8/5 第九夜「リンダ リンダ リンダ」

 八月五日、土曜日。今日明日はお兄ちゃんが休みだ。お兄ちゃんが休みのときは、私も小説執筆を休むことに決めた。私はいつものようにお昼ごろまで寝てた。

「おはよう小百合。ちょうど昼ご飯の準備をしてたとこだよ」

 ダイニングで、せわしなく動き回るお兄ちゃんにパジャマのままでおはようと返し洗面所に行く。

 お兄ちゃんはたこ焼き用の鉄板に油を塗って温めていた。お兄ちゃんとその元の家族は、元々大阪に住んでいたので、今の我が家にもたこ焼き用の鉄板がある。お兄ちゃんは今は完全に標準語だけれど、時々関西弁が出ることがある。


「小百合、明日映画観に行かないか、夏休みに入ってから一歩も外に出てないのは、いくら何でも不健康すぎると思うんだが」

 お兄ちゃんは金串を器用にくるっと回して半分焼けたたこ焼きを丸くしていく。

「う~ん、今どんな映画やってるの」

 私は元々乗り気ではない。お兄ちゃんは映画館で今やってるのを並べ立てたけれど、どれも気を引かれなかった。

「今日も明日も、晩にお兄ちゃんと一緒に家で映画観る」

「そう……」

 お兄ちゃんと私の大好物が、きちんと整列して焼ける匂いが食欲をそそった。


 たこ焼きを楽しんだあと、私は割り当てられた家事をこなすと、リビングのテーブル前に座り込んだ。

「なにしてるの」

 お兄ちゃんが私の手元を覗き込んで聞いてくる。

「栗山千明ちゃんに手紙書いてるの」

 お兄ちゃんはへぇと言ってニコッと笑う。

「そう言えば今度舞台やるみたいだよ。確かいまチケット販売してるはず」

「わ、舞台? それは観に行きたいな……ううん、やっぱりいいや」

「なんで?」

「舞台敷居たかい」

「そう? ……小百合が好きなんだったらこれから買う映画のDVDのリストに出演作を入れてみようか。バトロワとキルビルだけだと寂しいだろ」

「わっそれ嬉しいな、千明ちゃんの出演作もっと見たい」

「後でネットで調べてリストアップするから小百合選んでみる?」

「一緒に調べよ」

 こうして私とお兄ちゃんの土曜日の午後は、栗山千明ちゃんに捧げられた。栗山千明ちゃんのこと、もっと知りたい!


 その夜、お兄ちゃんが持ってきたDVDのタイトルは「リンダ リンダ リンダ」。



 ◇『リンダ リンダ リンダ』◇



「監督は山下敦弘。2005年公開の日本映画だ。114分。高校の学園祭を描いた青春映画だな。リンダリンダリンダって何を意味してるか小百合は分かる?」

「ブルーハーツの『リンダリンダ』でしょ。カラオケで凄く盛り上がるやつ」

「そうだね。正確にはザ・ブルーハーツだな。『リンダリンダ』はお兄ちゃんが生まれた年にリリースされた曲で、カラオケでの十八番おはこはこれだ。小百合世代でもザ・ブルーハーツは知らなくても『リンダリンダ』は知ってるって子はわりといるんじゃないかな」

「そうね。大体そんな感じ」

「この映画は軽音部+αの女子高生四人組が、文化祭でザ・ブルーハーツをる話だ。それ以上でも以下でもない。配役はボーカルにペ・ドゥナ、ドラム前田亜季、ギター香椎由宇、ベース関根史織」

「韓国人がボーカルなのねそれだけで面白そう」

「ペ・ドゥナは韓国の実力派だ。あと関根史織は本来は女優ではなく、Base Ball Bear っていうバンドのベース担当だよ」

「ベボベね。その子知ってる」

「む、流石音楽好きだね。あとドラム前田亜季と聞いて何かピンとこない?」

「うーん……あっ、バトロワのヒロインの……」

「そうだ。これから見たらすぐ判るだろう。お兄ちゃんはこの子大好きなんだよ」

「可愛いよね。そんで親しみやすさもある」

 映画が始まる。


            ◇


 女子高生が画素の粗いカメラに向かって、文化祭の開幕を告げるモノローグから始まる。続いて前田亜季が校舎内を歩きながらいろんな人と短い会話をする場面が、側面から撮った長回しで展開される。ここからの短い数シーンで観客には、オリジナル曲を練習してきたガールズバンドが、本番三日前になってメンバーが怪我と喧嘩で二人抜けてしまったことが明示される。無駄の無い、また、自然な展開だ。残されたドラムの響子(前田亜季)、キーボードからギターに転向せざるを得なくなったけい(香椎由宇)、ベースののぞみ(関根史織)三人は、悩んだ結果、ブルーハーツのコピーをすることに決め、たまたま通りかかった留学生ソンにボーカルをたくす。

