ジャック・オ・トゥラデス
東江 怜
コンテ街にある小さな魔法店は今日も開店です。
第1話 街の少女ヒルデ
……大変なのです。
だから言ったでしょ、と呆れるおかあさんの声が聞こえます。
「どうしよう」
手のひらを見ると、指先だけ青紫色に染まっています。
この青紫色は、ウィスタリア祭を代表する色。自分のとっておきのワンピースをウィスタリア祭に合わせて染めたら、わたしの指先が青紫色に染まってしまいました。
「きちんと手袋をしなかったから、そんな手になっちゃったんでしょ」
文句を言いながらも、おかあさんはわたしの手をゴシゴシと拭いてくれます。
でも、おかあさんの手にある布巾は元の生成り色のままです。
全然、落ちません。
「どうしよう、おかあさん。こんな手を見たらアルバートが呆れちゃいます」
アルバートとは私の幼馴染の男の子。
内気なわたしをたくさんの世界に連れ出してくれる、親友。
最近は女の子たちに人気で、それでもわたしを気にかけてくれる、優しい親友。
「アルバートは最近いろんな女の子に追い掛け回されてるものねぇ。ウィスタリア祭ではダンスもあるのに、アルバートとダンスのときにその手じゃ……繋げないわよ、まったく」
わかっています。
「リルベリーの実を直接手のひらで潰すといい色が出るわ」とアイオラに言われたので、わたしはそれを素直に信じてしまったのです。
でも、指先がリルベリー色に染まってしまったまま落ちないなんて。
いますぐ過去の時間に戻れるのなら、三時間前のわたしに素手でリルベリーを触っちゃダメだって言いたいです。もう遅いけれど。
「しょうがない。町外れのティファニーのお店にいってらっしゃい。あそこならなんとかしてもらえるかもしれないから」
おかあさんはティファニーのお店を勧めてくれました。
でも、わたし一人で町外れまで出かけるのは怖いです。
いつもはアルバートがついてきてくれるし、今回もお願いすれば必ずついてくるのはわかっています。でも、これはアルバートには内緒にしたいのです。
「わ、わかりました。行ってきます」
ギュッと自分のエプロンを掴んで、わたしは駆け出しました。
*
「い、いらっしゃい、お嬢ちゃん。今日はおつかいかな?」
目をつぶって街の中を思いっきり駆け抜けたわたしは、その勢いのままティファニーのお店のドアをバァン! と開けてしまいました。
それに驚いた顔をするものの優しく挨拶してくれる、緑頭のおにいさん。
……よかった、優しそうなおにいさんで。ガハハハと笑う怖そうなおじさんじゃなかった。
ほう、と一息ついてわたしは、その爽やかなおにいさんにわたしの悩みを訴えることにしました。
「こ、この手を治してください!」
おにいさんに見せたわたしの手はリルベリーで染まった、みっともない指先。
明日のウィスタリア祭までにこの色を落とさないと、アルバートとわたしはダンスができません。そうしたら別の女の子とアルバートが踊ってしまうでしょう。わたしはそれが見たくないのです。
「……だって。ティファニー様」
そう言って緑頭のおにいさんは後ろを振り向きます。
部屋の真ん中には大きな釜。なにががぐつぐつ煮えたぎっている音がします。
その釜のうしろから、紫色の長いボサボサの髪の毛のおねえさんが出てきました。
「釜を微調整している間は集中していて、あたしが話を聞けないのはわかっているわよね? スフェーン」
そうでしたっ! と言いながら、スフェーンと呼ばれたおにいさんはわたしと先ほどした会話をティファニーさんに話します。
「この娘、明日のウィスタリア祭までに青紫色に染まった手を治してほしいんだって。どうやら幼馴染の男の子とダンスがしたくて、そのためにドレスを自分で染めたらしい。それで自分の手まで染めてしまったそうだよ。だよね? ヒルデちゃん」
……なんていうことでしょう。
わたしはスフェーンさんに話したのは、青紫色にそまった手を直してほしいということだけ。
それなのに話していないことまで、スフェーンさんはスラスラとティファニーさんにわたしのことを伝えています。しかも名乗っていない名前まできちんと当たっていたので、わたしはびっくりしてしまいました。
心の中を全部見透かされた気がして、わたしは顔が真っ赤になってしまいましたが、スフェーンさんの説明は間違っていなかったので、コクリと頷きました。
スフェーンさんの説明を聞いたあと、頭をバリバリとかきながらティファニーさんは奥に行って小さな小瓶を持ってきました。
ティファニーさんが手に持っているものは、きれいな装飾の小瓶。中には淡いピンク色の液体が入っていました。
「はい、これ」
ティファニーさんは、ポンとわたしにその小瓶を投げてよこしました。
部屋の光にその小瓶はキラキラと反射して、まるでピンク色の宝石のようでした。
「すぐに効果が発現するわ。リルベリーは
少し言葉が難しかったので、わたしは首を傾げます。
その様子に気づいたスフェーンさんは、わたしがわかるように説明してくれます。
「その色を消す魔法は二時間だけ。だから踊る音楽が鳴り出すときに、手のひらに垂らしてこするんだよ。わかったかな?」
「は、はい。ダンスの曲が流れたら、ですね」
「そう。きちんと守ってね」
にこやかにスフェーンさんに見送られて、わたしは街の中へと駆け出したのです。
*
澄み切った青空。
ウィスタリア祭にはもってこいの晴天です。
このお祭りは作物の豊穣を願って、七月にやるお祭り。別名、恋の願いが叶う祭りということで、ダンスを一緒に踊った男女は、永遠に結ばれるという言い伝えがあるのです。
