第3話 不動産屋マチルダ
「はぁ……」
あたいの頭の中は、薄い
あれからあの変な女に眠らされたあたいは床に転がっていて、目覚めたときすぐ隣にあの男が寝ていたのに気づいた。その顔はあどけない天使のような顔で、あたいのハートはドクンとなった。
つい、その男にキスをしようと思ったが、その前に男はうっすらと目を開けた。
「なんだい、お姫様のキスで王子様は起きるのが定番だろ?」
ささやくように言うものの、男は慌ててあたいから離れる。その瞬間、あたいの頭は床にゴンッといい音を立ててぶつかる。
「いてっ! ……そうか。あたいが倒れるとき、頭をブツけないようにかばってくれたんだね?」
「そ、そりゃまあ女性ですから。なにか怪我があっては困りますし」
しどろもどろでその男は弁明するけど、それはあたいを女として見てくれている証拠だった。
「あ、ありがと。た、助かったよ」
いえいえ、当然です。とさらりと男は言ったあと、
「そのクマさんが起きたら、連れて帰ってくださいね。それと……お金の追加融資は大丈夫でしょうか?」
男はキリッとした顔で、あたいに問いかけてきた。ここまで素敵な男があたいの前に座り、ひざまづいてあたいの手を取るなんてさ……プロポーズみたい。
そんな男の仕草に、あたいはメロメロになっちまって……つい、頷いてしまった。
キラキラと目を輝かせた男は、やっぱり天使のような顔であたいの手を掴んで、その甲にキスをしてくれた。あたいは年甲斐もなく乙女のように顔が熱くなるのを感じて心がふわふわなまま、ハンスを引きずってブルックリン商会に帰ってきたのだ。
あの男がそばに居ないだけでため息が出る。
昨日からため息の数を数えてたら、もう百と八回目だ。
「親分、おはようございます」
熊のようなナリしたハンスが、出社してきた。
そのハンスもあたいと同じようにため息をついている。どうやら、ティファニーの店のあの女がタイプらしくて、ぼーっとした目をしている。
「おはよう。早速だがこの金を持ってティファニーの店に行くぞ」
「へい、わかりやした」
ティファニー、と聞いただけでハンスは目を輝かせた。
ものすごく分かりやすく態度に出るから、まあ、子分としては使い勝手がいい。
あたいとハンスは昨日はしていなかった身だしなみをチェックし、出来るだけいい格好に見えるような感じにして、早速ティファニーの店へと出かけた。
*
「っとにここはシケた街だねぇ。そう思わないかい? ハンス」
街の雑踏の中を早足で歩く。
ハンスは辺りに気を配って、大金を盗まれないように用心しているらしく、あたいの話はスルーされた。
「ったく。仕事熱心すぎるのはいいけどさぁ」
ぼやきながらあたいは街を見回すと、田舎特有の薄汚れたワンピースにを来た女とか、ハンスに似たような熊のような男しかいない。
そりゃ大抵の住人は農業を営んでいる奴らばかりだから、土埃で薄汚れた街になるのもしょうがないとは思う。
あたいたちみたいに金貸しをやってるようなのとか、ティファニーのような魔法よろず屋、それとか物売りやってる奴らはちょっとはマシな格好をしてるけどね。
たまに手押し車がガラガラと土埃を立てて走っている街中を抜け、あたいたちは静かな森の手前にある、ティファニーの店についた。
店の外見はお世辞にも綺麗ではなく、木目がそのままの壁と、日焼けて色が落ちた赤い屋根、それに不格好なレンガ造りの煙突。そこからは怪しい色の煙が立ち上っていた。
あたいは昨日とは打って変わって、そぉっとドアをノックする。
「はい、どちら様でしょうか?」
男にしては少し高めの綺麗な、透き通った声。
その声を聞くだけで、あたいは身体の芯が痺れるような感覚になる。
ギィ、と扉が開いて、天使が顔を出す。
その顔を見た瞬間、あたいは心臓が止まりそうになった。
「あ、あの……ブルックリン商会のマチルダです」
「あ、おはようございます! 今日は天気がいいですね」
眩しそうに太陽を見つめる男。その瞳は甘めのライムグリーン色で、高級な宝石よりキラキラと輝いていた。
それに見惚れていると、脇腹をつついてくる奴がいる。ハンスだ。
「なんだい? 黙ってねぇで、要件なら口でいいなよ」
ギロリとハンスを睨む、が、ハンスはあたいの持っているカバンを指差し、部屋の中に早く入りたがるように、店ん中を指差す。
「あ、すみません。お客様を立たせたままで。中へどうぞ」
王子様のような動きで、その男は玄関を開け一礼する。その仕草にあたいは昨日の手の甲へのキスを思い出し、顔があつくなった。
「し、失礼します」
「う、うっす」
中には昨日、紫玉を投げ込んだ女が、ボサボサの髪の毛のまま居た。格好は紫色のローブを着込んでいるけどどうやら寝間着にしていたらしく、シワだらけだ。
「あぁ、また煩いのが来たのか」
「えぇ、ティファニー様。マチルダさんとハンスさんは昨日言っていた資金を持ってきたらしいです」
ニコニコと男は女に報告した。
って……そいつがティファニーかっ!!
