8/10 第十四夜「トレインスポッティング」♡(ネタバレあり)

 木曜日。あきらさんとまた一緒にいられると期待していたのに、彼女は日中いっぱいは高校時代の同級生と会ってくるということで、少しでも長く傍にいたい私は、今日はちゃんと朝起きてお兄ちゃんとあきらさんと三人で朝食を食べた。お兄ちゃんは意外な顔をしていたけれど、私の本心には気付いていないはず……。

 まずお兄ちゃんが出勤していき、あきらさんも食器を片付けて早々に我が家を出ていった。私は洗濯やお風呂掃除など家事を済ませて、『遊弋する精神の方艦船』に取り掛かろうとしたけれど、全く集中できなかった。


 あきらさんのことを考えていた。昨日感じた彼女の儚さの正体がつかめない。それは彼女の見た目に由来するのか精神性か。あきらさんはおっぱいは大きいけれど全体的に華奢だし色白だし、行動は破天荒だけどかなり繊細な感受性を持っているのでべつに意外なことではないとは思う。でも私が昨日感じた儚さは種類が違う気がする。もしかしたら私の感受性にかかわる問題なのかもしれない。


            ◇


 あきらさんのランジェリー姿が目に焼き付いている。あの姿でお兄ちゃんと一緒のベッドで寝ているらしい……その様子を想像しただけで私は頬が火照ってきた。

『……してるよね』

 確実に。二人は愛し合ってるんだから……胸がジクジクして焦燥感がつのった。

『今日会う友達って男だろうか女だろうか……』

 男に人気のあるあきらさんのことだ、もしかしたらお兄ちゃんの他に肉体関係にある男がいるのかもしれない。その男と今まさにラブホテルで抱き合っているのかもしれない。彼女のエロティックな肢体を思い起こす。あの口で……あのおっぱいで……そしてあそこで……。胸のジクジクが酷くなって、同時に彼女を軽蔑する気持ちが湧いてきていたたまれなくなった。

 私の中のあきらさん、性欲の権化に対するイメージがノンストップで加速していく。


 いつの間にか私はお兄ちゃんの部屋の前に来ていた。でもそんな自分の無意識の行動に意外性は無かった。ドアを開けて部屋に滑り込む。

 向かいのカーテンがひかれていて光を程よくさえぎり薄暗かった。向かって左手にあるダブルベッドはあきらさんと付き合い始めてまもなくお兄ちゃんが用意したものだ。その脇にあきらさんのキャリーバッグが置いてある。

『……昨夜は二人でどんなことを……』

 ベッドは乱れていた。私は念入りにベッドを検分したが、お兄ちゃんとあきらさんが愛し合った痕跡は見つけられなかった。

 ナイトテーブルの下にゴミ箱があったが、今日は燃えるゴミの日でお兄ちゃんが出がけに処理したので空っぽだ。あきらさんのキャリーバッグに目をやる。心臓に血がドクドク流れ込んでいるのを感じる。


 鍵は掛かっていなかった。震える手でバッグを漁る。ほとんどは衣料品だった。中を引っ掻き回した痕跡を残さないように慎重に……。

 今朝洗濯して私が干したものに負けず劣らずのエロティックなブラやパンティ、ガーターストッキングが出てきた。あとからあとから次々と……私はしだいに我を忘れて大胆になっていった。キャリーバックの中にある物すべてが性的な意味をおびているように思えた。

『あの女! あの女!』

 憎しみがつのって心の中で繰り返しあきらさんを罵倒する。

 奥に突っ込んだ右手にへんな感触があって、その正体を確かめた私は卒倒しそうになった。思わず叫び声をあげる。

「ばばばばばば……ばいぶれーた!!」

 ぬらぬらとピンク色をしたその男根そのもののような物体を見てトドメをさされた。

『ついにあの女の正体を突き止めた!』

 その瞬間私は自分のやっていることのあさましさに気付いた。急いでバッグの中身を整え、お兄ちゃんの部屋から逃げ出した。そのあとは激しい後悔しかなかった。


 夜、お兄ちゃんの帰宅から三十分遅れであきらさんも帰ってきた。今夜のメニューはビーフストロガノフ。私は食事どころではなく、お兄ちゃんと楽しそうに話しているあきらさんをちらちらと見ていた。

