第11話 大学教授ギュスターヴ

 ここエレスチャル魔法大学では、異世界からの人物や物体などを呼び寄せる術を確立してからは定期的に術を起動させている。

 その術は儂の研究では年に四度しか行えず、やっとのことで生きている人間を呼び寄せたと思ったら、珍しく儂と同期だったティファニーが大学にやってきて膨大な数のレポートを撒いていき、呼び寄せた人間を連れ去っていってしまった。


「人間などの生き物を定期的に呼び寄せることが出来るのなら、人間としては扱わずに奴隷や実験体として使えたのに……もったいないことをした」


 この国の扱いでは、召喚者は人造人間ホムンクルスと変わらない。魔法学者は錬金術師と研究を競い合っているから、あの人間は飛躍的な研究材料になったのかもしれないのに。


「だがあのレポート……単純に計算しただけでは年に四回以上の召喚術をこなしているはずだ」


 儂は今年で六五歳。ここの教授となって四〇年になる。一年に四回だとして百六十回の召喚術しか出来ないはずだ。なのにあのティファニーは二千回もの召喚術を行い、そしてそれを詳細にレポートにまとめ上げていた。


「しかしタダの人間ではないと思っていたが……それに……あの若さはいったいなんなのだ」


 儂にとって時間とは有限である。研究を続けるにしても、儂に残された時間はあと二十年もないだろう。

 そして今は名ばかりが高くなるものの、実際の実験へのひらめきはすでに失われている。老いとは脳の活動が遅くなっていき、新しいものに抵抗を感じることだと、ティファニーのレポートを見て今更ながらに実感した。

 レポートのボリュームがありすぎて、全てを読み終えるまでに半年かかってしまったが。


 ティファニーは未だ魔術研究の先端にいる。

 なのに大学の教授となる栄誉を蹴って諸国を見て回ったあと王国へと戻り、へんぴな街で魔法屋を開業したらしい。儂が得られなかった自由を手にし、若さも保ったままで儂より魔術研究に長けている。


 その事実に愕然とし激しく嫉妬した。


 儂はこの身分を捨ててでも、ティファニーと同じような人生が送ってみたい。その想いが大きすぎて、儂をここの場所に縛り付けている義務感などあっさりと吹き飛んでしまった。


「研究は君たちに任せる。儂は取っていなかった休暇をしばしいただくことにするよ。後はよろしく頼む」


 今までは研究員から全ての報告を受け取っていて、全ての研究を把握していないと気が済まなかった。だがそれは研究ではなかったのだ。


 儂の言葉を聞いてオロオロしだす研究員たちを置いて、儂はコンテ行きの馬車に乗り、ティファニーの元へと向かった。



 *



「ああっ、もう腰がダメだ……」


 腰というか身体中の骨という骨がきしみまくり、激痛をもたらした。そんな想いをしながらやっとのことでコンテ街に儂はついた。


「じいさん、ツイてるね! 今日は結婚式があるから派手に食事を振る舞ってくれているよ! 食べたことのない珍しい料理も出ているから堪能していってくれ!」


 筋肉がムキムキの農夫に儂は身体をバンバンと叩かれる。あぁ……ヤバい。この衝撃で儂はあの世に逝きそうになる。だがティファニーに会うまでは死ねないと儂は踏ん張った。

 だがその踏ん張りを無にするように、その農夫は儂をグイグイと引っ張り、結婚式の会場へと儂を拉致したのだった。



 儂が探していたティファニーはちゃっかりと結婚式の仲人の席に座っていた。隣にはティファニーの旦那なのか、キラキラとした若さを持つ緑の髪の男がいた。その男は甲斐甲斐しくティファニーの食べこぼしを拭っていたりして、とても幸せそうな感じであった。


 儂はそれにも嫉妬したのだ。独身を貫いてはや六十五年。昔にはちょっとした恋愛などもしたものだったが、研究に没頭していた儂を見限って離れていった女性ばかりだったのだ。


 そんな儂の心残りを全て手にしているティファニー。正直、儂は悔しかった。そんな気持ちがこの場所にそぐわなかったのか、もしくは巨大なケーキがメイドによりもたらされて皆がそちらに殺到したためなのか、儂は会場に一人取り残された。



