8/8 第十二夜「ブラックホークダウン」♡
8月12日、火曜日。私がお昼前に目覚めてパンとスープとサラダを食べてると、インターホンのチャイムが鳴った。カメラを見ると誰もいない。とりあえずブランチに戻った。バターたっぷりのトーストを一口齧ると、またチャイムが鳴った。カメラにはまたしても何も映っていない。
「もしもし?」
マイクに話しかける。
「ハロハロー🎵」
ぱっと女の子がカメラの前に現れた。
「あっ」
私は玄関まで行ってドアの鍵を開けて女の子を迎え入れる。
「あきらさん! お久しぶりです」
「小百合ちゃんお元気そうね、お久しぶりー」
ブルネットの髪をツインテールにして、青い瞳に黒ぶちメガネ。スリムなブラックジーンズに、スパンコールが施されたBABY METALのメタルTシャツ。ブーツは真っ赤なドクターマーチン。
「いつ帰国してたんですか?」
あきらさんは傍らのキャリーバッグをクイっと持ち上げて
「今朝だよー今日からしばらくお世話になるよ❤」
ひまわりのような笑顔でさらっと言った。
「……えっ? わたし何も聞いてないけど、お兄ちゃんあきらさんが来ること知ってたんですか?」
「知らないと思うよ、連絡してないもん。ビックリさせようと思っていきなり来たの」
またまた無邪気なひまわりの笑顔。
この弾けるような笑顔の持ち主はお兄ちゃんのガールフレンドだ。結婚を前提にお付き合いしてるからフィアンセといってもいい。日本人とアメリカ人のハーフで、高校までは横浜の実家に住んでいたが、大学入学を機にニューヨークにアパートを借りた。コロンビア大学の二年生だ。夏休みに帰国することは知ってたけど、いきなり、それもお兄ちゃんのいない時に来るとは思ってなかったので私は少しうろたえた。
「ご実家には顔を出してきたんですか?」
「あっそうだ顏見せとかなきゃ。忘れてた」
笑ってしまった。かなり破天荒な性格だけど楽しいし、才媛という言葉がふさわしい人だ。その気性は私の最初のお母さん、奈々にちょっと似てる。
「涼介、いつ帰ってくるか分かる?」
「お兄ちゃんは早くても8時過ぎますね」
「じゃあ、あたしちょっと両親に挨拶してくる。涼介より先に帰ってくるよ。彼にあたしが来たこと言っちゃダメよ。サプライズなんだから」
あきらさんはキャリーバッグを玄関に置いたまま出ていってしまった。
私は半ば呆然と残されたキャリーバッグを見つめていた。
弁解したのはあきらさんじゃなくてお兄ちゃんだった。
「ごめん小百合、あきらがそのうち来ることは知ってたんだよ。しばらくうちにいることになるってことも。ただ9月ごろになると思ってたんだよね。向こうの夏休みは長いから」
「いいよお兄ちゃん、私もびっくりしたけどお兄ちゃんの驚いた顔、面白かったしあきらさん大好きだし」
「小百合ちゃんありがと。あたしも好きよ」
「まあ、な、しばらく三人暮らしになるぞ」
「にぎやかになるね。嬉しい」
それは私の本心だった。
夕食は三人で食べた。鉄板で焼き肉だ。牛、鳥、豚のミックス。冷蔵庫には野菜の在庫がかなりあったし、お肉の量も冷凍してたぶんとお兄ちゃんが買ってきたぶんで三人でも全く問題がない。あきらさんは基本料理ができないのだけど、居候する間は後片付けをあたしがやると言って鉄板と食器を全部ピカピカにした。
「今日は映画観るの止めにする?」
私はお兄ちゃんに聞いた。
「うーん、どうしようかな。あきら、僕たち最近毎晩映画観るの習慣にしてるんだけど、一緒に観る気ある?」
「涼介、あたしだよ。観るに決まってんでしょうが❤」
「それは良かった。ただ、あきらが初見のやつがないと思うんだよね」
「好きなものは何回でも観るよ」
「私、あきらさんの好きな映画、観てみたいな」
「じゃあ、あきらに選んでもらおうか」
あきらさんが選んだ映画のタイトルは『ブラックホークダウン』。
◇『ブラックホークダウン』◇
「2001年アメリカ映画、145分。監督はリドリー・スコット。出演はジョシュ・ハートネット、ユアン・マクレガー、トム・サイズモア、エリック・バナ、ウィリアム・フィクトナー、サム・シェパード、オーランド・ブルームなど、小百合には残念だが女性はほとんど出てこない。戦争映画だからね」
「史実を元にしてるの?」
「原作があって、著者はマーク・ボウデン、ソマリアの内戦にアメリカが介入して事実上敗戦した時のことを書いたノンフィクションだ」
「アメリカが負けた戦争なのね」
「リドリー・スコットはあたしが一番好きな映画監督よ。彼の監督作ではこの作品が、一番好きよ」
と、あきらさん。
映画が始まる。
◇
印象的な音楽とソマリアの情景をバックにモノローグから始まる。
