第12話 月蝕姫セレニテス

 わたしの記憶があるのは、少女のころに奉公先で糸を紡いでいるところ。

 壁のてっぺんにしか小さな窓がなく景色が見えない暗い部屋で、時間を忘れずっと糸を紡いでいた。


 明りは手元を灯す小さなランプだけ。

 ちょっとした気温の変化で季節だけはわかるものの、寒いときには大変だった。手がかじかんで言うことを聞かないし、糸で手が切れて真っ赤に染まった糸が出来上がったこともある。


 奉公先のおばさんは、その色を見て喜んでいたっけ。高く売れるって。


 だけどある日、小窓が暗くなってからしばらくして、永遠と思われるその時間が唐突に止まった。わたしを閉じ込めていた小さな部屋ろうごくは吹き飛び、あたりには炎が散らばっていた。

 見えなかった空を振り仰ぐと、そこには真っ赤に欠けた月が浮いていた。



「大丈夫だった?」


 空をぼーっと見上げていたら、とても涼やかな声で誰かに話しかけられた。声のした方向を見ると、そこには炎に照らされて一人の青年が立っていた。その青年はわたしの手を取り、目の前にある大きなお城へと連れて行かれた。



「残念だけど、君の国は滅んでしまったよ。虫けらのような親類共に体よく利用された君の両親はもういない。だから僕は君を捕虜として連れて行かないといけないんだ。月蝕姫げっしょくひめセレニテス」


 王座にわたしを座らせて、その青年は言った。

 なんでわたしの名前をこの青年は知っているの? ……でも、姫という言葉にはさっぱり心当たりがなかった。


 青年はわたしをじっと見て苦悩するように頭を振る。さらさらと流れる黄緑色の髪はとても綺麗だった。銀色の鎧がとても似合っていて、どこかの王子様なのかな、とわたしはぼんやりと思った。


「下女として働いていた君は、なにもわからないんだね。ひどい呪いを親類は君にかけていたのか」



 そのとき、城内を走る音がして一人の兵士がやってきた。


「スフェーン団長、ここ一帯は全て制圧しました。主犯の宰相ガストンも捉えました。あとは王女セレニテスを捉えるだけです。急いで下さい」


 兵士はわたしをちらっと見ながら、そのスフェーンと呼ばれた銀色の騎士に報告し、すばやく去っていった。


「ごめん。僕には君を逃がす権限がないんだ。だから……」


 玉座に座るわたしの手を取り、スフェーンは揺らめく緑色の瞳をわたしに向けて言った。耐えてくれ、と。



「待ちなさい」


 低い女性の声が玉座の間に響いた。スフェーンの背後に紫色のもやが現れたかと思うと、その中から一人の魔女が出てきた。その魔女はまるでおとぎ話で悪いことをする魔女と同じ格好をしていた。