 あとは、練習して、本番。お兄ちゃんの言った通りそれ以上でも以下でもない。それが凄く印象的で、綺麗で、優しくて、熱い、最高の青春映画だと思った。


            ◇


 最後の最後、私は涙が止まらなくなった。ここまでの二時間弱。積み上がってきたなんでもない日常が爆発して、エンディングのロールが終わるまで、私は泣き続けた。

「ブルーハーツ良いね……」

 ようやっと絞り出した言葉がこれだった。

「この映画においてザ・ブルーハーツの歌の力は大きいね。リリースされてから四半世紀以上経過したのにいまだに色あせない。お兄ちゃんはブルーハーツと共に子供時代を過ごしたから、本当に感慨深い。ブルーハーツをることに決めるきっかけになる印象的なシーンがあっただろう、響子と望はユニコーンやジッタリン・ジンを知ってるが恵は知らない。でもブルーハーツはみんなそらで歌える。あそこでまず僕は泣いてしまうんだ。僕が子供の頃大好きだった音楽が、その魂が、のちの時代の、眩くほど美しい、若さの体現者である女子高生にも、確実に受け継がれている。オジサンくさい感傷と片付けてしまえばそれまでだけど、本当に嬉しかったんだ」

「うん、お兄ちゃんくらいのオジサンはこの映画観たら泣くしかないね」

「小百合だって号泣してたじゃないか……」

 我が家のかっこいいオジサンは私のほうを向いて苦笑いをする。


「照れ隠しじゃないけど、冷静にこの映画を観て僕が目をつけるところは、昨日の『コンテイジョン』と同じく叙事とリアリティについてだね」

「そう言えばこの映画、わりと叙事的な感じよね」

「うん叙事的だ。日本では少数派だな。もちろん架空の地方都市、架空の学校、架空の女子高生、架空の物語である以上、どう頑張っても現実にはあり得ない作り物だし、現役中学生の小百合ならその辺はよく分かるだろうが、この映画には世界観に説得力がある。その『世界観の説得力』こそが、創作物における『リアリティ』ということになるんだ。その『リアリティ』には叙事的アプローチもひと役買ってる。叙事とリアルは同義ではないが相性が良い」

「うん、その辺はよく分かる。世界観に説得力を持たせるのに叙事的アプローチはかなり有効。まあ抒情的な作品でもリアリティに通じる道は色々あるだろうけど」

「うん。そうだね。ただ気付きにくいんだけれど、この『リンダ リンダ リンダ』は制作側が見せたいものを見せる点において、脚本が実に無駄なく綺麗に構築されていて、物語構成が完璧なんだ。ここまで脚本に隙がないと、例え叙事的アプローチでも造った感が出て普通はリアリティが損なわれるんだ。最初の短いシーンで現状を全て説明してしまう手管てくだや、偶然の積み重なりからクライマックスに持っていくところなど、下手をすれば御都合主義とさえ捉えられかねない。そこをこの映画は演出と美術(この美術の現実感が物凄いんだが)あと、エキストラも含む役者の演技の力で、絶対的なリアリティを実現してる。脚本が叙事的であるだけに表で主張しないのと、脚本以外のところで物凄く神経質に世界を構築して説得力を持たせてる」

「ふ~ん。わりと鋭い分析だと思う」

「まあお兄ちゃんの自論だけどな」

「うんそこは織り込み済みだヨ」

「ふむ」


「う~ん、私この映画、大好きだな。特に香椎由宇ちゃんが……」

「小百合は結局そこだな。香椎由宇は本当にきれいだね。だんだん好みが判ってきたぞ。クールビューティーが好きなんだろう」

「お兄ちゃんは可愛い、愛らしい子が好きなのね」

「お互い恋人を取り合う事態にはならなそうで良かったな」

「そうね」


 私は学校が少し恋しくなった。宿題や夏期講習はともかく、夏休みが終わったらちゃんと学校に行こうと思った。文化祭は九月末にあって、この映画ほど大々的なものにはならないけれど、結構楽しめそうな気もした。百合先輩のことも、もう気持ちの整理がついたはず……。


 寝る前にベッドの中で由実にLINEメールを送った。

{わたし、やっぱり文芸部に戻るよ}

 由実から速攻で返信が来た。

{やったね♡}


 私は嬉しかった。


{由実、好きよ。またメールするね。おやすみ}


{おや~。}

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