第8話 使用人ヘリオトロープ

 秋っていい季節よね。食材は新鮮なものがたくさん穫れる時期だから、美味しい料理がたくさん作れる。


 でも……わたし、ヘリオトロープは大変なことになっているのだ。

 なぜなら、勤めていたお屋敷からお暇を出されて流れに流れ、コンテ街というところに行き着いたのだけれど……。


「と、とりあえず今日食べる分のブツは確保したわね」


 ちょうどコンテ街では豊作祭をやっている最中で、街のお祭り会場では誰かれ構わずに振る舞い料理が出ていた。それを目指してわたしはここにいるのだが、お財布を見るともう乗り合い馬車にすら乗れないことに気づいた。


「……ああ、もうヤバい。いろいろ終了だわ」


 祭りの輪から離れ、わたしは街頭のベンチに座った。辺りはガヤガヤと騒がしくて、とりあえず手元のお皿に乗っている食料を口に放り込む。


「むー! お、おいひい」


 やっぱり秋! やっぱり産地での料理は美味しい。

 ホクホクに茹でた芋に、あっさりとして香りが強いバターが乗っていてさっと塩をかけたもの。とってもクリーミーな味わいになっている。

 炭火でゆっくりと焼いた鶏のローストも、焼きながらタレを回してあってツヤツヤに光っていて、皮がパリパリに焼けている。

 シャキシャキとした菜っぱとローストビーフを、丸パンを輪切りにしたもので挟んであるものも、この前まで勤めていた立派なお屋敷では見たことがない料理だった。


「ぶはぁ!」


 一気に料理を口に詰め込みすぎて喉が詰まりそうになったので、シュワシュワした麦酒で胃に流し込む。この瞬間が最高だ。



「あぁ……ここに住みたいな。ってもう移動できないかアハハ」


 わたしは美味しいものに目がない。

 お屋敷を出されたのも、料理をつまみ食いしたところを何度も見つかってしまったのが理由だし。


 ぼんやりとベンチによりかかり、道行く人を眺める。お祭りだから忙しそうにしていても、どこかのどかだった。



「むがっ!!」


 そのとき、わたしの眉間になにかがクリティカルヒットした。目から火花が飛び散って気を失いそうだったけど、なんとか踏みとどまった。眉間にヒットしたものが、バサリとわたしの膝の上に落ちる。



『ティファニーの実現したい美味しいメシ 第一巻』


 な、なんで本がスコーン! とわたしにぶち当たってくるわけ!? し、しかもこのタイトルは……。


 眉間をおさえながらわたしは、丁寧な文字で書かれたその本を読み込む。内容はレシピ集であり、どれも見たことがない料理ばかりだった。


「これも、それも……こっちも! 全部作ってみたいし食べてみたい。あぁこの料理はニンニクを合わせていいの!? え、こっちのデザートって魔法を使ってまで?」


 ブツブツ言いながらわたしはあたりがすっかり暗くなるまで、その本を読んでしまった。目の前にひとりの男の人が来るまでじっくりと。



「あの、夢中なところすみません。ヘリオトロープさん」


 本から顔を上げてわたしはジロリとその男の人を見る。透き通るような緑色の髪と同色の瞳を持った男の人から、まだ食べていなかった豚のソテーや豆とトマトの煮物などの祭りの振る舞い料理を手渡される。


「ここのお祭りはこれから三日三晩続きますので、まだ食料は大丈夫ですよ。それにしても仕事がないけど、料理に興味があるということですね。うーん……」



 な、なんてこと……。


 初対面の男の人に名前や自分の現在の状況を読まれていた。じゃあお屋敷にいたときにつまみ食いしたママレードのパイの味とかメイド服の胸の部分に肉汁がついてシミになっていることとかもバレてるのっ? さらにさらに足が毛深いから一週間に一度は剃らないといけないことまで?


「あの……今秘密を暴露しなくていいんですよ」


 ハァ、とその男の人はため息をつく。

 どうやらわたしの気持ちを読むのに疲れている様子だった。



「ちょっと、スフェーン。なにグズグズしてんのよ」


 その男の人はスフェーンと呼ばれていた。得体の知れない男の人に不思議な空気を持つ女の人。田舎街の雰囲気には合わない二人だった。


「あ、その本……」


 そう言うとその女の人はわたしの手からレシピ本をひったくる。


「もう! いくら読む人を選ぶ本に仕上げたからって、唐突に逃げることはないのに。しかもあたしは作者よ」


 ブツブツ言いながら、本に言い聞かせるように文句を並べたあと、女の人はわたしに焦点をあわせる。


「そう、あなたがあたしの調理人なのね」


 納得したようにその女の人はわたしの頭から足先までを確認すると、最後に顔を掴まれて舌を出すように言われる。変なことをされている気分がしたけど、従わないといけないような感覚になり、わたしは素直に舌を出す。

 そして、女の人はわたしの舌をしっかりと確認し、なにか満足したように頷いたあとわたしに名前は? と質問する。


「う、あ、ヘリオトロープと言います。あなたは?」


「あたしはティファニー。魔法使いよ。そしてこっちの間抜けはスフェーン。そして仕事ならあるわよ」


 さっきのスフェーンさんとのやり取りを聞いていたのか、もしくはわたしの途方に暮れていた顔を観察されていたのだろうか、ティファニーさんはわたしが無職だということを理解していた様子だった。


