8/4 第八夜「コンテイジョン」

 8月4日金曜日。お昼前に起床した私は、まず由実からのLINEメッセージに返信した。溜まっていた未読メッセージの中には、先週土曜日に隅田川で行われた花火大会に一緒に行こうよというメッセージ、そのあとはクラスメイト数人で行ってきたよというメッセージとともに花火の動画も添付されていた。


 お兄ちゃんが作っていてくれた朝食をお昼兼用で食べて、まず家事を片付けた。自室へ行き、ノートパソコンを立ち上げ、昨日に引き続いて奈々フォルダとにらめっこを開始する。

 私の一人目のお母さん、奈々の遺した未完の小説の創作メモ。その本文の執筆に全く手をつけずに奈々は亡くなったが、最初のページには、作品の冒頭の素案が書かれている。


【『僕』は総体としての人間の精神である】


【全ての人間の喜びは『僕』の喜びであり、全ての人間の痛みは『僕』の痛みである】

【無慈悲な国家に弾圧されている国民の怒りは『僕』の怒りで、薄暗い路地裏でレイプされる少女の絶望とレイプする男のカタルシスは『僕』の絶望とカタルシスである】

【神の名を叫びながら、大国の大使館に爆弾を抱えて突入する男の聖戦は『僕』の聖戦であり、爆発に巻き込まれて死んでいく無辜の人間の無念は『僕』の無念である】

【愛を告白し、それが受け入れられた少女の幸せは『僕』の幸せで、告白され、返事を返した少年の照れ笑いは『僕』の照れ笑いである】

【飢えて死んでいく食糧難の国の子供たちの苦しみは『僕』の苦しみで、世界を良くしたいと本気で願って、矛盾を感じながら戦場に行く戦士たちの迷いと誇りは『僕』の迷いと誇りである】

【愛する妻の出産に立ち会って、産まれてきた我が子を抱き初めて父となった男の涙は『僕』の涙で、不治の病に苦しむ妻に安らかな引導を渡し、自らの命も絶った夫の愛も『僕』の愛である】


【もう一度言うが、『僕』は総体としての人間の精神である】



 ふう……。重厚な書き出しね。『総体としての人間の精神』。それがこの作品の主人公だ。それは存在するあらゆる人間が主人公だということを意味する。この壮大で無謀にもとれる奈々の創作計画は、ある程度の変遷を見せながらも、しかし具体的で、細部に至るまで綿密に練られていた。

 私はクーラーでキンキンに冷やした自室で午後いっぱいを使って、ひたすらお母さんの創作の足跡を追う作業に没頭した。この小説を完成させるのは、やりがいのある仕事だと思った。これからこの作品と、長い付き合いになるのよね。


 その夜、お兄ちゃんが持ってきた映画のDVDのタイトルは、「コンテイジョン」。



 ◇『コンテイジョン』◇



「2011年のアメリカ映画。監督は社会派もエンタメもいけるスティーブン・ソダーバーグ。主な配役は、マリオン・コティヤール、マット・デイモン。ローレンス・フィッシュバーン、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウ、ケイト・ウィンスレット。映画好きなら分かるが、この俳優陣は超豪華だ。一人一人で主役を張ってもおかしくない顔ぶれだ」

「どんな映画なの?」

「一言でいうと未知のウイルスによるパンデミックをリアルに描いた作品だな」

「面白そう」

「この作品は凄いよ。お兄ちゃんの中ではソダーバーグ監督の手がけた映画の中でも一、二を争う」

「それは楽しみ」

 映画が始まる。


            ◇


 空港で咳き込みながら電話している女性の場面から始まる。シカゴ、香港、ロンドン、ミネアポリス、東京……、なんの病気かわからないが、各地で人が倒れ、死にはじめる。いち早く情報を得た米国疾病対策センター(CDC)、スイスの世界保健機関(WHO)は連携して事態の把握、対策に乗り出す。CDC、WHOの職員たち、現場の医師たち、軍隊が力を合わせ原因調査、治療法の模索、事態の収拾を目指す中、偽の特効薬をでっちあげて情報をネットに流し一儲けしようとするフリージャーナリストの暗躍、恐怖に感染した一般市民による倫理崩壊のパニック、妻と息子を失った夫と娘のエピソードなどが描かれる。

