第2話 借金取りハンス
俺はブルックリン商会のハンス。
見てくれは悪いが、凄腕の借金取りとその筋のやつらに恐れられている。
今までに回収した金額は、王様が生涯使う金額をゆうに越えているだろう5000億ルーブル以上だ。まあ、その金をまとめて見たことがないから、どんだけ凄いのかは俺にはわからねぇんだがな。
そんな俺は、今のところブルックリン商会で働くのが気に入っている。何故なら、そこの親分がものすげえ美人だからだ。
金貸しは大抵がもさい男どもで占められている業界なのに、親分はとてつもない美人で容赦のない女だ。かすれて
そんな女に俺は惹かれて、流しの借金取りをやめ、ブルックリン商会に骨を
「フッ、俺も焼きが回っちまったな」
「なにが可笑しいんだい? ハンス」
呆れた顔をして親分は俺を見上げる。
赤くクセのある毛をバサリとかきあげて、ふう、と親分はため息をついた。
「スミスの野郎が
キツい化粧が似合う、キツい目をした女。
強そうな女なのに、俺を頼りにしてくるところが、ゾクゾクしてたまんねぇ。
親分は一呼吸置いて、その真っ赤な唇を動かして俺を頼るセリフを言う。
「だからさぁ、ハンスに今度は担当してほしいんだよ。あのクソ
ティファニー。
少し聞いたことがあるが、ブルックリン商会の最大の顧客。つまりは莫大な金をティファニーっていう野郎は借りているっていうこった。いったいどんな男なんだろうなぁ。金を借りまくっているから、口のうまい優男か?
そんな思いにふけっていたら、親分から
「おい! ハンス! ちゃんと聞いてるのかい?」
「あぁ、すまねぇ。最大の顧客なら払いもいいんじゃねぇのか?」
親分は腕組みをする。形のいいデカい乳が腕に押されてギュッと盛り上がって堪らねぇ。
その谷間……いや親分は眉間にシワを寄せて仁王立ちになる。女にしては珍しく細身な長げぇスカートから、形のいい脚が見えるのも、いい。
「みんなあのティファニーにイカれちまって、回収は雀の涙。まったくあの――め」
「……それで俺の出番ってことか」
色っぺぇ身体に見とれちまって、俺は親分の言葉をいい加減に聞いていた。一部分だけなんて言ってるかわからなかったが、どうせ
俺を上目遣いで睨んだまま、俺の言葉に親分は頷いた。その仕草は怒ったときの娘がやりそうなもので、親分の年齢とはチグハグで可憐だった。その表情に俺は危うく興奮しちまうところだったが、出来るだけポーカーフェイスを作る。
「ま、俺の回収率は百パーセント。これだけは揺るがねぇぜ。魔女なら弟子の一人もいるだろうから、そいつを人質にすりゃあっという間だろ」
そうだな、と親分はニヤリとする。
さっそく俺は親分に命令されて、街外れにあるティファニーの店へと向かった。
*
「なんで、この店の名前を、みんなは覚えてくれないのよ?」
苛立つ女の声が店の外から聞こえてくる。
その声に反応したのは、明るく爽やかな野郎の声。
「さあ、名前が難しいからですかね」
そのあとはブツブツとなにやら話している声が聞こえているが、そんなことはお構いなしに俺はドアを勢い良くあけ、一言いう。
「ブルックリン商会の者だ。お邪魔するよ」
できるだけ
これは最初に会った人に恐怖を与えて、借金の回収をたやすくするための態度だ。ちっとおどおどした奴なら、次の言葉は「お、お金を払います」だ。俺の見た目も相まって、借金回収は
「だれ? 熊が人間に変装してるの?」
「さあ……あの、今日は何用で? ガウガウ?」
熊のマネをした優男に腹が立って、俺は隅に置いてあるテーブルを思いっきり蹴ってやった。
テーブルの上にのっていたコップや得体の知れないガラス製品が落ちて、派手な音を立てる。これも借金の回収を容易くするための小芝居だ。本当に
「俺は人間だよ! てめぇ!」
緑頭の兄ちゃんの胸ぐらを俺はつかむ。
だが、その兄ちゃんはそれでもニコニコしていて、得体の知れない野郎だった。そうか、こいつがティファニーって奴か。
「あのですね、僕で
「そうね」
俺は兄ちゃんの首を絞めつつ持ち上げながら、女の声に振り向く。
そこには……まるで悪魔がこの世に現れたかのような、ものすごい妖力、いや魅力を発した女がいた。
怒っているであろう瞳は、燃えているように錯覚する激しい紫色だった。
俺は最高の女だと思った親分のことを忘れ、その女に見とれちまった。さらに恥ずかしげもなく俺の頬は、勝手に火を噴いたように真っ赤になっちまったわけだ。
「そこで
その言葉を聞いた瞬間、俺は、あっという間に床に組み伏せられた。
「ちょっといきなりなにをするんですか? ハンスさん、あなたは借金を取りにきたのでしょうが、ここまで乱暴なのは良くないですよ」
なんということだ。ニコニコとした緑頭の兄ちゃんが俺の背の上に乗っていた。それに、俺は名前を名乗らなかったのに、この兄ちゃんはなんで分かったんだ?