「ひっ!」


 どうやらわたしは『姫』で、スフェーンは敵国の騎士。目の前に悪い魔女がいるのなら、おとぎ話の流れで言えば、わたしが殺されるのが筋だろう。



「怯えなくていいわよ。あなたをどうこうする気はあたしにはないから。用事があるのはあんたよ。エレスチアル騎士団団長スフェーン」


 そう言うとその魔女は長くて赤い爪で、目の前にいる銀色の騎士を指差す。スフェーンは殺気を感じたのか、腰に下げている剣を抜き構えた。


「……誰だ、貴様は」


「あたし? あたしはティファニーよ」


 剣を向けられているのに、魔女はこともなげに自分の名前を名乗る。緊張感がないというよりはなんとなくけだるげだった。



 ジリッとスフェーンが床を踏む音が聞こえる。次の一瞬で魔女のスキを伺ってあっという間に斬る、そのシーンは剣術に覚えのないわたしにもわかった。


「自己紹介よりも、あたしはあんたを止めなければいけないのよ。で、あんたは心が潰されかけている」


 スフェーンの顔を見ると頬に汗が流れていて、顔の色は蒼白になっていた。その表情が魔女にも見て取れたようで、ニィっと魔女は笑った。


「あんたね、人の心が読めるのよ。それでその地位。自殺願望者でなければただのマゾだわね。それをあたしは助けにきた」


 指差した手を裏返しし、魔女はゆっくりと手のひらでスフェーンの顔を包み込む。頬の汗だと思っていたものは涙で、銀色の騎士の手からカランと剣が落ちる。



「ぼ、僕は王国の貴族として、立派に任務をこなし……」


莫迦ばかね。そんなことをして喜ぶのは、あんたへの愛情がない両親と貴族の家督だけよ。とは言えあんたは自分の家を継げないでしょう?」


 心当たりがあったのか、スフェーンはがっくりと膝から崩れ落ちる。武器も出していない魔女があっさりと強そうな銀色の騎士に勝ったのだった。



 そして魔女はわたしを見る。

 いよいよ、殺されてしまうのかな。ガストンおじさんもイレールおばさんも捕まったようだし、わたしも……。


「あなたにきちんと働いてもらわないと、あたしの術が完成しないのよ。月蝕を司る姫、セレニテス」



 がっくりと肩を落としていたスフェーンが、わたしの名前で我に返り、再び悩みだした。


「困りました。エレスチアル魔法大学よりセレニテス姫を渡すように頼まれているのです。その任務が成功しないと我々の騎士団は左遷されてしまう」


 スフェーンは仲間を護らなきゃいけないのだろう。だけどわたしが捕まったらきっとひどい目にあうこともわかっていての苦悩だったんだ。どうせわたしは糸を紡ぐことしか出来ないし、誰かの役に立つのならひどい目にあってもいいなと思った。


「申し訳ないのですが、セレニテス姫。僕についてきていただけませんか? あなたの身を護るという保証は出来ませんが……」


 任務を決断した様子のスフェーンはわたしの腕に手を伸ばす。



「あーもう、だからあんたはマゾなのかっつーの!」


 ボカリと魔女はスフェーンの頭を叩いて、わたしの首にペンダントをかける。淡く青い色に光るペンダントは見たことがないぐらい綺麗だった。


「いい? 耳をかっぽじってちゃんとよく聞きなさいよ。非道な任務をやらせられるならそんな騎士団は左遷でもなんでもいいでしょうが。この娘は天の導きの通りに月蝕を起こしてもらうの。姫ってついているけどただの巫女よ。言い訳がたたないっていうなら、その大学にティファニーっていう魔女が邪魔をしてセレニテス姫を殺したとでも報告なさいな」


 頭を叩かれたスフェーンはぽかんとその魔女を見ていた。涙が乾いた頬は心なしか綺麗なバラ色に染まっている気がした。



「さ、こんな下種な男は置いて、あたしと一緒に来なさい。防御術がない状態でそのペンダントが発動すれば、こんな城なんか吹き飛ぶわよ。庭に防御陣を敷いてあるからそこまでだけどね」


 魔女、わたし、そしてスフェーンも庭までついてきていた。

 庭には真っ白なバラがたくさん植えてあったらしいけど、そこの真ん中に異質な模様で描かれた魔方陣が用意されていた。



「急いで。輝きが増してきているから、もうすぐ呪いは解除される。それが辺りにはじけ飛んだらここにいる人間は呪いに染まるわね。強力すぎて腹が立つけど」


 魔女はぐっとわたしを掴んで魔方陣へと放り投げる。


「キャ――――!!」


 魔方陣の真上でわたしは吸い寄せられるように地面へと落ちる。


「よし、間に合った」


 地面へ激突する直前、ペンダントがはじけ飛び、魔方陣の中が黒い怨念で満たされる直前に、わたしはスフェーンの心配そうな顔を目に焼き付けた。スフェーンの周りには雪のように白い薔薇の花びらが舞っていた。