「あなたね、味覚が鋭いのよ。しかもその本を読み込んでいたってことは、料理がかなり好きなんじゃないかと思うわ。だから仕事があるのよ」


 わたしはその言葉が繋がらなくて『?』の文字が頭の中いっぱいに広がる。

 すると、それまで黙っていたスフェーンさんがティファニーさんの言葉をわかりやすく噛み砕いて説明してくれる。


「あのですね、ここの近くにホースチェスナットというレストランがあります。そこのシェフがもう高齢で、代替わりをしたいそうなのです。その息子は料理が苦手で、シェフを募集していたということですね」


「はぁ……」


 そう説明を受けても実感がない。本の面白い料理は作ってみたいと思うものだったけど、いきなりここで就職するということに、頭がついていなかった。


「まずは持ってきた仕事着メイド服に着替えなさいな。着替えたらホースチェスナットに行くわよ」



 ティファニーさんのお店の中でわたしは着替える。

 スカートをふんわりさせるよう、足首まであるペチコートという白い肌着を着て、その上から仕事用のコルセットを巻くが、少し緩めにするのがコツ。苦しくない程度で動きやすいように締め、紺色のワンピースの襟元を上まできっちり留める。一つでもポタンが外れていたり、ほつれていると厳しく叱られる上に続けば減給という厳しい処分が待っている。


 だから全ての着替えを確認しつつ進めるのだ。

 ちなみにわたしは、服装でチェックを入れられたことはなく、いつもクビになるのは食べ物絡みだけである。


 ふわっとしたフリルの入ったエプロンとカチューシャをつけ、わたしは仕事服に着替えた。


「ん、いいわね。その食べこぼしはあとで落とすとして……」


「本当に行くんですか? でも、あの息子さんは……」


 ジロリとティファニーさんに睨まれるスフェーンさん。この二人はヘビとカエルのようだなぁ、となんとなく思った。



 *



「こんにちは。オーナーっている?」


 時間的には営業している時間なのに、なぜかガランとしているレストラン内にティファニーさんがズカズカと入り大声で呼びかけた。

 あとについてきたスフェーンさんはさっきから頭を抱えているようだったが、何か文句を言おうとすると、じろりとティファニーさんに睨まれていた。


 そんなやり取りを見ていると、奥から執事姿のウエイターが出てきた。



「あ、オーナー。先日話していた調理人、連れてきたわよ」


 そしてオーナーと呼ばれた人とティファニーさんはわたしを見る。そのオーナーさんはわたしを見てすぐに、キラキラとした目をし、


「文句なし! 採用っ!!」


 と何かを即決していた。


「やっぱりね、あたしの見立て通りだったわ」


「いやでもですね、このオーナーさんは……」


 黙れ! とティファニーさんはスフェーンさんの口に人差し指を押し付ける。

 ポウッとその指が光ったかと思うと、スフェーンさんの口はピッタリと閉じてしまった。



「まったくもう、スフェーンは気を回しすぎなのよ。誰にでも試練はあるしそれを跳ね除ける能力ぐらいあるでしょう。子供じゃあるまいし」


 ということで、とティファニーさんはわたしに向き直った。


「ヘリオトロープ。ここからはあなたの試練よ。頑張って料理を習得して頂戴」


 そっか。流れに任せてわたしはここで仕事をすることになったんだ。しかも料理人という立場で。だけど……。



「あ、あの。一つだけ条件があります」


「なに?」


 面倒くさそうにティファニーさんがわたしに返事する。この人は細かなごちゃごちゃしたことを嫌っているようだった。


「つまみ食いしても……追い出さないでくれますか?」


「だってさ。オーナー」


 ニッコリとその執事なオーナーさんは笑って言った。


「食費がかさまない程度なら、いくらでも。で……その姿で毎日給仕に来てくれるんでしょう? 僕も楽しみだなぁ」


 なんとなくねっとりとした視線をオーナーさんから感じる。でもそれ以上に自由につまみ食い、いえ、仕事が見つかっただけでも嬉しいし、のどかなこの街でのんびりと料理を作って喜ばれるってことはきっと楽しそうだな。

 ワクワクした気持ちが顔にあらわれていたのか、わたしの顔をみたティファニーさんにクスッと笑われる。


「あなたは本当に料理が好きね。でも一つだけ忠告があるわ。ヘリオトロープ」


 そう言ってティファニーさんはわたしの耳元で囁く。


「オーナーはメイド服に弱いの。もしもこのお店が本当に欲しいと思うなら、メイド服姿で求婚なさいな。もちろん、あなたが納得してからね」


「はいっ!」


 そしてティファニーさんは『ティファニーの実現したい美味しいメシ 第一巻』をわたしに手渡す。


「その本のレシピを全て網羅したら、またあなたに続きを渡すわ。よろしくね」



 そうしてわたしは、ティファニーさんの希望する美味しいメシを出すために、今日もホースチェスナットで働くのだった。




☆今回のアイテム『ティファニーの空飛ぶ本』

ティファニー自身が実行できない技術を書き留めた本。その本の中身を実現できそうな人を見つけると、自動でティファニーの元から飛び去り、スコーン! と体当たりをするという、主人に似た勝手な本である。ちなみに今回の『ティファニーの実現したい美味しいメシ』については続刊が百巻まであるのだが、今までに実現できそうな人がヘリオトロープ以外にはいなかった。なのでジャック・オ・トゥラデスの二階の奥の倉庫にしまいこんであったのだが、一冊だけ逃げてスコーンしたらしい。残りの本はガタガタうるさかったため、スフェーンがあとから箱ごとヘリオトロープに手渡した。全巻セットが一部しかない上に、ヘリオトロープにしか利用価値がない本なので無料である。

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