色の髪の娘だった。その後ろから出てきたのは……少しおとなしそうで色気のある母親だった。その顔は良いなと思っていたコンビニの女とどこか似ていた。


「さ、マコトさん。ここですよ。挨拶をお願いします」


「は、はじめまして。そ、その……」


 コンビニでその女に話しかけたときと同じように、俺は口ごもってしまった。今までは違う世界へ来た……夢の続きだと思っていたのだが、急にその母親を見て俺の気持ちは現実世界へ戻ったようだった。

 そんな俺を見てコンビニの女、いや母親は以前と同じようにニコっと俺の目を見て笑った。やっぱり、かわいい。


「マコトさん、ですよね。これからよろしくお願いします」


 ニコッと笑ったその女は、俺の心をかっさらったようだった。そして自然と農作業でもなんでも、このひとのためならやってやろう、そう思った。



 *



「へぇ、これが『らいたぁ』っていうものなのですね。魔力がない人でも火の魔術のように発火できるとはすごいですわ」


 久し振りにティファニーさんのところへと顔を出した。

 俺はリルベリーを育て、そしてそれを出荷するだけではなく、俺の昔の知識を活かしてジャムや飴に加工して販売しているおかげで、貧乏だった下宿先はそこそこ潤うようになってきた。

 ティファニーさんの魔法屋は、今日もコーネリアさんが暇つぶしに来ていた。



「あ、マコトさん。完成しましたよ! ライター!」


 スフェーンさんが俺をメロメロにしていた素敵な笑顔で話しかけてくる。が、俺は繋いだ手を見せて報告する。


「お久し振りです。スフェーンさん。あの……報告したいことがあって」


 俺が全てを言うまえにスフェーンさんは俺の気持ちを悟ったようだ。


「ちょっと待って下さいね。今ティファニー様を起こして……いや呼んできます!」


 俺と手を繋いでいるのは、ヒルデの母親のエリー。俺がエリーを見ると、エリーも俺を見ていた。そして穏やかに笑う。


「あら……ひょっとして?」


 コーネリアさんが興味津々で俺たちを見る。そのときトントンと軽い音を立ててティファニーさんとスフェーンさんが降りてきた。


「なによ、もう。寝ているときは起こすなって……」


 相変わらずティファニーさんはブツブツと文句を言っていた。そして俺の顔を見ると、ティファニーさんはニヤリと笑った。


「だいぶたくましくなったわね。ここに来たてのときには青白くてヒョロヒョロとしていたのに」


 俺がこの世界へ馴染んだことをティファニーさんは喜んでいたようだった。そして俺は真っ先に命の恩人のティファニーさんに伝える。


「俺、エリーと結婚することになりました。それを真っ先に伝えたくて」


 その話に興味なさげに返事するティファニーさん。そのティファニーさんの様子をスフェーンさんが見て、こっそりと言った。


「本当は嬉しいんですよ。まったく素直じゃないなぁ」


「うるさいわよ、スフェーン。今日からあんたは書写の練習3冊」


「ひぃっ!」



 俺は以前の日本での生活よりも、ここでののんびりとした生活が合っていたんだろう。気まぐれな神のおかげで人生を弄ばれている感じがあったけど、これからはこの世界での暮らしを大事にしよう、そう思った。





☆今回のアイテム『無魔力ライター』

マコトの知識を利用してティファニーとスフェーンが作った着火器。画期的なものであるが、以前に作成した赤リンの『灯火棒』のほうが安いので、そちらを購入する人々のほうが多数で売れ行きは芳しくない。ちなみに灯火棒もティファニーが考えだしたものであるが、すぐにマネをされたため、今回の無魔力ライターの開発に至った。価格は3000ルーブル。

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