 世界中に感染が広がり、CDCの職員や現場の医師にも犠牲者が出て、ワクチン投与の権利を巡ってWHOの職員が拉致され、街が丸ごと一つ閉鎖され、事態が深刻化していく中、CDCのワクチン開発研究は一つ一つ段階を追って進み……。


            ◇


「なんか人間であることが誇り高く思えるような気になったわ」

 私は率直な感想を言った。

「そうだね。CDC、WHOの職員、医療現場に携わる人、社会的良識を持った立派な大人たちが、パンデミックという自然の不条理と、一部の自己中心的、もしくは愚かな人間の行為に、冷静に、凛として、淡々と対処していく姿が描かれている。派手なアクションやドラマチックな演出などなくても、この映画がヒーロー映画であることは、観れば納得できると思うよ」

「ヒーロー映画……そうよね、そういう見方もできる……私もそう思うわ」

「作中でもあるセリフだけど、『一部の叡智ある人間の勇気と努力の結晶』であるワクチン開発までの過程は、人間であることの誇りを呼び覚ましてくれる。英雄たちの淡々と事態に対処する姿は本当に美しい。おろかな人間も劇中には沢山登場するけれど、自分はそんな時でも英雄の側に立っていたいと思わせられるほど、英雄たちは美しく描かれている。ソダーバーグ監督は、気高い人間の見本を示しているんだ。そしてこの英雄は、安っぽい子供じみた三流のアメリカンコミックヒーローのような、ディフォルメされた英雄なんかより、よっぽどリアルで現実味のある英雄だ」

「そうね、現実味、リアリティもこの映画のキーワードね」

 私の言葉を聞いたお兄ちゃんは嬉しそうに笑った。

「うん、下手に感情に訴えることはせずに、硬質で、冷めた視点で終始一貫した演出をしている。抒情的というより叙事的だ。それがよくあるお涙頂戴な過剰演出のドラマなんかより、よほど感動を生み出す結果になっている。観客はリアルな英雄たちの誇り高い行動や、控えめで温かな犠牲者たちへの視線に、静かに涙を流すんだ。CDCの職員の一人が寒がっている患者に、最後にダウンジャケットを渡そうとするシーンがあったろう。あんななにげない、ささやかな描き方はそうそうないが、そこで僕は涙が止まらなくなる。ワクチン開発者が、完成したワクチンの効果を試すシーンも、妻を亡くした夫が写真を見て泣くシーンも、控えめな演出で描かれている。大々的に感情を揺さぶろうと大げさな表現をすれば、逆に観客が冷めてしまうことがある。この作品は逆に冷めた演出で効率的に感情を揺さぶりにかかってくるんだ。この辺りは小説執筆の参考にもなるんじゃないかな」

「過剰表現を避けて、控えめな言葉を使った方が、逆に効果がある場合があるのよね。小説の技巧の本に確か書いてあった気がする」

「あと余談だけど実はこの映画のような叙事的な表現は、近代から現代にかけてあまり日本の文化に根付いてないんだ。映画でも小説でも。国内では叙事的な芸術作品の作り手が、圧倒的に少ない。文化が未熟なわけではないんだろうけど、もったいないよ。触れれば理解できる能力はあるはずなのに」

「奈々の小説は叙事的だったわ」

「む……そうだったね。あれは凄かったね」

 私の一人目のお母さんのデビュー作。


 お兄ちゃんはレコーダーからDVDを取り出してケースにしまった。何か言おうとしてるように見えたけれど、結局何も言わずコップに残っていたコーラをちょっと飲んだ。


「私、今、奈々の書こうとしてた小説を、自分なりに書こうと思ってるんだ」

「そう、それは良いことかもしれないね」

「叙事的なアプローチになると思うわ」

「頑張りなよ。なんていう小説なの?」

遊弋ゆうよくする精神の方艦船はこぶね


 それは私の一人目のお母さん、統合失調症に罹患して自死した奈々が、無題としていた未完の小説に、私が今日つけた題名だった。

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