 *



 気づくと城のベッドの上にわたしは寝ていた。

 天蓋付きのふわふわのベッド。なんだか懐かしい感じがした。


「気づいたわね。でも、あのクソガストンのおかげであなたの呪いは一部残ってしまったわ。あの男、どうやってあの術式を編み出したのよ」


 イライラしながら魔女、ティファニーさんがわたしに言う。


「手の甲を見せてみなさい」


 わたしが左手を差し出すと、わたしにも見たことがない半月型の赤い痣がくっきりと浮いていた。



「ん、月蝕の行使はできそうね。この痣が青く光る時に、外の月に祈るだけで月蝕になる。その力を持っているのよ。あなた……セレニテス姫はね」


 そしてこの地をしっかりと治めていきなさい、とティファニーさんはわたしの背中をバシバシ叩いてくる。

 記憶は一部が欠けているらしいわたしが、月を欠けらせられる能力を持つのはぴったりだなとちょっと思った。


 さっきの呪いの破壊によってわたしは幼少の頃からたくさんの召使に囲まれて、国王だった父と母が居たことは思い出したから、それだけでいい。

 国ですらなくなった場所だけど、これからは小さな領土の領主としてここを立て直していこう。



「……少し自信がないけど、臣下とも力を合わせて頑張っていきます」


 そんな決意を話していたときに、バンっと扉があく。

 そこにいたのは簡素な綿の民服で身を包んだスフェーンさんだった。


「あの……僕、騎士団辞めてきました。これからはティファニー様の弟子として下働きに準じる次第です」


「はぁ?」


「だってティファニー様は心と口が違わなくて、僕が一緒に居て一番楽な人なんですよ。そして無職になったし、魔法を覚えるのもいいかなって。そうだ、お給金とかいりませんから! 掃除だって洗濯だって料理だってします!」



 ウエェ……という謎の言葉を発しながら、ティファニーさんは嫌そうにしていた。


「無職になった責任を取って下さいっ!」


 嫌、とはいえないティファニーさん。結局スフェーンさんの熱意に負け、スフェーンさんは弟子になったらしい。



「ま、掃除とか洗濯はぜ~んぶ任せるわよ。そう考えればお手伝いさん無料ってことだからお得だわね」


「ええっ! たまに魔法も教えてくださいよ。仮にも僕は弟子なんですから」



 そんな軽口を言い合いながら、わたしの元から去ることになった二人。


「セレニテスに一つだけ伝えておくわ。あたしはすぐ近くのコンテ街に居を構えるから、なにかあったらそっちに知らせを頂戴。箒に乗ってすぐ来るから」


「僕は馬しか乗れないけど、箒って楽しそうだなぁ」


 じゃ、帰るわ。そう言ってティファニーさんが箒にまたがる。その後ろに恐る恐るスフェーンさんも乗る。


「しっかり捕まってなさい。でないとあんたを途中で落っことしていくわよ……ってどこ触ってるのよスフェーン」


 小さめの魔女に必死で捕まるスフェーンさん。


 なんか間違ってティファニーさんの胸をスフェーンさんがぎゅっと掴んでいた気がするのは、見なかったことにしておこう。


 だってまだわたしの中では立派な銀色の騎士のままだったから。



「じゃあね」


 そう言い残すと二人はあっという間に浮かんで飛び去っていった。

 ひいいいい! っていうスフェーンさんの声も印象的だった。




☆今日のアイテム『解呪ペンダントα』

他人が作った術式を術が発動している間に侵入し、逆流して破壊し尽くすという強力な解呪能力をもったペンダント。精密な機械によりできていて、その原理は微弱な魔力により出来ている。解呪したあとはその呪いを再び使用することはできなくなるが、ティファニーの繊細な魔力により、被検体に傷はつかないようになっているので、呪いだけを破壊する。この時代にはまだお店がなかったので、ティファニーの秘蔵品である。ところで、スフェーンはマゾではない……はず。

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