どうやら女に気取られていたスキに、俺はこの野郎にあっという間に組み伏せられたらしい。関節を締められているのに全然痛くないから、解こうと思ってかなりの力を入れても、全然解けない。
「あ、あんまり動くと身体を痛めちゃいますよ。暴れないことがわかったら僕、どきますから心配しないでください」
俺は
首を上げてるのも疲れるから、床に目を落とす。
その俺にコツコツと女が近づいてきて、俺の顎を掴みグイッと持ち上げる。
「せっかくあと二十分で蒸溜が完了したのに……再来年分のウィシュケがパーよ、パー!!」
顔に唾がかかって俺は顔をしかめる。
その俺の表情を見て女はいたずらっぽく笑い、俺の口に何かを含ませた。
「ぐっ……げほっ!! てめぇ! 何を飲ませたんだ!!」
「いいわよ」
女の一声で、兄ちゃんは俺から
「いいんですか? またこの男は暴れちゃいますよ」
「あたしの魔力をたんまり含ませた十年もののウィシュケを飲ませたから、もう暴れないわよ」
俺は、その口に残ったウィシュケが身体の中に染み渡ったのを感じた。芳醇で深い香り、舌に感じた味はいままで飲んだどの酒よりも旨かった。
「う、うめぇ……」
ものすごく旨すぎて、仕事のことも、自分が何者なのかも一瞬忘れかける。女と一緒で魔性のウィシュケだろう、これは。
だが俺はそれに魅了されてしまった。また飲みたい、と思う気持ちが湧き出してくる。それと同時に俺はなんてことをしてしまったんだろうと深く落ち込んだ。
たぶん、さっき俺が蹴っちまって壊しちまったのは……この酒を作っている機械だったのだ。
それを思った瞬間、俺の目から涙が湧いてきた。
「熊の目にも涙」
ボソリとその女は言った。
だから俺は熊じゃねぇ! と思ったけど、それより機械を壊しちまったことに対して、かなりの罪悪感を抱えていたから、俺はなにも言えなかった。
そして、俺は心にもないことを口走ってしまう。
「す、すまねぇ! こんなうめー酒を壊しちまったなんて」
いや、俺は心の奥深くで本気でさっきの機械を壊してしまったことに後悔していたのだ。だから自分が自覚するより先に、心で思ったことを口にしてしまった。
その自身の言葉で、俺は顔が真っ赤になる。
「うん、やっぱりいいウィシュケに熟成されているわね。さっきは壊れてどうしようもなくなったけど、また資金投入して今度は街の人たちに販売するわよっ! そしてたんまり儲けて借金を返して……豪遊するわよ」
「だ、そうです。ハンスさん」
だから、お金を融通していただけますか? と兄ちゃんに
あの上手い酒をもう一度味わいたいと思った俺は、自分がここに何をしに来たのかを忘れてしまっていた。そして、俺の商売は……金貸しだ。
「……わかった。いくらだ?」
「んー、1000万ルーブル。これなら採算が取れるラインね」
「よし、俺の
俺は、即答した。
その俺の言葉に女は首を振る。
「一番はあたし。しょうがないから貴方を二番にしてあげるわ」
「ああ、約束した。金はいますぐ持ってくるぜ」
そう言って俺はティファニーの店を後にした。
*
「で、また融資の約束をしてきたってわけかい?」
俺の前には苛立った親分が腕組み&仁王立ちをしている。眉間のシワは俺が見たことがないぐらい、深い溝を作っていた。さらに怒りが熱となって、俺はやけどしそうなぐらいの視線で、親方に
俺は初めての借金回収の失敗を、親方に報告したときに気づいた。それまではデカい儲け話を掴んだと思って、意気揚々とブルックリン商会まで歩いてきたのだ。