 お兄ちゃんを見つめるあきらさんの目には愛情が感じられる。また胸がジクジクと痛んだ。

 私は地獄の入り口に立っていた。お兄ちゃんとあきらさんを愛していた。お兄ちゃんとあきらさんが憎らしかった。それはこれまで経験したことのない気持ちだった。


 晩御飯のあと、お兄ちゃんが持ってきた映画のDVDのタイトルは『トレインスポッティング』。



 ◇「トレインスポッティング」◇



 正直集中して観ることができるか不安だったけれど、それでもあきらさんと同じ空間で同じ経験を分かち合いたくて、私はお兄ちゃんとあきらさんと一緒に映画を観ることに決めた。


「1996年のイギリス映画。ダニー・ボイル監督。主演はユアン・マクレガー。あと、ロバート・カーライル、ジョニー・リー・ミラー、ユエン・ブレムナー、ケヴィン・マクキッド、ケリー・マクドナルドなどだ」

「主演のユアン・マクレガーって前観た映画に出てきたよね。なんだっけ」

「『ブラックホークダウン』よ。あと『ブラックホークダウン』にはスパッド役のユエン・ブレムナーも出てたわね。この『トレインスポッティング』は私が観た全ての映画の中でも五本の指に入るお気に入りよ。涼介に面白いわよって教えてあげたのも私」

「それは凄く楽しみ」

 映画が始まる。


            ◇


 ユアン・マクレガーが演じる主人公、レントンのモノローグから始まる。彼は万引きをして追っ手から逃げている最中で、車に追突されたあとボンネットに両手をつき、運転手に向かって気が触れたようにははははと笑う。


「人は人生に何を望むか。出世、家族、大型テレビ、車、CDプレーヤー、電動髪切り。健康、低コレステロール、医療保険。固定金利の住宅ローン、マイホーム、友達。レジャーウェアにレジャーバッグ、月賦で買う上等な三つ揃いのスーツ。単なる暇つぶしの日曜大工。ジャンクフードを口に押し込みながらカウチに座って観る世にもくだらないクイズ番組。挙句の果てには老人ホーム行き。腐った身体を晒し、自分の分身である出来そこないのガキどもに疎まれる。それが所謂いわゆる豊かな人生。……だが俺はごめんだ。そんな人生興味ない。俺はもっと別なものを選んだ。なぜかって? 理由なんかない、ただ、ヘロインだけがある」


 この冒頭のレントンによるモノローグだけで、お兄ちゃんたちがなぜ昨日観た『ファイトクラブ』の次にこの『トレインスポッティング』を観ることを選んだのか分かった。テーマの論点、問題意識が『ファイトクラブ』と同じなのだ。世の中を支配する価値観。消費社会、資本主義社会の一般的なライフスタイル、すなわち、豊かな人生の拒否。『ファイトクラブ』で全編通して追いかけた絶望のテーマを、冒頭の短いモノローグで表現し尽している。


 アル中で喧嘩が趣味のベグビー、女たらしで”007オタク”のシック・ボーイ、気のいい小心者のスパッド。そしてSEXもドラッグもOKの女子中学生ダイアン。彼らと共に破滅的な生活をおくるレントンの、ヘロイン漬けの日常がひたすら陽気に描かれる。

 何故だろう。ドラッグは身体と精神を蝕み破滅に導くもので、物語もどんどん深刻さを増して悲惨になっていくのに、憧れを感じるほど彼らが生き生きとして見える。これは物語全体を貫く、ファンキーな演出の力だけではない。私は映画を観ている自分の気持ちの理由が分からなかった。