『1992年東アフリカ ソマリア。部族間の抗争が長引き、全土に飢餓が生じ30万人が餓死する。最強の部族を率いるアイディード将軍は首都モガディシオを制圧、国際援助の食糧を奪い、飢餓を敵対部族への武器に利用する。国際世論におされ米国が海兵隊2万人を投入。食糧が配られ一旦秩序は回復する。1993年4月に海兵隊が引き上げると、アイディード将軍が国連平和維持軍に宣戦布告。6月にアイディードの民兵が国連パキスタン兵24名を虐殺、米兵も攻撃対象となった。
8月下旬、米国の精鋭デルタフォース、陸軍レンジャー部隊からなる、第160
場面は国際援助の食糧配布の現場で、アイディード将軍派の民兵が非武装市民を虐殺するシーンへ。ヘリで現場に居合わせた米兵は、国連軍の管轄だからという理由で見殺しにしかできない。
内戦を終結させたい米軍はアイディード将軍の副官2名を拉致する作戦を立て、SOARを首都モガディシオへ強襲させた。
作戦は1時間足らずで終了するはずだった。不穏な空気の漂う街で序盤はなかなか上手くいってた。でも民兵の放ったRPG-7によって2機のUH-60 ブラックホークが撃墜されてしまう。
米兵は仲間を見殺しにできない。敵地の中心へ仲間たちの救出に向かう兵士らは、泥沼の市街戦に突入していく……
壮絶だった。上映時間のほとんどが戦闘描写に割かれる。事態はどんどん深刻化していき、SOARの隊員が次々と血にまみれ、倒れていく。あとからあとから、際限なく民兵が現れ、隊員たちを追い詰める。まさに戦場という地獄に、私も一緒に放り込まれたような錯覚に陥った。
◇
「凄い壮絶な映画ね」
上映後、私は心がふわふわして何も考えられなかった。まだ戦争のただ中にいるような気分。
「あたしこの映画は、戦争、特にアメリカのする戦争に、少なからず含まれる大義の象徴みたいなものとして受け止めてるわ」
あきらさんが言う。
「負けた戦争だね」
とお兄ちゃん。
「そうね。アメリカ軍はこの壮絶なモガディシオの戦闘をきっかけにソマリアから撤退した。だからこそ大義が重みを増してくるのよ」
「お兄ちゃんとあきらさんは、戦争を肯定するの? こんな悲惨な現場を描いた映画を観ても?」
「悲惨だからこそなのよ。このソマリアの内戦への米国介入は、前年の石油利権が絡んだ湾岸戦争、
最後に主人公にデルタフォースのノーマン・”フート”・ギブソン一等軍曹が言う言葉があるわ。彼は主人公を助けて、これからまた別の仲間のために戦場に戻ろうとしてる。『国に帰るとこう聞かれる。〔おいフート、なんで戦う? なぜだ? もしかして戦争中毒か?〕俺は一言も答えない。なぜか? どうせ分かりゃしない。奴らには理解できない。仲間のために、戦うってことが。それだけだ。それだけ。』この『仲間のために戦う』という言葉の中の”仲間”とは、単なる戦友を意味するのではなく、地球上に生きるあらゆる同胞を指すわ。其処にアメリカ人の戦争の論理と正義感と誇りが存在し、それは本来物凄く尊いものだと思うの」
「小百合は最後の主人公たちの逃走のシーンに違和感がなかったかな。沿道に人々が集まって、まるでマラソンのような情景だった。お兄ちゃんとあきらは、あの情景は何だったのか、話し合ったんだけど、あきらは、あれはアメリカの孤独な戦いを象徴してると解釈してた」
「そう、孤独な戦いよ。私は最初にあのシーンが沿道の現地人たちが逃走する米兵を嘲笑ってるように見えた。アメリカの孤独なマラソンのような苦行を、お前たちはなぜそんなことをしているんだって、バカなのかって……その次に見たときは応援しているように見えた。監督の真の意図は解らないけれど、あのマラソンは確かにアメリカの戦争を象徴していると感じるわ。ノーマン・”フート”・ギブソン一等軍曹は最後、主人公に『ついて来るなよ、俺は独りがいい』という。あの背中は確かに孤独なアメリカを背負っているの」
「この映画を観て僕たちと同じことを見て取ることができれば、自分だけ居間のソファに座ってテレビを見ながら、アメリカが他国の戦争に軍事介入して、死を芋づる式に増やしていくのを、安全な場所からただ批判することはできなくなるんじゃないかな」
「うーん……私はでも戦争はフィクションの中だけにしたい」
「小百合ちゃんは小百合ちゃんの感性を大切にすればいいわ。私たちの意見は参考までに」
お兄ちゃんもあきらさんも、ただ映画を観て楽しむだけじゃなく、色々なことを考えている。映画は単なる娯楽じゃないってことが今回改めてよく分かった。そしてあきらさんが物凄く真面目な人だってことも。
*注*
今回のようにタイトルのあとに♡が付いている作品は、筆者が本当に大好きな作品です。その辺の好みは作中の刀誠ちゃんともリンクしてます。
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