借金を1ルーブルも回収していないのに、また追加融資をするというアホな話を取り付けたことにさっきまで気づいていなかったのは、あの女に飲まされたウィシュケのせいだろう。
だが、俺がそれを今親方に言ったとしてもただの言い訳で、女々しいだけだ。
その事情を知らない親方はカンカンで真っ赤だが、俺は逆に真っ青だった。
「はぁ、手下に任せてたら借金が莫大になっちまって、ブルックリン商会が潰れちまうよ。あたいの代でこの会社を潰すわけには行かないから、直接行くしか無いね」
ため息をつきながら、親方は直接ティファニーの店に向かうことにしたらしい。
その言葉に俺はほっと胸をなでおろす。
「ハンス! アンタもついてくるんだよ! 責任は取ってもらうからね」
「へ、へい! 親方、申し訳ねぇ」
フン!! と大きな鼻息を出して、親方は荒々しくブルックリン商会の玄関を開け、大股開きで街中を闊歩し、ティファニーの店へと向かった。
*
「邪魔するよ」
俺とまったく同じように扉を力任せに開け、親分は威勢のいい声を張り上げる。俺と違ったのは、店ん中にはさっきいた女も男もいなかったっつーことだけだ。
「なんだい。誰もいないのかい」
そう親分がつぶやくと同時に、トントンと奥の階段から小気味いい音を立てて、さっきの男が降りてくる。なんつうかキザったらしい服装の男は、スマートな仕草で親分の前で挨拶をした。
「いらっしゃいませ。今日はどうされましたか?」
「……」
親分は何も言わない。ただボーッと目の前の男を見ている。
「あぁ、ブルックリン商会のマチルダさんですね。いつも大変お世話になっています。返すお金ですが、今月の売上は……」
男が何かを取りに奥に行こうとしたとき、親分がその男の手を掴んで、そのまま自分の胸に抱えた。
「え!? ちょっと、どうしたんですか? マチルダさん」
「……その手で感じるかい? あたいの胸の鼓動をさ」
男はうわわわ! とへんな叫び声をあげて、親分の腕を振り払う。その男を親分は切なそうな顔で見ていた。まさか。
「借金はチャラでいいからさぁ。あんた、あたいの旦那になってくれない?」
その時、ものすごい不機嫌そうな顔で女が階段から降りてきた。
「あぁぁ! 煩いっ! 昼寝の時間にさーわーぐーなぁっ!!」
紫の悪魔は俺たちの立っていた場所に紫色のボールを投げた。
ボムッ! と音がして紫色の煙があたり一面に散らばる。
「ぼ、僕まで巻き添えです……か?」
喋りながら男は寝てしまった。親分も同様にいびきをかいて寝ている。
「あんたも連帯責任っ! 起きるまで寝てなさいっ!」
その言葉を聞きながら、俺も夢の中に堕ちていった。あぁ、女悪魔に罵倒されながら夢の中って最高すぎるぜ……。
☆今回のアイテム『伝説のウィシュケ』
清廉された芳醇な香り。口に含んで舌で転がすとクリーミーでとろけるような味わいを感じられる、ティファニー特製の蒸溜酒。旨いだけではなく、その人が感じているストレスの事柄を忘れさせてくれる、現実逃避のアイテムである。厳選された大麦麦芽だけを用いて、さらに器械がなく少量しか蒸溜できない。ハンスに飲ませた十年もののウィシュケは倉庫に置き忘れていたものであり、非売品。なくしてしまったと思っていたティファニーは「うぅ、あのときのウィシュケ!!」とずっと思っていたので、怨念が篭っている、別名『怨念のウィシュケ』もちろん、レアアイテムである。
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