「うげっ!」


 目ざとく儂を見つけたティファニーは、テーブルの下に隠れようとして緑の男に引きずり出されていた。ああそうだった。ティファニーは面倒事を嫌うものぐさな性格であったな。


「嫌味なことは言わんよ。めでたい席だしな」


 儂はそれからおとなしく振る舞いを食べ、夜が更けるまで穏やかな田舎の結婚式を楽しんだのだった。



 *



 ……やってしまった。

 儂はかなりな下戸で、まったく酒が飲めないことを忘れていた。研究室では酒を勧めるような無礼な輩はいなかったからすっかりと。だからこんな小汚い床にボロ雑巾のように転がされているのだ。


「ちっ、起きなきゃいいのに」


 なにか不吉な呪いの言葉が聞こえた気がする。だけど儂はその言葉にツッコミを入れるより前に、自分の身体のきしみと痛みに耐えなければいけなかった。



「エレスチャル魔法大学のギュスターヴ教授ですね。あなたは相当に身体の痛みがある。そしてその痛みは異常ですね。たぶん……リウマチかと思われます」


 なんてことだ。

 ティファニーの旦那が儂の心を目ざとくのぞきこんだ様子で、儂の持病までもが読まれてしまった。人の心が読める種族がいるとは噂には聞いたことがあるが、この特徴的な緑の男はその伝説の種族、ピクシーだったのか。


「いやいや、僕はピクシーではありません。ただの人間ですよ。ちょっとだけ人の心が見えるだけです」


 なんてことだ……また読まれた。

 下手な考えはこの男の前では出せないな。例えば儂が昔、一方的にティファニーに恋心を抱いていたとか。


「えっ?」


 好奇な光を目に宿してその男はとても愉快そうな顔をした。うわああ、いかん。余計なことを思わないようにするとポロッとどんどん思い出してくるぞ。

 出来るだけ儂は心を無にする。が、心など読まれたことがないから、どこまで効果があるのかは不明だった。


「読まれないようにしているのはわかります。だけど教授はティファニー様の召喚術式を盗みにきたのでしょう?」


「うぐっ!!」


 身体にムチを打ってまで、生きがいでもあった研究をほっぽりだしてまで、ここまで来た真の理由まで読み取られてしまった。こうなればもう儂はプライドも何もなく土下座でもして、ティファニーの召喚術式を教えてもらうしかなかった。


「どうせそんなことだろうと思ったわよ、ギュス。それにもう術式なんて過去の話だから忘れたわよ?」


 話をよく聞くと、なんと召喚術を三分おきに出来る術式をティファニーは三十年前に編み出していたらしい。その研究も一週間で飽きた様子だった。


「あ、ティファニー様。あのレポートを引っ張り出してきたときに術式の詳細のあった紙が……」


「ああ、あんなのは即燃やしたわよ。ライターで」



 なんということだ。

 儂の研究よりはるかに進んだ術式を、ティファニーは消滅させてしまったのか。


「ていうかギュスには教える気はないわよ。どうせ召喚した人間型のものは全て実験体にするんでしょうから。それに」


 召喚んでも返せないという一方的な思想の持ち主には教える価値はない。と、ティファニーは言い切った。たしかに儂は召喚するだけの術式のみを研究していたが、そのよんだものを元の世界へ返すことはすっかり頭から抜け落ちていた。


「わかる? 召喚されたものにだって向こうでの生活はあるの。この前ギュスがよんだマコトはあたしが呼んだわけじゃないから、返せないのよ。召喚術式が違う上にマコトは元の世界に戻っても死んでいるから」


 イライラした様子でティファニーは、この話は終わり、と召喚術式の話題を打ち切った。そして儂は画期的な召喚術式を手に入れることはできなくなったのだ。



「ま、ここまで来たんだから少しはお土産を渡すわよ。まさかずっとここにいるわけじゃないでしょう?」


 そのとき、魔法屋の扉が開いて、そこから一人の少女と黒い少年が入ってきた。

 少女は長く綺麗な銀髪に好奇心旺盛なエメラルドグリーンの瞳をして、なによりも耳が長かった。少年は隠す気もなくピンと尖った黒い耳をさらし、ふわふわの長い尻尾が尻から出ていた。