だから、わたしは一生懸命、今日のダンスのために用意したのです。でも一生懸命すぎて指の先まで染めてしまいました。
「ヒルデ、どうしたの?」
わたしを覗き込むのは最近仲良しになったアイオラ。その手はしっかりとアルバートの腕に絡まっていたのです。
「おい、やめろ、アイオラ」
アルバートはアイオラの手を振りほどくものの、再びアイオラに捕まってしまいました。そしてアルバートは空を見上げて、ハァ、とため息をつきました。
お祭りに出ている露天をわたしたちは回ります。
ダンスはお祭りの中盤にみんなで踊り、毎年ものすごく盛り上がるのです。
そのとき、スフェーンさんがわたしを見つけて走ってきました。
「ちょっといいかな? ヒルデ」
「あ、はい」
アルバートとアイオラから少し離れたところで、スフェーンさんはお願い! という格好をしました。いきなりでわたしは驚きます。
「あ、あの――――?」
「ごめん! その……あの薬の代金をいただくのを忘れていたんだ。だから今もらってもいいかな?」
それは、わたしの今日のお祭り用のお小遣い全額でした。
でも、アルバートとダンスを踊れるのなら、お小遣いがなくなってもよかったので、スフェーンさんに惜しげもなくお財布からお金を出して渡します。
「ありがと! いやあコレがないと僕、ティファニー様にぶん殴られるからさ。助かったよ! それじゃお祭り、楽しんできてね」
バチンとウインクをして、スフェーンさんは去っていきます。緑の瞳がキラキラと太陽の光に反射して、アルバートの次にかっこいいと思いました。
そして、わたしはアルバートとアイオラのところに戻ります。
「ね、いいでしょ? ヒルデは放っといてわたしと踊ってよ」
「い、いや……でも毎年ヒルデと踊ってるからさ」
なんできちんとアルバートはアイオラのことを断らないのでしょう。わたしはそのあと無言で、二人のあとをついていきます。
お祭りはすごく楽しいはずなのに、今日だけはなんだかちっとも楽しくありません。ずっと楽しみにしていたダンスを、アルバートとちゃんと踊れるのでしょうか?
まだ青い指先をわたしは眺め、ふう、とため息をつきました。
「さあ! ダンスが始まるよ!」
「急がなきゃ! ねぇ、ラルフはどこにいったの――?」
がやがやと、街のみんなは中心の広場に集まりだします。
男女それぞれが揃って立ち、音楽は今かと待ち構えていました。
そんな中、わたしはアルバートとアイオラの前に立っていました。そして、青い手のままでアルバートの腕をギュッと掴んでいたのです。
「なによ、ヒルデ。わたしとアルバートの邪魔をしないで! それにその手じゃかっこ悪くてアルバートとダンスができないでしょ!!」
アイオラが叫ぶようにわたしに怒りをぶつけます。その顔はすごく怖くて……醜い顔でした。でも、わたしもアイオラと同じ顔をしていたのです。
それがわかったのは、あの小瓶の金色に光っているフタでした。立方体のフタはキラキラとわたしの醜い顔を反射していたのです。
それに気づいたわたしは、アルバートの腕を離します。
「アルバート……ごめんなさい。わたしは邪魔する権利がなかったです。だからアルバートが選んでください」
ぽろりと涙が出てきます。
今日の祭のために頑張って染めたワンピース。ついでに手も染めてしまっては、アルバートと踊る資格はない。そう、わたしは思ったのです。
でも……
アルバートはごめん、と一言いい、わたしの青い手を取りました。
「ごめんね、ヒルデ。僕がはっきりしないから、君にそんな顔をさせていたんだね。そして君がどれだけ僕のことを考えてくれたのかは、その青い指先で分かった。だから……」
僕とずっと一緒に居てほしい。
そう、アルバートは言ってくれました。
そして、広場中に陽気で楽しい音楽が溢れます。とうとう、恋の願いが叶うダンスの始まりです。
わたしの青い指先は、アルバートの温かい手のひらに包まれたのでした。
「……なによ。アルバートなんかより、もっといい人を見つけるもん」
悪態をついてアイオラはその場を離れました。ちょっと申し訳ない気持ちになりましたが、この青い手になったのはアイオラのせいでした。でも……結果としてアルバートはわたしの手を掴んでくれたのです。リルベリーで染まった青い手を。
アルバートとわたし。13歳の恋の叶うダンスで誓う願いは、一生の約束だと聞きました。だから、わたしたちはこれからずっと一緒にいるんだと思います。
またなにか、二人には困難があるかもしれないけど、一人じゃなく二人で解決していけばいいということがわかりました。
「ヒルデ、僕でよかったの?」
「うん、アルバートじゃないとわたし、ダメですから」
こうしてウィスタリア祭は無事に終わったのです。
結局、ティファニーさんのお薬は使いませんでした。でもわたしは大切な宝物としてずっと持っています。
だって、アルバートの心を掴んだきっかけとなった小瓶ですから。
☆今回のアイテム『初恋の小瓶』
知らずのうちに恋をしている乙女に、その恋を自覚させるアイテム。原料は赤いリン鉱石。鉱石をすりつぶして火をつけるときの棒の先につけると擦っただけですぐ燃えるアイテムになる。鉱石の粉をしばらくアルコールに落としておくと、アルコールが紅色に染まる。そこにティファニーの魔法がプラスされて、恋愛運アップのお守りとして売られている。価格は1000ルーブル。
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