 ……だけどそんな彼らの友情もやがて崩壊の運命をたどり、レントンは人生を変える賭けに出る。

 最後は『ファイトクラブ』は破壊で終わったけれど、『トレインスポッティング』は……和解? いや……これはあきらめ……敗北だ。


            ◇


「とても良かった。面白かった」

 私は泣いていた。お兄ちゃんもあきらさんも泣いていた。このラストで泣けるかどうかが、多分この映画を、ちゃんと観ることができたかどうかに関わっているんだと思った。

「『ファイトクラブ』と同じだったでしょ?」

 と、あきらさん。お兄ちゃんは今回は黙っていることに決めたようだ。

「一緒だったね。でも最後が全然違った。真逆の結末だった」

「そうね。この映画は基本的に『ファイトクラブ』と同じテーマが描かれている。資本主義社会の一般的な生活からの逃避よ。『ファイトクラブ』は暴力に身を委ねて最終的に社会の破壊に至ったけれど、『トレインスポッティング』はドラッグに身を委ね出口を見失う。そして最後は諦める。社会に適応することを選ぶのね。このラストの絶望的な重大さは、作中の各エピソードが悲惨に描かれていればいるほど深刻さを増してくる。彼らは”豊かな生活”よりドラッグ漬けの袋小路を選んでいる。自分の若さを犠牲にして。それが彼らの青春なのだけど、それ程この世界を支配している”豊かな生活”の価値観から逃げ出したいのよ。私たちの社会がどれだけ欺瞞に満ち、青春を搾取し、心を死に至らしめているか、彼らの選択した生き方を見れば判る。”豊かな生活”に身を委ねるより、命を危険に晒しても、ドラッグに溺れ快楽に身を委ねる方がいい。でもやはりドラッグの性質上、やがて袋小路に陥り、レントンは”豊かな生活”に戻って行く。それは完全なる敗北なの。精神の死といってもいいわ。そんな中レントンは笑うの。あの笑顔を見て涙が出てこないようだったらこの映画をちゃんと観たとは言えないかもしれない」

「うん……でも……レントンたちは眩しかったよ。生き生きしてたよ。何だかよく分からないの。彼らに凄く憧れる自分の気持ちが……」

「そうね。絶望感が覆ってるのに彼らは生き生きして見える。それは演出の力だけではないと思うわ。それは……たぶん、くだらなくて退屈極まりない社会生活の外で、衝動的、刹那的に生きる若者に惹きつけられるからなんじゃないかしら。それは原始的な美と言っても良いわ。その点では『ファイトクラブ』の暴力と通じるところがあるわね。そして結末は『ファイトクラブ』が子供じみた破壊で終わるのに対して『トレインスポッティング』は大人になるってことだと思う。私たち自身がどちらを選ぶかだけど、果たしてどちらが尊い生き方か、その先に待っている世界はどんなものになり、そこで自分は何をするか。考えるきっかけにはなる」

「この映画、あきらさんが大事にしてるの分かる気がする」

「そう? 嬉しい❤ ちなみに原作は社会的な絶望からさらに踏み込んで、人間性そのものが孕む絶望に切り込んでたわよ。」

「ふーん、読んでみたい」


 本当に素晴らしい映画だと思った。私の胸にレントンの最後の、敗北の言葉が残った。


「これを最後に足を洗って俺はカタギの暮らしをする。楽しみだ。そう、あんたと同じ人生さ。出世、家族、大型テレビ。洗濯機、車、CDプレイヤー。健康、低コレステロール。住宅ローン、マイホーム、レジャーウェア、三つ揃いのスーツ。日曜大工、クイズ番組、ジャンクフード、子育て、公園の散歩、通勤、ゴルフ、家族でクリスマス、年金、税金控除、庭掃除、そうやって平穏に暮すのさ。寿命を数えながら」

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夏休み。お兄ちゃんと小百合と映画(と美女)。 刀篤(かたなあつし) @a_katana01

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