「おお、エルフ族にまさか……コボルト族まで?」


 その者たちは儂を胡散臭げに見やったあと、喜々としてティファニーになにかを報告していたようだった。


「ティファニー様はめんどくさそうにしていても、なぜか好かれるんですよね。僕もティファニー様とお会いしたときに『運命の出会いだ』と思いましたし」


 どうやらこの男は、儂の若い頃と同じように一方的にティファニーに恋心を抱いているようだった。そんな儂を見て男は言った。


「教授も僕の心を覗きましたね。でも、ティファニー様には内緒でお願いします」


 男はウインクしながら口を人差し指で押さえ、シー! という格好をした。

 儂もここまでかっこよかったのなら、ティファニーと肩を並べて今ここにいたのだろうか。


「それは、違いますよ。元々ティファニー様と教授は思想が違う方でしたので、教授がティファニー様に嫌気を差したかと思われますよ。それと、僕の名前はスフェーンです。名乗るのが遅くなってすみません」


 見事にスフェーンから、儂のティファニーへの告白を断られたようであった。確かにティファニーのことは羨ましくそして好ましく思っていたが、儂は隣にいればきっと喧嘩別れしていたに違いない。



「なにをグダグダ話しているのよ。ほら、これを飲んだらとっとと帰りなさいよね。まったくギュスの顔を見ていたら、つまらなかった大学時代を思い出すわよ。あ、それともう一つ」


 そこのエルフとコボルトには手を出すんじゃないわよ。あたしのモノだからね。とティファニーは儂に念を押した。


「ハハハ、そんなに儂のことが信用できないかね」


 黙ったままジロリとティファニーは儂を見る。今までの思想の違いが決定的に儂とティファニーを離したのだろう。


「……わかった。儂はこれを飲んで去ろう。ところでこの薬は?」


「飲めばわかるわよ。急いで作ったから効力は薄いけどね」


 薄い紫色の液体が色気のないビーカーの中に入っていた。それを儂は一気に飲む。


「ぐほっ!!」


 激マズだったが、我慢してそのまま儂は薬を飲み込んだ。味を表現するならただただ苦いだけの液体に形だけの薄くて甘い味がついている。香りは革の靴を十日間ほどはき続けたあとの中の匂いのようであった。

 飲み下したあともその匂いだけは口から臭ってきている。だが、飲んだ直後から節々の痛みは消え、身体には昔の活力が戻ってきたようだった。


「おお……この薬は……?」


「秘密。てか臭いから早く帰って頂戴。そして二度と来るな」


 飲ませたのはティファニーの癖に、儂への扱いはひどいもんだった。

 そのまま儂はコンテ街をあとにすることにした。来たときとは違い、帰り道は身体も楽になった。さらには失ったと思った研究への気力が、再び湧いてきたのだ。



「教授、おかえりなさ……」


 儂が戻ったとき、研究生たちは儂を見てぎょっとした顔をする。まさかティファニーに飲まされた薬の口臭の効果が切れていなかったのか?


「い、いや……そうではなく……教授が若返っています。どこかいい温泉にでも行ってらしたのですか?」


 儂は唖然とし、急いで鏡を見る。

 そこには五十代の頃の儂がいたのだ。


 きっとティファニーは儂に十年という時間をくれたのだろう。だったら儂は召喚とよんだものを返すという秘術、両方を完成させてみせる。


 でないとティファニーに負けたままの人生になってしまうからな。




☆今回のアイテム『若返りの秘薬』

ティファニーが開発した、ティファニーにしか作れない秘薬。栄養成分も抜群で一度飲むとどんな不摂生な生活を送っていても肌はつやつやで風邪すらひかない。ただし二度と飲みたくないぐらい激マズであり口臭がひどくなる上に、常用すると髪の毛と瞳が紫色に変色する。作るときの素材は幻想級の物が多く、中でも一番大変なのがユニコーンのツノである。ちなみにギュスターヴ用の薬には馬の蹄を代用した。この薬が表沙汰になるとかなり面倒なことが起こるのをティファニーはわかっているので秘蔵品である。もちろん売れない。

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