「ちょ、あんたがティファニーじゃなかったのかい?」
あたいは男の肩を掴んで振り向かせて問いただすが、男はフルフルと首を振り自己紹介をする。
「名乗るのを遅れて申し訳ありません。僕はスフェーン。ティファニー様の魔術に心酔して無理やり押しかけている、一番弟子ですっ」
ハキハキと自分の名前を名乗るスフェーン。
そのとき、黒くて大きな影がスフェーンの背後に立った。
「てめぇが弟子かよ。ならお前を盾にすりゃな、借金をきっちりと満額……払ってくれるだろう?」
「ちょっと、ハンス! なにやってんだい!?」
ふわあああ……
肝心の脅しをかけているはずのティファニーは、ハンスとスフェーンを見て大きなあくびをしているところだった。
「……困りますね。その脅しは効きませんけど、あんまり手荒だと器具に振動が伝わりますので」
ふうっとスフェーンの身体がブレたかと思うと、一回のまばたきの間にハンスは床に転がっていた。
「え? ちょっ……」
なにが起きたのかあたいにはわからなかったけど、ハンスが負けたのだけは……わかった。
「あまり暴れないでください。ここは仮にも
たしかにハンスがちょっと暴れたらぶっ壊れそうなぐらい、ボロい家だ。
「ハンス……やめな」
その様子をティファニーという女はジッと見ていた。そして奥に行ってお茶セットを持ってきた。まあこの流れなら落ち着いて茶でも飲んで、さっさと金を受け取りたい、という魂胆なんだろうな。
「スフェーン、これ……」
「あっ、失礼しました。ティファニー様。僕がお茶を淹れますので、みなさんもこちらにどうぞ」
部屋の片隅にあるテーブルにあたいたちは案内される。広い部屋の中央にはデカい釜が置いてあり、そこの上に煙突がついていた。どうやらその蒸気を煙突でのがしているんだろうな。釜から出てる湯気も、なんだかヤバい色をしてるし。
壁にはずらりと棚が置かれ、本やら実験器具のようなものが収まっている。これだけの変なものを集めたんなら、ウチからあれだけの金を借りて使ってもまだ足りないだろう。
キョロキョロと部屋を眺めていると、目の前に薄い紫色をしたお茶が出された。
「どうぞ、お召し上がり下さい。あっ!」
あたいたちにお茶を勧めたあと、スフェーンは思い出したように奥に行き、そこから真っ黒な焼き菓子を持ってきた。
「僕が作ったガトーショコラというお菓子です。合わせてどうぞ」
「ふむっ、ふもい!」
紫の女……ティファニーは、菓子をもらったらすぐに口いっぱいにほうばっていた。モゴモゴ言っているがなにも聞き取れない。そのティファニーはちょっとむぐむぐしたら、目をキラキラと輝かせていた。あたいはそのうまそうな表情を見て、得体の知れない真っ黒菓子を口に運ぶ。
「うっ……」
うまい……!
ブルックリン商会の娘だったから結構な贅沢をしていて、舌が肥えているはずのあたいにも、この菓子は段違いにうまいということがすぐにわかった。
「どうですか? まだ練習中なんですけどね」
照れるようにスフェーンはあたいを見て、ウインクする。
最初に会ったときから、あたいはスフェーンに惹かれていたけど、その顔でますます……イカれちまった。
あたいは、スフェーンの前に立ち、
「あ、あのさ……やっぱり、あたいと……」
「うおおお! ティファニーさんっ! 俺の恋人になってくださいい!」
馬鹿でかい声で、ハンスがティファニーに言い寄った。
「邪魔。煩い。馬鹿。あたしが味わっているときにごちゃごちゃ言うな」
クスッと笑ってスフェーンはその様子を見ている。
その顔を見たら、やっぱりどうしても言いたくなった。声がデカくなきゃ問題はないだろ?
「あのさスフェーン。あたいの……旦那になってくれない?」
うーん、とちょっと考える仕草をしたスフェーンはあたいにきっぱりと言った。
「無理ですね。僕、ティファニー様から魔法を教えてもらわなきゃいけないですし、マチルダさんのところに行くわけにはいきません」
あたいはその言葉にボロボロと涙を流しちまった。
そのあと、スフェーンは続けていった。
「でもたまに遊びにくるなら、ぜひいらしてください。マチルダさんの頭は単純で僕も疲れませんから。そちらの熊さんも」
あたいが単純。それはあたいの父ちゃんにも言われたことだった。
そのスフェーンの言葉にムカつくよりも、いつでも見に来ていいっていうことを言われたあたいはそれだけで満足だった。
「ふっふっふ、そのうちあたいの色香でスフェーンを落とすけどね」
なんっつーことだ。あたいの心をポロッと喋っちまった。そしてスフェーンはあたいの言葉に即答してくれた。
「あ、僕、派手でセクシーな女性は苦手です。ごめんなさい」
どうやらあたいは心に思っていたことを、ペラッペラと喋ってしまっていたようだった。ハンスも同じで、聞くに堪えない言葉をティファニーに言っていたが、クズとかカスとか
「スフェーン。あんたの魔法は失敗。ただの自白剤しか出来てないわよ」
「そ、そうですか……また精進します!」
また明日ここにこよう。
なんだかここは落ち着くし、面白いところだ。天使もいるからな。
☆今回のアイテム『未熟なガトーショコラ』
スフェーンが作った失敗作。ティファニーの作ったウィシュケのような効果を練習している最中に、なぜかなんでも喋ってしまうという強力な自白剤の効果付きのケーキを作ってしまった。マチルダとハンスはそれの実験台になったのだ。味はものすごく美味しいのだが、心で思っていることを喋らずにはいられなくなるという、嫌な効果がついている。ちなみにティファニーは心で思ったことをいつもそのまま喋っているので、食べてもなにも変わらない。マチルダさんのみ強引に購入していくので、240ルーブルで渋々販売している。
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